日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方11」~グラム・ロック1

2010-05-23 | 洋楽
ビートルズと同じ英国発の新しいロック・ムーブメントとして、70年代前半をにぎわせたものに「グラム・ロック」があります。「グラム・ロック」とは「グラマラス=魅力的な」ロックと言う訳で、スパンコールや金ラメなどのきらびやかな衣装を身にまとい、男性が化粧を施して観客を視覚的に魅了する“70年代型ロック”として一世を風靡しました。

何と言ってもその代表格はマーク・ボラン率いるTレックス。60年代はアコースティック・ギターとパーカッションによる呪術的なフォーク・ロックを身上とするグループ「ティラノサウルス・レックス」であったのが、70年代に入って以降エレクトリック編成に衣替えとともにその名をTレックスと改め、次第に衣装や化粧を派手にしていきつつまずロンドンでブレイクを果たしたのでした。その無名時代には魔法使いと暮らしたこともあると言うマーク・ボランの衣装や化粧は必ずしも目立つ目的ばかりではなく、当初は呪術的な意味合いを持って考えられたものであったではないかと思います。しかしながら、当時のロンドンのティーンの間ではその飾り立てられた風貌はある種アイドル的な人気を産み、グラム・ロックとして一大ムーブメントを巻き起こすことになったのです。

ロンドンでのブレイクは、エレクトリック・ブギーのスタイルを初めて披露した70年のシングル「ホワイト・スワン」であり、引き続き4人編成のバンドへと拡張してレコーディングされた「ホット・ラブ」が№1(6週連続)を記録するに至って新たな波として認識をされるに至ったのでした。続いてリリースされたアルバム「電気の武者」とシングル「ゲット・イット・オン」は米国でもヒットを記録し、いよいよ70年代のけん引役としての期待感も高まって“第2のビートルズ”と言われるほどにまでなったのでした。日本での反応はと言えば、当時の海外情報伝達のスピードの問題もあってか、「ホワイト・スワン」「ホット・ラブ」は不発、「ゲット・イット・オン」は小ヒットにとどまっていました。

日本での本格ブレイクは、72年のシングル「メタル・グルー」からでした。当時の文化放送のチャート番組「オール・ジャパン・ポップ20」では、この曲で初のトップ10入りを果たし最高位2位まで上昇。それまでの、ややおとなし目の印象もある楽曲から一転、アップテンポで爆発的なエネルギーを感じさせる“ボラン・ブギー”の誕生でもあり、この曲で日本でのアイドル的人気にも一気に火がついたのです。引き続きリリースされたアルバム「ザ・スライダー」はまさに“ボラン・ブギー”のショー・ケース的名作であり、リンゴ・スターが撮影したとされた(最近時、本当の撮影者はプロデューサーのトニー・ビスコンティーであったことが確認されています)アルバム・ジャケット写真のカリスマ性と相まって、その人気は最高潮にまで一気に駆け上がります。

次々と短いインターバルでリリースされたシングル「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション(文化放送2位)」「イージー・アクション(同1位)」ではさらにヒットの規模を拡大。72年の初来日とそれを記念してに開催された渋谷西武デパートでの「Tレックス展」には多くのファンを動員、テレビ番組にもトーク・ゲストとして出演するなど、当時の人気は社会現象化して国内のマスメディアも“ビートルズの再来”と書きたてるにまで至ったのでした。しかし急激な人気の盛り上がりもここがピークでした。その後の凋落はあまりに早く、73年のシングル「20センチュリー・ボーイ」「ザ・グルーバー」まではかろうじて形を保ったものの、ステージでの演奏力とアルバム「タンクス」の不評をきっかけとして、急速な下降線をたどります。その原因は、ブギーを基調とした音楽的な単調さをカバーするだけの新時代的魅力を作り出すことができず、飽きっぽいティーンエイジャー以外の音楽ファンの取り込みができなかったことにあったのでした。

その後も復活をかけてマーク・ボランは様々なチャレンジを繰り返します。そしてパンク・ムーブメントが隆盛を始めた77年、彼がパンクロッカー達から“ゴッドファーザー・オブ・パンク”と称されて崇められ復権の兆しをつかみかけたその矢先、自動車事故により29年の短い生涯を閉じたのでした。短期間ではありましたが70年代の音楽シーンを語る時に絶対に欠かすことのできない足跡を残したマーク・ボランとTレックスは、今後も音楽ファンの間で長く聞き継がれ語り継がれていくにちがいないと思います。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック1>
★72~73年の日本でのTレックス人気を追体験できるアルバムから聞く★
①「ザ・スライダー」(「メタル・グルー」をフィーチャーした全盛期到来を告げる“ボラン・ブギー”の最高峰アルバム)
②「グレイト・ヒッツ」(72~73年全盛期のシングルA、B面曲を中心としたベスト盤。アルバム未収録曲多数)
(解説)
Tレックスのベスト盤は数多く出されており、「ホワイト・スワン」「ゲット・イット・オン」時代から遺作「地下世界のダンディ」までを網羅したモノがそのほとんどです。この全時代的ベスト盤を聞くことも重要ではありますが、本当のピーク体験をする意味では何よりもまず①「ザ・スライダー」②「グレイト・ヒッツ」を聞くことをおススメいたします。①②を聞いた後にアルバム「電気の武者」「タンクス」へ進むのが正しい道順です。「ゲット・イット・オン」をフィーチャーしたアルバム71年の「電気の武者」は、一般的に歴史的名作として多くの名盤紹介にも登場していますが、アルバムの善し悪しはともかく、こと日本での当時の人気と評価では圧倒的に①「ザ・スライダー」が勝っていたことを申し添えます。73年のアルバム「タンクス」は評価・セールスはイマイチでしたが、「ザ・スライダー」と同一路線で作られたアルバムであり、シングル曲の収録がないため地味な印象がありつつも日本録音2曲を含むファン必聴の力作です。「電気の武者」以前および「タンクス」以降の各アルバムは、①②および「電気の武者」「タンクス」を聞いてよほどのファンになったらその段階で聞く、というスタンスでよろしいかと思います。