日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№90~“人生の光と影”を歌うスプリングスティーン

2009-11-03 | 洋楽
これまで本企画で1アーティストで複数枚の登場は、ビートルズ、ストーンズ、フー、エルトン、ロッド、スティービー、イーグルス、ドゥービー…。記憶ではそんなところですが、こうしてこの錚々たるアーティスト名をながめてみると、なんとディランやスプリングスティーンがいない!「これでいいのか?」と言う訳で、ジョン・レノンの死の直前、80年10月リリースのスプリングスティーンのアルバムを取り上げます。

№90  「ザ・リバー/ブルース・スプリングスティーン」

以前にも書いたことがありますが、アーティストはたいていその一番脂がのって創作意欲に満ち溢れている時期に、2枚組アルバムというものを作る傾向があります。いわば絶好調期の旺盛な創作意欲のなせる業であり、間違いなく素晴らしいアルバムになることが多いのです。例えば、ビートルズの「ホワイト・アルバム」ストーンズの「メインストリートのならず者」エルトンの「グッバイ・イエロー・ブリックロード」スティービーの「キー・オブ・ライフ」ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」等々、歴史に名だたる名盤の多くが2枚組である訳です。そして、スプリングスティーンも70年に、押さえきれない創作意欲からこの2枚組アルバム「ザ・リバー」を作ったのでした。

当初前年の79年に、1枚モノの新作アルバム「タイズ・ザット・バインド」としてリリース予定であったロックンロール・アルバムは「十分に私的でない」との理由から練り直され、それまでにないシリアスで聞く者を考えさせる曲が追加された上で、翌年2枚組に仕切り直しされ「ザ・リバー」としてリリースされたのです。「ザ・リバー」は、当初「タイズ・ザット・バインド」収録予定であったロック調のナンバーと新境地とも言えるいくつかのシリアスなナンバーが実にうまく融合しあい、「明日なき暴走」で稀代のロックンローラーとして登場した彼が、人生の“光と影”を歌い上げるアーティスト、スプリングスティーンへの変貌を形作った記念すべきアルバムであるのです。

ロックンロールの合間に散りばめられた絶品のシリアス・ナンバー、絶望がテーマのタイトル曲B6「ザ・リバー」や犯罪をテーマにしたC5「盗んだ車」、C1「ポイント・ブランク」などの創作を経ずして、「ネブラスカ」も「ボーン・イン・ザUSA」も生まれえなかったのです。もっと言えば、スプリングスティーンをスプリングスティーンたらしめ、その後現在に至るまで長年にわたってゆるぎないアメリカン・ヒーローの座につかせたアルバムこそ本作であったと思うのです。本作は2枚組であったにもかかわらず彼が投げ掛ける「希望」と「絶望」に共感するアメリカ中の支持を集め、彼にとって初めての№1アルバムに輝き、B1「ハングリー・ハート」も彼にとって初のトップ5ヒット(最高位第5位)になったのです。

当時の日本では、我も我もとミュージシャンたちがこぞってスプリングスティーンのまねをしていましたが、誰もかれも依然として「明日なき暴走」のイメージの「いつかは陽のあたる場所で成功してやるぜ!」的イメージのまま彼を追いかけていたように思います。そんな日本のミュージシャンたちを尻目に、本家スプリングスティーンは海の向こうで既に、「絶望」は「希望」以上にロックンロールの大きなテーマであることを声高らかに叫んでいたのです。私は、このアルバム「ザ・リバー」こそスプリングスティーンの原点であり、今もって彼の最高傑作であると確信してやみません。