日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№93~70年代の隠れたヒット・メーカー

2009-11-22 | 洋楽
「70年代の100枚」に入れたいものの、アルバム単位でのセレクションと言う観点では悩ましいアーティストもいます。シェール、ギルバート・オサリバンなど、けっこうなヒット曲を持ちながらアルバムはイマイチ注目されなかった人たちをどうするかは難しいところです。トニー・オーランド&ドーンはそんなアーティストのひとつですが、彼らには時代を代表する記録的大ヒット曲があります。思案の結果、70年代にリリースされたベスト・アルバムを取り上げることにします。

№93    「グレイテスト・ヒッツ/トニー・オーランド&ドーン」

トニー・オーランドは70年、自身のデモテープが認められドーン名義でレコード化されたB1「恋するキャンディダ」が全米第3位を記録。その後ドーンは、なぜかトニーが女性バック・シンガー2人を従えたグループとして活動し、71年のB2「ノックは3回」が見事全米№1に輝き、73年にはA1「幸せの黄色いリボン」が4週連続全米№1かつ73年の年間チャートでも№1を記録するメガ・ヒットとなり、その人気を決定付けました。

その「幸せの黄色いリボン」は、実話に基づいた心温まるラブ・ストーリーを見事に歌に落とし込んだ名曲で、日本でも大ヒットしました。刑期を終えて出所した男が、妻に「待ってくれていたなら庭の木に黄色いリボンを結んでくれ」との手紙を出して家に帰ろうとする。結果は遠くからも分かる数え切れないほどの数のリボンが木に結ばれていたというものです。日本ではこの歌を元ネタとして山田洋二監督による「幸せの黄色いハンカチ」が映画化され、日本アカデミー賞を受賞し日本映画史に残る名作にもなっています。

「幸せの黄色いリボン」は、ちょうど私が洋楽にはまり始めた頃のヒット曲で、文化放送の深夜放送「セイヤング」の「今日のベスト10」コーナーでは、長期間連日1位を続けて、私の大好きなTレックスの「20センチュリー・ボーイ」が結局1位になれず悔しい思いをしたことが思い出されます。ラジオ関東の「全米トップ40」では、司会の湯川れい子さんが毎週その週の1位の曲の訳詞を読むのが通例で、この曲が1位になった時には訳詞とともに歌の元ネタエピソードを話していたと記憶しております。いずれにしましても、日米両国で大ヒットした訳で、その後の映画の大ヒットもあわせて70年代を語る時欠かすことのできない曲であることはまちがいありません。

ドーンと言えば何をおいてもこの曲なのですが、この後も実はけっこうヒットを飛ばしていまして、A2「嘆きのジプシーローズ」A4「イチゴ畑のサリーちゃん」などは日本でもスマッシュ・ヒットを記録しています。このベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」は、75年にそれまでのヒット曲を一同に集めた集大成的アルバムとしてリリースされています。それまでもコンスタントにアルバムはリリースしてはいたものの、どちらかというとアルバム単位で聞かせるアーティストではなく、次々リリースされるシングル盤こそかれらの命とも言える訳で、その意味では全盛期にシングル・ヒットを集め編集されたこのベスト・アルバムこそが、彼らの真骨頂であると言っていいのではないでしょうか。

しかしこのアルバムジャケット、トニーのスケベ髭と言い女性の風貌と言いコスチュームと言いお立ち台と言い、どこか場末の飲み屋のマスターと店員の女性って感じが実にバタ臭くて70年代していますね。現在のトニーのオフィシャル・サイトをのぞいてみると、さすがに今はドーンでの活動はないようですが、ソロシンガー、トニー・オーランドとしてライブを中心に精力的にご活躍の様子がうかがわれ嬉しい限りであります。

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