日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

マスメディアの特性を踏まえ「芸能界麻薬汚染」再発防止を考える

2009-08-10 | その他あれこれ
逃げていた酒井法子容疑者が警察に出頭し、事件は収束に向かいました。マスメディアは、これからが本番とばかりに、連日過熱気味の報道を続けています。私が主張する本件に関する「永久追放」の話について、整理してもう一度書き留めておこうと思います。

今回の件でも、押尾学の件でも、再三申し上げている“麻薬汚染芸能人”に対する“永久追放”の件は、別に感情的に申し上げている訳ではなく、「芸能界を特別扱いしない」ルールをしっかりと業界でつくる必要があると考え、他の“人気商売”業界並み基準をルール化するのが当然であると提言しているのです。芸能界は、スポーツ界と並んでその世界に憧れる若者も多い業界であり、その影響力は多大なものがあります。有名芸能人、特にアイドル的な存在が麻薬に手を染めることは、「○○さんがやっていたものを自分も体験したい」ということを引き起こしかねないとも考えられ、この種の法令違反行為はその行為の法的な裁き以上に重い責任がのしかかっていると考えなくてはいけないのです。

これまでも芸能界は業界的に甘いところがあって、芸能人は麻薬関連で逮捕をされても「2~3年“冷や飯”食えばそのうち戻れる」的な扱いが多かったように思うのです。欧米で当たり前のように麻薬が横行し日本でも今のような倫理観が確立されていなかった昭和の時代はともかくとして、今の時代は我々が社会で共同生活をしていくために求められる「コンプライアンス(法令順守)」という考え方が国民的に確立してきています(例えば「飲酒運転撲滅」に関する意識変遷をみれば明らかです)。そんな中、少なくともマスメディアを通じて世間にその姿を映し出しているスポーツ界や芸能界の人々は、人としてその基本中の基本たる最低限のルールに違反するようなことがあるなら、メディアへのタレントとしての登場は永久に許すべきではないと思うのです。

その最大の理由は、マスメディアが持つ登場人物を「偶像化」させる特殊性を強く意識すべきであるということにあります。マスメディアに登場するタレントやスポーツ選手を「事件」後どんな形ででも「復帰」させることは、「時間がたてば許される」→「大した罪じゃない」という「誤認」を権威づけすることにもつながる行為であり、この行為自体が「事件発覚」以上に一般人を誤った判断に導く可能性を秘めているのです。それともうひとつ大切なことは、「社会的制裁を受けた上に永久追放はかわいそう」というような誤った温情処分をしないことです。連日の報道による「社会的制裁」や刑罰を受けることの「法的償い」を受けることと、「マスメディアへの影響力」への配慮は全く別の次元で考える必要があるということを忘れてはいけません。上記のような「マスメディアの影響力」を考えるなら、一層の厳しい対応こそが「再発防止」や一般人に対する「抑止力効果」を生むはずであり、メディアはその責任において今回のような世間的影響力の観点から考えた重大事件に対しての、例外を一切認めない厳しい「統一対応ルール」を決めるべきであると考える訳です。

そこで「提言」。業界的に早期におこなうべきことは以下の3点です。
①民放連や映画等各メディア業界団体等は、「麻薬汚染事件」で逮捕・起訴された人物を「永久追放」とするルールを明文化し、一切の例外を設けない。決定後速やかに「芸能界麻薬撲滅宣言」とともに対外公表する
②芸能プロダクションおよび民放、映画各社等関連企業および業界団体は「麻薬汚染問題」の影響力の重大性を認識のうえ、芸能界コンプライアンスに関する外部識者を入れた第三者団体を早期に設立し、以下の③の対応をはじめとしたコンプライアンス監視体制を確立する
③芸能プロダクションはタレント教育を徹底し、全所属タレントに対して「マスメディアの影響力とタレントの自覚」というプログラムを定期的に実施(外部機関による実施でも可)。定期受講確認がとれている芸能人以外は、民放および映画等への出演を許可しない

この機会こそ業界としてたるんだ体質を正し、業界をあげてのマスメディアを使用する責任重大さを再認識し、襟を正すべき時であると思います。マスメディアは連日のヤジ馬的な報道に終始するのでなく、芸能界における「麻薬問題」根絶に向けてどうようなメッセージを流すべきなのか真剣に考えるべきではないでしょうか。今回の事件における過熱するヤジ馬報道を見るにつけ、根本を見失い自分たちの責任を省みることのないマスメディアの姿にただただ落胆させられるばかりです。