今日はお盆の15日。お盆は古くから祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事であるとされ、中でも人が亡くなり49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を、初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、特に厚く供養する風習があるのです。都会育ちの私などには、全くなじみの薄いことなのですが…。
という訳で、今年は忌野清志郎さんの新盆であります。と、やや強引な流れではありますが、ミュージック・マガジン社から待望の彼の追悼本が出ましたので新盆にちなんで紹介しておきます。
★「忌野清志郎 永遠のバンド・マン(ミュージック・マガジン社1500円)」(MUSIC MAGAZINE増刊)
何が「待望の」なのかと申しますと、他の出版社の追悼本がミュージシャン清志郎の歴史を振り返る的編集であるのに対して、同社には人間清志郎を追い続け音感業界には関係のない人間にまでも取材&草稿させてきた「ミュージック・マガジン」誌ならではの追悼本刊行を期待していたからに他なりません。果たして、期待通りの素晴らしい追悼本がこうして手元に届けられました。渋谷「屋根裏(懐かしい!私も高校時代足を運んだ伝説のライブハウス!)」時代から昨年の「完全復活」まで、約30年の長きに渡り事あるごとに取り上げ、音楽的側面にとどまらない取材を続けてきた同誌の全原稿(じゃないかもしれませんが…)に加えて、新たに今回書き下ろされたいくつかの原稿で構成されたこの追悼号。一冊まるごと「人間清志郎」を浮かび上がらせ、音とは切り離された活字の世界ならではの伝え方によって、その素晴らしい人間性を伝えてくれています。
どの時代の原稿からも感じられるのは、「人間清志郎」はその音楽以上にロッカーであったということ。ロックやブルースをこよなく愛し、思うことあらば歯に衣着せずに世間にモノ申し、一方で家族を大切にし、平和を訴える…、そんな清志郎の姿はロッカーそのものであります。何が本物のロッカーかって、「家族を省みないのがロッカーだ」などと勘違いする輩が多いこの世界にあって、正々堂々と家族を語り家族愛を前表に出して、その世界総和としての「愛と平和」を語る正直さが素晴らしい訳じゃないですか。「愛し合ってるかい?」は決してポーズの決め台詞などではなくて、彼の魂の叫びだった、そんな事実をこの30年分の原稿たちが雄弁に物語ってくれているのです。
彼がなぜ原発に対してあんなに批判的であったのか、なぜジャーナリズムや政治に対して批判の目を向け続けたのか…。それらの根底には愛する家族を守りたい、子供たちの時代には今よりもっと平和で暮らしやすい世界であって欲しい、そんな願いが込められていたのだと改めて知るに至り、自分はなぜもっと早く清志郎を理解しファンになっていなかったのかと、今はただただ悔やまれるばかりです。本誌ではそんな清志郎の“もうひとつの「家族」”であるギタリスト三宅信治への、今井智子のインタビューがまた素晴らしいのです。三宅はアマチュア時代に自ら志願して清志郎の運転手を務め、長い年月を彼のプライベート・スタッフとして過ごし、RC休止後には遂にバックバンド「ナイスミドル」のバンマスの座に座るに至るという、ある意味音楽界の“ジャパニーズ・ドリーム”を地でいくような経歴の持ち主です(あの名曲「JUMP」は、なんと二人の共作!)。彼が語る“ボス”清志郎の思い出エピソードは、清志郎のスタッフに対する「家族愛」に溢れていて思わず目頭が熱くなるのです。
私は70年代末期に登場したパンク・ロックや、その流れを汲み80年代にもてはやされたニューウェーブ・ロックがどうも好きになれません。パンク・ロックの登場は確かに衝撃ではありましたが、そのどこまでも暴力的でアナーキーな音楽からは、音楽に対するあるいは世の中や人生に対する愛情が微塵も感じられないからです。これらの音楽に欠けていた、人々を和ませ、安らがせ、コミュニケートさせ、平和をサポートする世界共通言語の音楽が持つ本来の役割の大切さを、清志郎の生きざまを伝える本書から改めて認識させられるのです。彼に与えられた「キング・オブ・ロック」の称号の本当の意味は、「キング・オブ・アフェクション(愛情)」であったのだと気づかされる良書でありました。私をはじめ生前の「人間清志郎」をよく知らなかった人が読むと、本当に“目から鱗”の一冊だと思います。
という訳で、今年は忌野清志郎さんの新盆であります。と、やや強引な流れではありますが、ミュージック・マガジン社から待望の彼の追悼本が出ましたので新盆にちなんで紹介しておきます。
★「忌野清志郎 永遠のバンド・マン(ミュージック・マガジン社1500円)」(MUSIC MAGAZINE増刊)
何が「待望の」なのかと申しますと、他の出版社の追悼本がミュージシャン清志郎の歴史を振り返る的編集であるのに対して、同社には人間清志郎を追い続け音感業界には関係のない人間にまでも取材&草稿させてきた「ミュージック・マガジン」誌ならではの追悼本刊行を期待していたからに他なりません。果たして、期待通りの素晴らしい追悼本がこうして手元に届けられました。渋谷「屋根裏(懐かしい!私も高校時代足を運んだ伝説のライブハウス!)」時代から昨年の「完全復活」まで、約30年の長きに渡り事あるごとに取り上げ、音楽的側面にとどまらない取材を続けてきた同誌の全原稿(じゃないかもしれませんが…)に加えて、新たに今回書き下ろされたいくつかの原稿で構成されたこの追悼号。一冊まるごと「人間清志郎」を浮かび上がらせ、音とは切り離された活字の世界ならではの伝え方によって、その素晴らしい人間性を伝えてくれています。
どの時代の原稿からも感じられるのは、「人間清志郎」はその音楽以上にロッカーであったということ。ロックやブルースをこよなく愛し、思うことあらば歯に衣着せずに世間にモノ申し、一方で家族を大切にし、平和を訴える…、そんな清志郎の姿はロッカーそのものであります。何が本物のロッカーかって、「家族を省みないのがロッカーだ」などと勘違いする輩が多いこの世界にあって、正々堂々と家族を語り家族愛を前表に出して、その世界総和としての「愛と平和」を語る正直さが素晴らしい訳じゃないですか。「愛し合ってるかい?」は決してポーズの決め台詞などではなくて、彼の魂の叫びだった、そんな事実をこの30年分の原稿たちが雄弁に物語ってくれているのです。
彼がなぜ原発に対してあんなに批判的であったのか、なぜジャーナリズムや政治に対して批判の目を向け続けたのか…。それらの根底には愛する家族を守りたい、子供たちの時代には今よりもっと平和で暮らしやすい世界であって欲しい、そんな願いが込められていたのだと改めて知るに至り、自分はなぜもっと早く清志郎を理解しファンになっていなかったのかと、今はただただ悔やまれるばかりです。本誌ではそんな清志郎の“もうひとつの「家族」”であるギタリスト三宅信治への、今井智子のインタビューがまた素晴らしいのです。三宅はアマチュア時代に自ら志願して清志郎の運転手を務め、長い年月を彼のプライベート・スタッフとして過ごし、RC休止後には遂にバックバンド「ナイスミドル」のバンマスの座に座るに至るという、ある意味音楽界の“ジャパニーズ・ドリーム”を地でいくような経歴の持ち主です(あの名曲「JUMP」は、なんと二人の共作!)。彼が語る“ボス”清志郎の思い出エピソードは、清志郎のスタッフに対する「家族愛」に溢れていて思わず目頭が熱くなるのです。
私は70年代末期に登場したパンク・ロックや、その流れを汲み80年代にもてはやされたニューウェーブ・ロックがどうも好きになれません。パンク・ロックの登場は確かに衝撃ではありましたが、そのどこまでも暴力的でアナーキーな音楽からは、音楽に対するあるいは世の中や人生に対する愛情が微塵も感じられないからです。これらの音楽に欠けていた、人々を和ませ、安らがせ、コミュニケートさせ、平和をサポートする世界共通言語の音楽が持つ本来の役割の大切さを、清志郎の生きざまを伝える本書から改めて認識させられるのです。彼に与えられた「キング・オブ・ロック」の称号の本当の意味は、「キング・オブ・アフェクション(愛情)」であったのだと気づかされる良書でありました。私をはじめ生前の「人間清志郎」をよく知らなかった人が読むと、本当に“目から鱗”の一冊だと思います。