日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

新盆に「清志郎」を読む

2009-08-15 | ブックレビュー
今日はお盆の15日。お盆は古くから祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事であるとされ、中でも人が亡くなり49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を、初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、特に厚く供養する風習があるのです。都会育ちの私などには、全くなじみの薄いことなのですが…。

という訳で、今年は忌野清志郎さんの新盆であります。と、やや強引な流れではありますが、ミュージック・マガジン社から待望の彼の追悼本が出ましたので新盆にちなんで紹介しておきます。

★「忌野清志郎 永遠のバンド・マン(ミュージック・マガジン社1500円)」(MUSIC MAGAZINE増刊)

何が「待望の」なのかと申しますと、他の出版社の追悼本がミュージシャン清志郎の歴史を振り返る的編集であるのに対して、同社には人間清志郎を追い続け音感業界には関係のない人間にまでも取材&草稿させてきた「ミュージック・マガジン」誌ならではの追悼本刊行を期待していたからに他なりません。果たして、期待通りの素晴らしい追悼本がこうして手元に届けられました。渋谷「屋根裏(懐かしい!私も高校時代足を運んだ伝説のライブハウス!)」時代から昨年の「完全復活」まで、約30年の長きに渡り事あるごとに取り上げ、音楽的側面にとどまらない取材を続けてきた同誌の全原稿(じゃないかもしれませんが…)に加えて、新たに今回書き下ろされたいくつかの原稿で構成されたこの追悼号。一冊まるごと「人間清志郎」を浮かび上がらせ、音とは切り離された活字の世界ならではの伝え方によって、その素晴らしい人間性を伝えてくれています。

どの時代の原稿からも感じられるのは、「人間清志郎」はその音楽以上にロッカーであったということ。ロックやブルースをこよなく愛し、思うことあらば歯に衣着せずに世間にモノ申し、一方で家族を大切にし、平和を訴える…、そんな清志郎の姿はロッカーそのものであります。何が本物のロッカーかって、「家族を省みないのがロッカーだ」などと勘違いする輩が多いこの世界にあって、正々堂々と家族を語り家族愛を前表に出して、その世界総和としての「愛と平和」を語る正直さが素晴らしい訳じゃないですか。「愛し合ってるかい?」は決してポーズの決め台詞などではなくて、彼の魂の叫びだった、そんな事実をこの30年分の原稿たちが雄弁に物語ってくれているのです。

彼がなぜ原発に対してあんなに批判的であったのか、なぜジャーナリズムや政治に対して批判の目を向け続けたのか…。それらの根底には愛する家族を守りたい、子供たちの時代には今よりもっと平和で暮らしやすい世界であって欲しい、そんな願いが込められていたのだと改めて知るに至り、自分はなぜもっと早く清志郎を理解しファンになっていなかったのかと、今はただただ悔やまれるばかりです。本誌ではそんな清志郎の“もうひとつの「家族」”であるギタリスト三宅信治への、今井智子のインタビューがまた素晴らしいのです。三宅はアマチュア時代に自ら志願して清志郎の運転手を務め、長い年月を彼のプライベート・スタッフとして過ごし、RC休止後には遂にバックバンド「ナイスミドル」のバンマスの座に座るに至るという、ある意味音楽界の“ジャパニーズ・ドリーム”を地でいくような経歴の持ち主です(あの名曲「JUMP」は、なんと二人の共作!)。彼が語る“ボス”清志郎の思い出エピソードは、清志郎のスタッフに対する「家族愛」に溢れていて思わず目頭が熱くなるのです。

私は70年代末期に登場したパンク・ロックや、その流れを汲み80年代にもてはやされたニューウェーブ・ロックがどうも好きになれません。パンク・ロックの登場は確かに衝撃ではありましたが、そのどこまでも暴力的でアナーキーな音楽からは、音楽に対するあるいは世の中や人生に対する愛情が微塵も感じられないからです。これらの音楽に欠けていた、人々を和ませ、安らがせ、コミュニケートさせ、平和をサポートする世界共通言語の音楽が持つ本来の役割の大切さを、清志郎の生きざまを伝える本書から改めて認識させられるのです。彼に与えられた「キング・オブ・ロック」の称号の本当の意味は、「キング・オブ・アフェクション(愛情)」であったのだと気づかされる良書でありました。私をはじめ生前の「人間清志郎」をよく知らなかった人が読むと、本当に“目から鱗”の一冊だと思います。

野口吉昭講演会~組織は現場から変える!

2009-08-13 | ブックレビュー
10日の日に、新宿紀伊国屋ホールに「コンサルタントの質問力」でおなじみ野口吉昭氏の講演を聞きに行きました。今回の演題は、「組織は現場から変える!」。最新刊「ネコに学ぶ組織を変える9つの教え」をベースにした新しい組織論のお話です。

まず野口さん、著作は何冊も読んでいますが、本人の話を聞くのは全く初めて。著作の印象からは、けっこうマジメで堅物のイメージを抱いていたので、にこやかな表情と柔らかい語り口に、まずビックリさせられました(って勝手に私が思い込んでいた先入観のせいですが…)。適度なジョークで会場をなごませながら、実に上手に演題を展開していきます。講演のベースになっている新刊「ネコに学ぶ…」は、スティーブンCランディン氏の著作で、野口氏は監修者という立場でのかかわりです。本書は、“9つの命を持つ”と言われるネコの特性になぞられて、構成員が組織に媚びる“犬型”の組織運営からの脱却をはかりイノベーションを起こして今の時代を勝ち残る組織をつくろうということが主題です。ちなみにランディン氏は、元気の出る組織をつくる秘訣をいた「フィッシュ!」で一躍注目された、マネジメントや教育をベースに持つ作家兼映像製作者であります。

本の中では、海外のネコちゃんにまつわる諺「ネコは9つの命を持つ」というところから、9つのポイントをあげてイノベーションにつなげる心構えを説いています。その9つにここでは具体的には触れませんが、全体のキーワードになりそうなことは「好奇心」じゃないかなと読みとれます。イケてるモノ・コト・場所にうるさいとか、「これいいじゃん」と喜ぶとか、そんなことが書かれている訳で、それらの裏にあるのは「好奇心」という感じでなのですね。講演では、その辺は最後に少し触れてましたが、主に前段となる今の時代を解くキーワード「パラダイム」についていろいろな観点や、いろいろな分野から実例をひきながらかなり入念に解説してくれました。ちなみに、「パラダイム」とは一般的に「時代の思考を決める枠組み、構成」とかいう解釈になるのでしょうか。もともとは科学用語から出てきたようですが、本来の科学の世界で使われている意味合いとなやや異り、そんな意味あいで一般的に流通しているように思います。

その「パラダイム」を知ることだけでなく、「パラダイム」を察知したらいかにしてそこに飛び込んでいくかということ、すなわちいかに「イノベーション」を実現できるかこそがこの時代の生き抜くポイントであり、そのカギを握る組織やビジネス・パーソンの行動をキャッツ(=ネコ)から学ぼうという流れで1時間半の講演が構成されていた訳です。沢山の実例の中に数々の有名企業の話や、著名ビジネス・パーソンの話がちりばめられ、とても分かりやすく適度に刺激を与えてもらいつつ最後は主題に落ち着かせるお見事な講演であったと思います。

実は「ネコに学ぶ…」の本の方は、はじめに読んだ時点ではいまいちピンとこないなぁと言う印象だったのですが、この日の話を聞いて思いがけずスッキリ。野口さんがあえてこの本を監修した理由が非常によく理解できました。あちらの本の日本語版というのは、どうしてもその主題の伝わり方が少し弱いケースがあって、その意味では自作の本に関連する講演会よりもむしろこういった訳本に関しての開くことのほうが意義深かったりするんですね。と言う訳でレビューですが、本自体は10点満点で7点、講演まで含めると9点といった感じです。

野口さんの話しておられたことは大半、私自身が自社で実践が出来ていると感じられましたので、個人的には少しばかり元気づけられた気分で新宿を後にしました。
いろいろな意味で、得るところのアリの講演会でありました。
野口さん、ありがとうございました。

日本政府は、硫黄島の「平和利用」を検討せよ!

2009-08-11 | その他あれこれ
毎年お盆時期になると、第二次大戦を題材にしたドキュメンタリー番組が放映されています。平和の願いを込めた番組の多くには共感、感動を覚えることが多く、私はこの手の番組が大好きです。今年は8日(日)の深夜のNTVで、「戦場のラブレター 玉砕の島で拾われた手紙」を見て、考えさせられる事がありましたので記してみます。

この番組は、戦時中硫黄島で日本兵に宛てた家族の手紙を拾い長年保管してた元米国兵から、手紙を書いた主の日本人へその手紙が63年ぶりに戻されたという話を軸に、戦争の悲惨さ無益さを訴えかけるものでした。硫黄島は、大戦中において戦争の雌雄を決するとされた日米決戦の島であり、両国軍が1か月にわたる必死の攻防を繰り広げたがために、日本軍は壊滅状態、米国軍も他にないほどのダメージを負った最も悲惨な戦場でありました。一昨年硫黄島を舞台にし、日本の側とアメリカの側という違った視点で同じ戦争を捉えた2本の映画がクリント・イーストウッド氏によって制作され話題になった記憶も新しいところです。

番組では、元米国兵が長年にわたって戦争の記憶に胸を痛めつつ保管した日本兵宛の家族からの手紙を60余年を経た今ようやくその主に戻すことで、無益な戦場における戦争の悪夢から解き放たれ、戦争がなければ同じ島で同じ時を過ごした米国人と日本人の間の人間としてのあるべき絆が、ようやくわずかながら紡がれていく様子が描かれていました。第二次大戦における硫黄島の特殊性がよく分かるエピソードであり、それを通じて我々がもっともっと知らなくてはいけないこと、意識しなくてはいけないことがたくさんあるのだということを教えてくれるものでもありました。

毎年この時期になると、戦争の悲惨さや平和への願いを訴えるテレビ番組が組まれてはいますが、結局は一過性のキャンペーンのようでもあり、この時期が過ぎてしまえば広島も長崎も沖縄もサイパンも、何事もなかったかのように普通の時が流れていく訳です。本当にそれでいいのか、もっともっと日常的に戦争の愚かさを知らしめることを通じて平和を訴え続ける方法はないのだろうか。それは、毎年この時期が終わる頃、個人的に思い続けてきたことでもありました。そしてその解決のヒントが、今年この番組を見て硫黄島にあるように思えたのです。

硫黄島は世界中で唯一、日本とアメリカが合同で戦没者慰霊祭を開催している場所です。今回の番組でも象徴的に取り上げられているように、戦争中のとある1ヶ月間に何万人と言う考えられないほど多くの日本人と米国人がこの太平洋の小さな島で、本来もっと人間的なコミュニケーションを持つために出会うべき人々が、国家の誤った指導のもとに無益な戦いを繰り広げた戦争の象徴の場所でもあるのです。番組の終盤に映し出された年老いた両国民合同での慰霊祭の様子は、戦争がなければ握手を交わし肩をたたき合えるはずの国籍の異なる人々の、過去から現在に連なる同じ悲しみを映し出していました。

この番組を見て思ったことは、硫黄島はもっと世界平和のために活用されるべきでないのか、ということです。どんな映画やどんなドキュメンタリーによる平和祈念も、「現場力」による訴えかけにはとうていかないません。そして今世界中で、戦争の愚かさを最も強く「現場力」をもって訴えかけられる場所は、この硫黄島をおいて他にはないと思うのです。なぜなら、硫黄島は戦後日本に返還された後も、自衛隊の管理地として一般人には開放されず、戦時中の土豪や兵士が使用した備品の数々、あるいは戦死者の遺骨の破片などがそのままの状態であり、生活感ゼロの戦争の「悲惨な現場」をストレートに伝える力をいまだにもっているからです。自衛隊管理として一般開放してこなかったことが、結果戦後60余年にわたって奇跡的にこの“人類の愚かな遺産”を残し続けることになったとも言えるのですが…。

私の言いたいことはただひとつ。この“人類の愚かな遺産”を、平和憲法を掲げる第二次大戦の責任国である日本は、広く世界に平和を訴えかける場所として公開すべきであるということです。硫黄島は戦後自衛隊の管轄になった経緯は、詳しいことは存じませんが、冷戦体制の対東側防衛戦線として沖縄と並ぶ有事拠点の位置付けであったのではないかと想像しています。現在、アジアにおける北朝鮮問題はあるものの東西冷戦の時代は遠い昔話になっており、硫黄島を「防衛」と言う「戦争」につながる目的で利用する必要性を感じませんし、なにより日米の戦争の犠牲者慰霊の観点からは「防衛」ではなく積極的な「平和利用」こそすべきであると思うのです。

日本政府は、防衛費の一部を使ってでも硫黄島整備に着手し、国の管理の下(民間の商業目的は排除が妥当)「日帰り慰霊&見学コース(羽田から2時間)」を作るなどして、世界中からの慰霊者、平和祈念者、教育目的団体を受け入れるべきではないでしょうか。なぜ、いまだに硫黄島を自衛隊管理下において、遺族への慰霊祭以外での入島を禁止しているか私には分かりません。同じ防衛予算でも、平和を訴えかけることに異論をはさむ人は少ないはずです。また同じ施設予算でも、意味のないハコモノを作るよりもよほど意義深いのではないでしょうか。ドキュメンタリー番組を見て硫黄島の特異性を知れば知るほど、日本政府はこの島の平和活動に向けた利用価値になぜ目をつぶったままなのか、強く疑問に思うところであります。

番組の最後に手紙を保管していた年老いた元米国兵がこう言います。「戦争は勝った側も負けた側も、結局はどちらも負け。罪のない人たちに悲惨な状況だけが残されるのです」。「防衛」の名の下に、依然自衛隊の訓練場所となっている硫黄島。本当にその利用方法でいいのか、戦後60余年平和に対する世界観が大きく変わってきている中で、島が持つ悲しい過去の記憶を日本政府は今一度よく考えてみるべき時に来ているのではないでしょうか。

マスメディアの特性を踏まえ「芸能界麻薬汚染」再発防止を考える

2009-08-10 | その他あれこれ
逃げていた酒井法子容疑者が警察に出頭し、事件は収束に向かいました。マスメディアは、これからが本番とばかりに、連日過熱気味の報道を続けています。私が主張する本件に関する「永久追放」の話について、整理してもう一度書き留めておこうと思います。

今回の件でも、押尾学の件でも、再三申し上げている“麻薬汚染芸能人”に対する“永久追放”の件は、別に感情的に申し上げている訳ではなく、「芸能界を特別扱いしない」ルールをしっかりと業界でつくる必要があると考え、他の“人気商売”業界並み基準をルール化するのが当然であると提言しているのです。芸能界は、スポーツ界と並んでその世界に憧れる若者も多い業界であり、その影響力は多大なものがあります。有名芸能人、特にアイドル的な存在が麻薬に手を染めることは、「○○さんがやっていたものを自分も体験したい」ということを引き起こしかねないとも考えられ、この種の法令違反行為はその行為の法的な裁き以上に重い責任がのしかかっていると考えなくてはいけないのです。

これまでも芸能界は業界的に甘いところがあって、芸能人は麻薬関連で逮捕をされても「2~3年“冷や飯”食えばそのうち戻れる」的な扱いが多かったように思うのです。欧米で当たり前のように麻薬が横行し日本でも今のような倫理観が確立されていなかった昭和の時代はともかくとして、今の時代は我々が社会で共同生活をしていくために求められる「コンプライアンス(法令順守)」という考え方が国民的に確立してきています(例えば「飲酒運転撲滅」に関する意識変遷をみれば明らかです)。そんな中、少なくともマスメディアを通じて世間にその姿を映し出しているスポーツ界や芸能界の人々は、人としてその基本中の基本たる最低限のルールに違反するようなことがあるなら、メディアへのタレントとしての登場は永久に許すべきではないと思うのです。

その最大の理由は、マスメディアが持つ登場人物を「偶像化」させる特殊性を強く意識すべきであるということにあります。マスメディアに登場するタレントやスポーツ選手を「事件」後どんな形ででも「復帰」させることは、「時間がたてば許される」→「大した罪じゃない」という「誤認」を権威づけすることにもつながる行為であり、この行為自体が「事件発覚」以上に一般人を誤った判断に導く可能性を秘めているのです。それともうひとつ大切なことは、「社会的制裁を受けた上に永久追放はかわいそう」というような誤った温情処分をしないことです。連日の報道による「社会的制裁」や刑罰を受けることの「法的償い」を受けることと、「マスメディアへの影響力」への配慮は全く別の次元で考える必要があるということを忘れてはいけません。上記のような「マスメディアの影響力」を考えるなら、一層の厳しい対応こそが「再発防止」や一般人に対する「抑止力効果」を生むはずであり、メディアはその責任において今回のような世間的影響力の観点から考えた重大事件に対しての、例外を一切認めない厳しい「統一対応ルール」を決めるべきであると考える訳です。

そこで「提言」。業界的に早期におこなうべきことは以下の3点です。
①民放連や映画等各メディア業界団体等は、「麻薬汚染事件」で逮捕・起訴された人物を「永久追放」とするルールを明文化し、一切の例外を設けない。決定後速やかに「芸能界麻薬撲滅宣言」とともに対外公表する
②芸能プロダクションおよび民放、映画各社等関連企業および業界団体は「麻薬汚染問題」の影響力の重大性を認識のうえ、芸能界コンプライアンスに関する外部識者を入れた第三者団体を早期に設立し、以下の③の対応をはじめとしたコンプライアンス監視体制を確立する
③芸能プロダクションはタレント教育を徹底し、全所属タレントに対して「マスメディアの影響力とタレントの自覚」というプログラムを定期的に実施(外部機関による実施でも可)。定期受講確認がとれている芸能人以外は、民放および映画等への出演を許可しない

この機会こそ業界としてたるんだ体質を正し、業界をあげてのマスメディアを使用する責任重大さを再認識し、襟を正すべき時であると思います。マスメディアは連日のヤジ馬的な報道に終始するのでなく、芸能界における「麻薬問題」根絶に向けてどうようなメッセージを流すべきなのか真剣に考えるべきではないでしょうか。今回の事件における過熱するヤジ馬報道を見るにつけ、根本を見失い自分たちの責任を省みることのないマスメディアの姿にただただ落胆させられるばかりです。

NEWS雑感~訃報大原麗子・酒井法子に逮捕状

2009-08-07 | ニュース雑感
●大原麗子さん訃報に思う

女優の大原麗子さんが亡くなられたとのNEWSには、一瞬耳を疑いました。近年は難病に煩わされていたとの話は聞いていましたが、すっかりテレビでその姿を見かけなくなり、どうしているのかと思った矢先の訃報でした。享年62歳は若すぎる死ですね。

大原麗子さんと聞いて私らの世代がすぐに思い浮かべるのが、「サントリー・ウイスキー」のコマーシャル。「すこし愛して、なが~く愛して」という例のヤツです。このコマーシャル、当然コピー・ワークも冴えていますが、コピーが加味し出す雰囲気が女優大原麗子の魅力と嗜好品であるサントリー・ウイスキーの商品性の双方に見事にマッチし、商品イメージ、さらには企業イメージ向上にまで貢献した見事な広告であったと思います。とりもなおさず、大原さんが「個性」と言う言葉では表しきれない独特の「色」を持っていたからこそ作りえた素晴らしい作品であり、大原さんはクリエイターが創作意欲をかきたてられる本当にすばらしい魅力にあふれた方であったと今さらながら思わされます。

最近のテレビ・コマーシャルは、確かにイメージの良いタレントばかりが使われ、印象重視の作品がたくさん送り出されてはいます。しかしながら、あの当時のコマーシャルのような「大原さんだからできた」的な「色」のある作品が今どれほどあるかと考えると、ほとんど思い当たらないのが実情ではないでしょうか。大原麗子さん、本当に魅力的な方でした。我々よりも上の世代にとっては、吉永小百合さんが戦後日本の平和を象徴する「色」で絶大な支持を得た女優であるように、我々世代にとっては大原麗子さんが、昭和の安定成長期=「一億総中流」時代の憧れの象徴であったように思います。またひとつ、時代の象徴が消えた寂しさをしみじみ感じます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


●酒井法子に逮捕状。麻薬汚染の“マンモス”バカ夫婦

今日の昼前、「消息不明の酒井紀子に逮捕状!」というショッキングなNEWSが駆けめぐりました。自称“プロサーファー”の夫が覚せい剤取締役法違反で逮捕され、その直後から失踪→行方不明を続けている彼女。「夫の逮捕に、家庭に恵まれなかった彼女がショックを受けたのではないか」「精神的にダメージから自殺の恐れもあり心配」などと同情的な報道がなされる中、急転直下逮捕状が出されるという事態になり、大変驚くとともに押尾学に続く芸能界麻薬汚染事件に強い憤りを感じています。

要は単なる“バカ夫婦”だった訳で、幼い長男の将来を考えると本当にどういう神経でそんなバカげたことを夫婦でしていたのか、あいた口がふさがりません。とにかく逃げていないで、一刻も早く姿を現し世間に謝罪するとともに罪をつぐない更生すべきであることは言うまでもありません。逃げ隠れる神経は本当に分かりません。“マンモス”バカ女です。押尾学の件同様、所属のサンミュージックは、この問題を同社の「商品管理」における重大な事故事例ととらえ、管理体制、タレント教育における現状の検証と再発防止策を明確に提示すべきであると申し上げておきます。

バカげた逃走劇の一刻も早い終結と、押尾学に続く「芸能界永久追放」処分による対芸能界麻薬汚染“抑止力”の確立を強く望みます。放送局や映画会社等の関連業界団体は、「永久追放」という処分を明確にルール化したらいいのではないでしょうか(実際にプロ野球や相撲会には「永久追放」処分が存在し、相撲界でロシア人力士が麻薬疑惑で「永久追放」になったのは記憶に新しいところです)。注目度の高い芸能界にハッキリと明文化された“規律”を作ることで、大学生をはじめ一般にも広がる麻薬汚染を食い止める有効な策になると確信しております。

怪しい(?)“取材”申し込み

2009-08-06 | その他あれこれ
昨日の出来事です。

事務所のスタッフが電話をとりしばらく相手の話を聞いてから、「はぁ、少々お待ちください…」と私につなぎました。「ホウドウツウシンというところが、取材をしたいとか言ってます…?」「共同通信?」「いや、ホウドウツウシンって…」

私は、共同通信だろうと思って電話を受けると、確かに「わたくし報道通信の○○と申します」と言っております。「ホウドウツウシンさん?」とハッキリした発音で一応聞き返すと、「はいそうです」と元気な受け答え。「うーん、あ・や・し・い…」と私の中で、心の囁き。引き続き彼の申し出は、「取材をしたい」「社長のお話をうかがいたい」「俳優の穂積隆信さんが聞き役で、対談形式の取材です」…。なんだかよく分かりません。うちの「複合ランドリー」に関心があっての取材かと最初は思ったのですが、どうも違うみたい。「コンサル企業を開業されたいきさつなどを…」。益々怪しい…。

雑誌名を尋ねると、「報道ニッポン」とか。聞いたことないな。「会員向けですか?書店売りですか?」「書店売りしてます」「うちを取材したい理由は何ですか?」「いや、しっかりした企業ということで。うちの雑誌はちゃんとした企業のトップに毎回出ていただいており、いい加減な企業にはお願いできませんので…」「うちは変な会社ですよ」「そんなご謙遜を。帝国データバンクや東京商工リサーチさんで調べた結果も参考にしてまして…」。こちとら、企業時代にプレス担当を長年やってきて、取材理由の希薄な取材申し込みほど怪しいものはない、と心得ております。かつ、「報道通信」も「報道ニッポン」も聞いたことがありません。

まず頭に浮かんだのは、一時代前の“総会屋雑誌”。大手企業に取材を仕掛け、「受けなければ総会で騒ぐぞ」とか、「何書かれてもいいんだなとか」暗にそんなことを匂わせながら“取材費”名目で、小金をせびった輩です。まぁでも、今や法改正で総会屋なんて過去の存在ですからね。一応そんなことが思い当たったので、「取材を受けるとお金がかかるとかありますか?」と尋ねると、「はい、取材協力費を頂いております」という答え。やっぱり!今時そんな商売があるんだと驚きました。総会屋が堕ちて行ったなれの果てのビジネスでしょうか?もちろん、「うちはお金を出して、取材を受けるほど余裕のある企業ではありませんので」と、キッパリお断りさせていただきました。

ネットですぐ調べると、同じような電話を受けている人たちのお話が、出るは出るは…。中には「詐欺まがい」とかいう表現もあり、当の報道通信社なる企業は、「当社のビジネスを“詐欺まがい”などと一部ネットで扱われている件は大変遺憾である」と抗議のメッセージも掲載していました。確かに、はじめから取材費がかかる旨を表明し了解を得て“取材”をするなら「詐欺」ではないでしょう。でもまぁ、マスメディアである市販雑誌(と彼らは言ってます)として取り上げるからにはそれなりの理由は必要な訳で、明確な理由なく「しっかりした会社だから、社長の話が聞きたい」って、一般雑誌の取材理由としてそんないい加減なものが通る訳ないですよね。どこでうちのことをピックアップしたのか知りませんが、“下手な鉄砲”の世界でしょうか。

さらに問題点は、有名人を使って“媒体権威づけ”をしている点。これはもう、メディアとして失格です。同社のホームページを見ると、インタビュアーとして、芸能人の名前が写真入りでズラリ。先の穂積さんをはじめ、大石吾朗、元シブガキ隊の府川敏和、三原じゅん子、石橋正次、吉沢京子、大沢逸美、加納竜…。最近ブラウン管でご無沙汰の面々ばかりです。まぁ本当に彼らが来るのは間違いないようですが、先の取材申し込みの方法、勧誘時のタレントの名前の利用の仕方等々、タレント事務所もこのビジネスをちゃんと理解しているのか疑問ですね。理解したうえで、カネになるなら何でもいいかのように、タレントをこの仕事に送り出しているとしたらタレントの事務所側も問題アリですね。

「有名人と社長の対談を記事体広告で本誌の載せて、御社をPRしませんか」だったら、はじめからそう言えばいい訳です。「取材の申し込みですが…」と言うのは、同社の営業の仕方として根本的に間違っています。この一般取材を装っての広告勧誘は“詐欺まがい”と言われても仕方のない、明らかに信義則に反するやり方です。広い世の中には、お金を払ってでも昔売れたタレントと話をして、自分のインタビュー記事が掲載された雑誌が欲しいという社長は、結構いるのかもしれませんが…。いずれにしても正々堂々「有料の記事体広告のご案内です」と最初にハッキリ言うべきじゃないんですか、共同通信じゃなかった報道通信さん?

押尾学は「永久追放」が妥当!所属事務所は管理責任を果たせ!

2009-08-04 | ニュース雑感
俳優の押尾学が、麻薬取締法違反で逮捕されました。

50オヤジの私は押尾学なる人物をよく存じ上げませんが(名前は知っていますが顔は判別できずのレベルです)、周囲の者の話では「ちょっと人気になって、態度が横柄だった」「かなり天狗になっていた」「イケ好かない」等々あまり評判がよろしくないようです。こういう事件が起きるといつも言うのですが、当の本人が一番悪いのは当然ですが、素行を矯正できずチヤホヤしまくる所属事務所はじめ周囲にも大いに責任ありな訳です。

事件の“落とし前”どうつけるかですが、まず押尾くん、君はキツ~い“オシオき”もんだわ(出た!オヤジ)。
手が震え、顔が青白いなどの違法薬物中毒の症状があり任意で尿検査を実施して、薬物使用が判明しての逮捕だそうで、「友人からもらった固形物を飲んだことは間違いないが、違法なものだとは思わなかった」って、そんな子供じみた言い訳が通用するとでも思っている訳?しかも彼が出入りしていたマンションで、知人の女性が全裸で死んでいたって、どう考えてもまともじゃないでしょその流れ。一児の父でもある大の大人が、いい年してくだらないことやってるんじゃないよって感じですよね、ホント。性格だけじゃなくて頭も相当悪かったという訳です。

具体的な彼の“オシオき”としては、「永久追放」が妥当でしょう。大学生の麻薬事件でも即退学扱いですから。彼は即引退で何の問題もないと思います。麻薬で法を犯した“思い上がり芸能人”は、二度と浮かび上がらせてはいけないのです。この手の事件は現代の重大犯罪ですから、メディアも関係者も彼に対しては真に厳しい姿勢での対応を望みます。彼を芸能界から「永久追放」し、「麻薬に手を出すと永久追放になる」という前例をつくることは十分今後の抑止力となります。逆に彼がまたしばらくしてテレビや映画に登場しようものなら、再発防止になんの力も持たないのです。分別のつかないハタチ前のガキじゃないのですから、麻薬に手を染めるなどという人として最も恥ずべき犯罪には、仕事の上での“極刑”に処すべきというのが私の持論です。

それともうひとつ、再発防止に向けた大きなポイントとして、所属事務所の管理責任追及があります。今回彼が所属する芸能事務所「エイベックス・マネジメント」の対応ですが、3日付で「契約違反行為があった」として彼との契約を解除と、ホームページで「ご迷惑をおかけすることを心よりおわび申し上げます」とのコメントを発表するにとどまっています。これでは、ジャニーズ事務所と全く同じです。こんな“臭いものにフタ”的逃げの姿勢を許してはなりません。

所属事務所としての事の重大さを認識し管理責任を果たすべく、社長または同等クラスのしかるべき人物による謝罪会見を開いた上で、なぜ事務所が“自社商品”の管理が出来なかったのかその原因究明と、再発防止策の提示&実行をさせなければ事を収束させてはいけないのです。本人解雇の“トカゲの尻尾切り”&ホームページでの“形式的お詫びメッセージ”で済ませては、絶対になりません。マスメディアは、報道機関の責任において、彼の所属事務所がその重い腰を上げるまで糾弾の手を緩めてはいけないのです。

麻薬撲滅に向け、こういった重大事件が起きた際には、同じような件を二度と起こさないという再発防止の観点から、麻薬に手を出した本人と所属事務所がどういう致命的な目に会うのか形をもって世に示す必要があると思うのです。

マニフェストに求められる基本とは?

2009-08-03 | ニュース雑感
金曜日にようやく自民党のマニフェストが出されました。

この週末にマスメディアでは自民、民主両党のマニフェストについてかなりいろいろな報道がなされておりますが、両党のマニフェストを見る限りまだまだ日本の政党はそのなんたるかを十分に心得ていない、と思えるような点ばかりが目についてしまいます。

一言で言うなら、両党のマニフェストとも全くロジカルでないという点に尽きるでしょう。何より、衆議院の任期4年の間に日本をどうするのかという「GOAL」が見えていません。自民党はかろうじて2010年度後半に2%の経済成長を実現するというマクロ的な「目標」らしきものを掲げていますが、4年後に関してはどうなるのか、この2%の成長がどうのような日本をつくることなのか、単に不況からの脱出をはかるだけのものなのか、大きな構想の布石であるのか…、まったくイメージができません。2%の経済成長にしても、各マスメディアで言われていることですが、裏付けとなる具体的な施策が盛られておらず、全く説得力に欠けております。

民主党に至っては、マクロ的な「目標」は一切なく、ただ単に単発の施策を並べただけに終始しています。政権政党になる可能性がない野党であれば、「日本をどうする、こうする」と論じることはかえって非現実的な無責任発言であり、むしろ与党の方針に対して単発の政策をぶつけ“方針修正”をぶち上げることがマニフェストの中心になるのは正しい方向であると思います。しかしながら、今回の選挙で政権の座を奪い、国家運営を自らの手でしていこうという政党が、単発の政策を並べただけの「目的(GOAL)」設定のないマニフェストしか出せないのでは、政権政党にふさわしいかどうか判断をしろというほうが難しいのではないでしょうか。

政権を争う2大政党のマニフェストは本来、まず基本に「目的(GOAL)=全体目標」ありきでつくられるべきものです。衆院任期4年の間における「GOAL」を提示せずして、その先の政策はあり得ないのです。「GOAL」を設定したうえで、それを実現するためのポイントを3点程度に絞り込む、さらにそれぞれについて具体的施策を3点程度づつ提示をする。言ってみれば、「WHY」-「WHAT」-「HOW」のロジック・ツリーの形式で国民に「何を実現するため」に「何が必要」で「具体的に何をする」のかを明確に提示できなければ、政権政党の資格なしと言っていいのではないでしょうか。

民主党の「子ども手当」にしても、自民党の「幼稚園、保育園の無料化」にしても、施策そのものが悪いと申し上げるつもりは毛頭ありませんが、両党の「目的(GOAL)」実現に向けたどのポイントに属する施策であるのかが明確でない以上は、単なる「バラマキ」と言わざるを得ないのです。繰り返しますが、政権を担わない野党なら政権政党に要望し押し込む「バラマキ」的施策の提示もやむを得ない面もありますが、政権政党を目指す2大政党はそれでは困ります。国民に目先のメリットを強調する施策であろうとも、それを提示する以上は「目的(GOAL)」設定のもとマッピングされたポジションへの落とし込みができないなら単なる選挙対策の人気取り施策に過ぎない訳で、それでは政権担当能力があるとは到底言えないと思うのです。

「目的(GOAL)」のもと施策がロジカルに展開されていないという点で、今回の自民、民主両党もマニフェストとして合格点は到底もらえない状況であることは間違いありません。民主党のマニフェストの問題点は、「目的(GOAL)」に基づくロジカルな施策への落とし込みがない点に尽きるでしょう。一方の自民党、マクロ目標をかろうじて含んでいる点は、まだ多少分がありそうな気もしますが、衆院任期の4年を超えた後に責任を先延ばしするような政策もあり、総合的に見ればやはりどっちもどっちの“アイコ”状態です。ただマスメディアで評論家の皆さんがおっしゃっている通り、自民党の“後出しジャンケンでアイコ”というのは、あまりに情けない。それと、現政権担当政党ですから、前回マニフェストの達否検証をおこなうことは政権政党の義務であるはずですが、全くそれには触れずじまい。この点はどう考えても目をつぶれません。致命的ですね。

いずれにしましても、マニフェストと言うものの基本的な考え方が、まだまだ両党ともお分かりではないようで…。公示日公表の正式マニフェストへの盛り込みでもかまいません、それが無理なら投票日までの個別討論の中でもかまいません、「目的」を明示すること、「目的(GOAL)」と「施策」の関係の明確化をはかること、「検証」を原則としてつくられるものであること(特に自民党は前回の「検証」は必須)、両党とも最低この程度は明確にしていただかないと、どちらが政権政党にふさわしいのか判断材料があまりに乏しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。

〈70年代の100枚〉№78~不確実性のニクソン時代、人々の心に響いた名曲

2009-08-02 | 洋楽
ビートルズのアイドルでもあった50年代伝説のロック・ヒーロー、バディ・ホリー。ほとんど自作のないプレスリーに対して、素晴らしくメロディアスな自作曲で大活躍しながら、惜しくも飛行機事故で22年の短い生涯を閉じた彼。歴史に「もしも」が許され彼が60年代70年代に活躍できたなら、ポピュラー音楽の歴史は大きく変わっていたことでしょう。70年代にリンダ・ロンシュタットでヒットした「イッツ・ソー・イージー」なんかを、50年代に書いていた人ですから…。そんな彼の死から14年後の72年、その不慮の死を悼む歌が全米チャートを賑わしました。

№76   「アメリカン・パイ/ドン・マクリーン」

ドン・マクリーンは、バディ・ホリーに憧れロックンロール・シンガーとして活動の後、ボブ・ディランの師匠であるウディ・ガスリーと並ぶフォーク界の巨匠ピート・シガーに師事し、ブルース、フォーク、カントリーの道へと入り込みます。しかしながら、70年のデビューアルバム「タペストリー」は全く売れず。心機一転、レコード会社を移籍して出した71年の「アメリカン・パイ」が、思いもかけない大ヒットになるのです。この曲で彼は、彗星のごとき登場を果たしたのです。

「昔々、音楽を聴くと何とはなくにっこりさせられる時代があったんだ…」で始まるこの歌は、彼にとっての永遠のアイドル、バディ・ホリーが活躍していた時代を素晴らしい時代としてたたえ、彼が飛行機事故で死んだ58年2月3日を「音楽が死んだ日」として、バディとの惜別の思いを8分半にわたり切々と歌いあげているのです。時代はくしくも、バディの影響を受けて育ったビートルズが解散し、ポピュラー音楽界が混とんとした70年代を走り始めたちょうど折も折。世の中が、ビートルズに代わる新たな「星」を探し求める中、人々の心から忘れかけていた“悲運のスター”バディ・ホリーにスポットを当てたこの歌は、音楽ファンにとってカオスの時代からの脱出のヒントを与えられたかのようにも映ったのかもしれません。

8分以上に及ぶA1「アメリカン・パイ」は、当時のドーナッツ盤(EPレコード)片面には収まりきらない長さであり、A面を「パート1」、B面を「パート2」として、変則シングル盤としてシングル・リリースされました(当時のAMラジオでは「パート1」の途中までしかかからないことが多く、私もその後初めてフルバージョンを聞いた時には、あまりの曲の長さとそのドラマチックな展開に、驚かされた記憶があります)。普通で考えると、こんなシングル盤の出し方はあり得ないのですが、単純に曲を短く編集したのでは作者(ドン・マクリーン)の意図を伝えきれないと考えたのでしょうか、A面B面に分けてでも全曲を収録してシングル発売をしたかったアーティストの熱意が伝わるエピソードであり、この歌が単なるバディへの追悼歌ではないという思いが込められているようにも受け取れます。

確かに歌詞は実に難解で、バディ・ホリーを題材にしながらもシボレーやコカコーラに代表される50年代の描写があるかと思えば、ビートルズやストーンズを思わせる表現も出てきたりして、喪失感の中で過去から何かのヒントを見出そうよと70年代に訴えかけているかのようにも思えます。メロディの素晴らしさは言わずもがなではありますが、歌詞の本当の意味は書いた本人のみぞ知るところ。当時もその後も彼は一切の種明かしをしてはいません。バディ・ホリーの若すぎる死という、誰もが哀悼の念を感じるであろう表向きのテーマになぞられて、ベトナム戦争に苦しんでいた当時のアメリカの不確実性を浮き彫りにし、時代を越え人を越えた普遍的な何かを訴えかけることで、聞き手のそれぞれに「今」を考える機会を与える歌だったのではないかと私は考えます。思いがけない大ヒットにつながった理由のひとつは、そこにもあるのではないかと思うのです。私には「アメリカン・パイ」は、ニクソン政権下の厚いパイ生地に包まれて中身の見通せない不確実性に満ちはじめたアメリカを歌っているように思えるのです。

シングルは72年2月に4週連続で全米ナンバーワンを獲得。アルバム「アメリカン・パイ」に至っては7週連続で№1をを獲得する大ヒットになりました。続くアルバムからの第2弾シングルA3「ビンセント」は、題材をビンセント=ヴァン=ゴッホに求めた曲で、前曲の余波も駆って全米12位まで上がるヒットを記録しますが、勢いはここまで。この後は80年代にロイ・オービソンのカバー曲「クライング」のヒットはあったものの、「アメリカン・パイ」に匹敵するような自作の素晴らしい楽曲には一切お目にかかれていません。この大ヒットアルバムにおいてさえ、タイトル・ナンバー以外はどれもこれも地味な曲ばかりですから…。端的に言えば彼の全キャリアを通じても、唯一この曲だけが異彩を放って光り輝いているのです。「アメリカン・パイ」は、70年代初頭の時代背景と本人の感性がマッチして創作意欲に火がつき、彼に一世一代の名曲を作らせた“奇跡”だったのかもしれません。ちなみにはこの曲、00年にマドンナにカバーされ再び大ヒットを記録しています。名曲は時代を問わず名曲であり続けるのです。