日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№78~不確実性のニクソン時代、人々の心に響いた名曲

2009-08-02 | 洋楽
ビートルズのアイドルでもあった50年代伝説のロック・ヒーロー、バディ・ホリー。ほとんど自作のないプレスリーに対して、素晴らしくメロディアスな自作曲で大活躍しながら、惜しくも飛行機事故で22年の短い生涯を閉じた彼。歴史に「もしも」が許され彼が60年代70年代に活躍できたなら、ポピュラー音楽の歴史は大きく変わっていたことでしょう。70年代にリンダ・ロンシュタットでヒットした「イッツ・ソー・イージー」なんかを、50年代に書いていた人ですから…。そんな彼の死から14年後の72年、その不慮の死を悼む歌が全米チャートを賑わしました。

№76   「アメリカン・パイ/ドン・マクリーン」

ドン・マクリーンは、バディ・ホリーに憧れロックンロール・シンガーとして活動の後、ボブ・ディランの師匠であるウディ・ガスリーと並ぶフォーク界の巨匠ピート・シガーに師事し、ブルース、フォーク、カントリーの道へと入り込みます。しかしながら、70年のデビューアルバム「タペストリー」は全く売れず。心機一転、レコード会社を移籍して出した71年の「アメリカン・パイ」が、思いもかけない大ヒットになるのです。この曲で彼は、彗星のごとき登場を果たしたのです。

「昔々、音楽を聴くと何とはなくにっこりさせられる時代があったんだ…」で始まるこの歌は、彼にとっての永遠のアイドル、バディ・ホリーが活躍していた時代を素晴らしい時代としてたたえ、彼が飛行機事故で死んだ58年2月3日を「音楽が死んだ日」として、バディとの惜別の思いを8分半にわたり切々と歌いあげているのです。時代はくしくも、バディの影響を受けて育ったビートルズが解散し、ポピュラー音楽界が混とんとした70年代を走り始めたちょうど折も折。世の中が、ビートルズに代わる新たな「星」を探し求める中、人々の心から忘れかけていた“悲運のスター”バディ・ホリーにスポットを当てたこの歌は、音楽ファンにとってカオスの時代からの脱出のヒントを与えられたかのようにも映ったのかもしれません。

8分以上に及ぶA1「アメリカン・パイ」は、当時のドーナッツ盤(EPレコード)片面には収まりきらない長さであり、A面を「パート1」、B面を「パート2」として、変則シングル盤としてシングル・リリースされました(当時のAMラジオでは「パート1」の途中までしかかからないことが多く、私もその後初めてフルバージョンを聞いた時には、あまりの曲の長さとそのドラマチックな展開に、驚かされた記憶があります)。普通で考えると、こんなシングル盤の出し方はあり得ないのですが、単純に曲を短く編集したのでは作者(ドン・マクリーン)の意図を伝えきれないと考えたのでしょうか、A面B面に分けてでも全曲を収録してシングル発売をしたかったアーティストの熱意が伝わるエピソードであり、この歌が単なるバディへの追悼歌ではないという思いが込められているようにも受け取れます。

確かに歌詞は実に難解で、バディ・ホリーを題材にしながらもシボレーやコカコーラに代表される50年代の描写があるかと思えば、ビートルズやストーンズを思わせる表現も出てきたりして、喪失感の中で過去から何かのヒントを見出そうよと70年代に訴えかけているかのようにも思えます。メロディの素晴らしさは言わずもがなではありますが、歌詞の本当の意味は書いた本人のみぞ知るところ。当時もその後も彼は一切の種明かしをしてはいません。バディ・ホリーの若すぎる死という、誰もが哀悼の念を感じるであろう表向きのテーマになぞられて、ベトナム戦争に苦しんでいた当時のアメリカの不確実性を浮き彫りにし、時代を越え人を越えた普遍的な何かを訴えかけることで、聞き手のそれぞれに「今」を考える機会を与える歌だったのではないかと私は考えます。思いがけない大ヒットにつながった理由のひとつは、そこにもあるのではないかと思うのです。私には「アメリカン・パイ」は、ニクソン政権下の厚いパイ生地に包まれて中身の見通せない不確実性に満ちはじめたアメリカを歌っているように思えるのです。

シングルは72年2月に4週連続で全米ナンバーワンを獲得。アルバム「アメリカン・パイ」に至っては7週連続で№1をを獲得する大ヒットになりました。続くアルバムからの第2弾シングルA3「ビンセント」は、題材をビンセント=ヴァン=ゴッホに求めた曲で、前曲の余波も駆って全米12位まで上がるヒットを記録しますが、勢いはここまで。この後は80年代にロイ・オービソンのカバー曲「クライング」のヒットはあったものの、「アメリカン・パイ」に匹敵するような自作の素晴らしい楽曲には一切お目にかかれていません。この大ヒットアルバムにおいてさえ、タイトル・ナンバー以外はどれもこれも地味な曲ばかりですから…。端的に言えば彼の全キャリアを通じても、唯一この曲だけが異彩を放って光り輝いているのです。「アメリカン・パイ」は、70年代初頭の時代背景と本人の感性がマッチして創作意欲に火がつき、彼に一世一代の名曲を作らせた“奇跡”だったのかもしれません。ちなみにはこの曲、00年にマドンナにカバーされ再び大ヒットを記録しています。名曲は時代を問わず名曲であり続けるのです。