日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

日本郵政および総務省は、その腐った組織風土改革を急げ!

2009-05-20 | ニュース雑感
障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で、健康飲料通販会社「キューサイ」などの大量のダイレクトメール(DM)の不正発送を黙認し、正規料金との差額計約3億円を免れさせていたとして、大阪地検特捜部は、郵便法違反の疑いで郵便事業会新大阪支店長の山本光男容疑者を逮捕したそうです。同日、ベスト電器のDMを違法発送した容疑で、新東京支店の総務主任鈴木智志容疑者も逮捕されています。

山本容疑者は「DMの広告が大きく制度利用の要件を満たさないと承知していた」、鈴木容疑者は「ベスト電器の顧客に送られるDMと分かっていた」と供述しているそうで、違法と知りつつ見過ごしていたという「確信犯」であった訳です。彼らに違反企業との金銭の授受等の癒着関係等があったかどうかですが、これまでの調べでそれは一切なかったとのことです。金銭的癒着がなかったことそのものは救いかもしれませんが、金銭的誘惑のないまま言ってみれば動機なく違法に手を貸す管理をしていた訳です。このことは組織風土の著しい腐敗を示す以外の何物でもなく、考えようによっては個人的外部癒着事件よりも根の深い重大事件であると思うのです。

しかも、大阪と東京、距離的に離れたまったく別の場所で同じような杜撰な管理が、何の申し合わせもなく横行してた訳です。このことだけからでも、組織風土の早急な改革の必要性を感じますが、さらに管理すべき立場の人間が不正を承知して黙認してたという事実。特に新大阪支店は支店長職という現場のトップマネジメントの関与ですから、事態は深刻です。旧郵政省時代からの組織風土が問われるべきポイントであり、同省の後継官庁で現監督官庁である総務省は、国家機関時代の起因責任という意味からもっと強い当事者意識をもつべきではないのでしょうか。「親方日の丸」意識のままお役人的仕事をいまだに続けているという事実が判明した以上、日本郵政も総務省も襟を正して組織風土改善による再発防止に力を注ぐべきなのです。

今回の事件から、管理者が管理者たる意識を持っていないという現実、そのような人間を管理者に昇格をさせていたという人事制度上の欠陥、管理者の暴走を止められない組織内コンプライアンス意識の希薄さ、等が改善すべき問題点として明確に浮かび上がってきています。日本郵政、総務省は、「お役所仕事意識」全廃に向けた管理者の職責意識の醸成と全職員の相互けん制が有効に機能するようなコンプライアンス意識の定着を、最優先課題として今すぐに取り組むべきであると思うのです(私が改善プログラムを作って差し上げたい気持ちです)。

鳩山総務大臣は、このところ個人的感情から日本郵政西川社長の更迭ばかりに気を取られている様子ですが、今は旧郵政省体質改善の観点から自身の省庁も含めた郵政事業体全体の早急かつ有効な組織風土改革の具体的施策を、西川社長と膝を詰めて議論すべきなのではないのでしょうか。全く意識している様子のないご自身の管理責任問題も含めトップの更迭の要否は、その後の問題であると思います。

ニュース雑感~「橋下徹大阪府知事・小沢一郎民主党代表代行」

2009-05-19 | ニュース雑感

●橋下知事、「新型インフル対応」見直しを厚労相に要請●

大阪府の橋下徹知事が新型インフルエンザへの対応について、「これでは大阪がマヒする。通常のインフルエンザの対応に切り替える必要があるのではないか」と述べ舛添厚生労働相に見直しを要請したそうです。彼の見解は、「現在の対応は強毒性の鳥インフルエンザをもとにしており、患者が発生するたびに学校の休校やイベント自粛をすれば、大阪の都市機能はマヒしてしまう。今回の病原性は低いのではないかと思っている。病原性、毒性についての知見を示していただきたい」というもの。もうまさにおっしゃる通り。私がはじめから指摘しているままの発言です。

もちろん、現時点でワクチンが存在しない新型ウイルスに対して警戒感を持って接することは大変重要です。しかし、その具体的対応については実態を確認しながら逐次相応の対応を取るべきであり、現状での世間の動きを見ていると患者の隔離管理はいいとしても、必要以上に恐怖心を煽るようなマスコミ報道に扇動され、特にヒト-ヒトの感染が確認されている関西圏においては、社会活動が麻痺しかねない状況にさえあるのです。橋下知事の危機感はごもっとも。政府は早急に病原性、毒性についての知見を示すとともに、過熱報道に対して教育的指導を施し国民の冷静かつ正しい行動につながる判断基準の提供を促すべきであると思います。

「幹」と「枝葉」のくだりでもお話ししましたが、マスメディアが「幹」の姿をぼかし食いつきの良い「枝葉」ばかりを強調しすることで国民を誤った判断に導きかねない報道姿勢は、本当に恐ろしいです。国民生活を守る立場の政府としては、このような扇動報道に対しては毅然たる態度をもって厳しく糾弾すべきであると考えます。


●民主党小沢前代表、選挙担当の筆頭代表代行就任●

民主党小沢前代表が鳩山新代表体制下で、選挙担当の「代表代行」に就任することになったそうです。三人いる代表代行の筆頭扱い、しかも選挙担当の役職を打診され、「代表代行」というポジションを希望したのは、ご本人だそうです。どこまでも面の皮は厚く、この人事には世間一般でも、納得がいかないという声は大きいのではないかと思います。西松事件では、世論の大きな批判の声を受けながら引責辞任はさせられず、“言い訳辞任”後の今回は筆頭代表代行のポストを用意する、民主党幹部連中はどこまで小沢氏に気を遣う気なのでしょう。なぜそんなに気を遣わなくてはならないのでしょうか。党のイメージ、来るべき衆院選を考えれば、目立たないポジションでしばらくおとなしくしてもらった方がよっぽど党利につながると思うのですが…。

この辺は、政治の世界に足を踏み入れたことのない一般国民には、全く理解のできないところです。こういった政治的不透明感が漂うことこそ「昭和政治」そのものであり、二大政党制による政治近代化の流れと自民党一党支配による金権腐敗政治の粛清を期待される民主党が、自民党と同じ風土をもってるような動きを見せられることには、一国民として日本の政治近代化に対して絶望感を抱かざるを得ません。

小沢氏も鳩山氏も自民党育ちという“同じ穴のムジナ”ではありますが、今回「昭和政治の残党=小沢」支配を断ち切る絶好の機会を逃してしまった鳩山代表の責任は重大です。民主党の近代化を遅らせたといった単純な問題ではなく、二大政党制確立による日本政治の近代化の流れの逆行を余儀なくしたという点で、平成の政治史に大きな汚点を残したと思います。選挙本位ではない、国民本位の日本政治の夜明けはまだまだ遠いようです。

〈70年代の100枚〉№70~「スリラー」への大いなる序曲

2009-05-17 | 洋楽
少々ご無沙汰しましたのユルネタコーナー「70年代の100枚」です。
いよいよ70枚目です。

60年代末期の米国音楽シーンに登場したジャクソン5は、黒人5人兄弟の素晴らしいチームワークと“天才少年ボーカリスト”の衝撃度で、一躍人気者になりました。

兄弟5人のグループというコンセプトはそれまでにない新しさがあり、白人の5人兄弟オズモンズや日本のフィンガー5といった“二番煎じ”“三番煎じ”も生んだのでした。同時にその人気を大きく支えていたのは、グループ最年少の“天才少年ボーカリスト”マイケル・ジャクソンの存在でした(オズモンズではジミー、フィンガー5ではアキラが同じ役柄を担っていましたが、その音楽的才能には歴然たる違いがありました)。彼は70年代後半以降、ソロ・シンガーとしてその才能を開花させ大ブレイクするのです。

№70    「オフ・ザ・ウォール/マイケル・ジャクソン」

マイケルが成長し、「少年」を脱皮した証として自己の意思で初めて制作したソロ・アルバムが、79年リリースのこの「オフ・ザ・ウォール」です。クインシー・ジョーンズのプロデュースにより、当時最新のブラック・コンテンポラリー・ミュージックを聞かせくれています。特にA1「今夜はドンド・ストップ」B2「ロック・ウイズ・ユー」は完成度の高いダンスミュージックで、共にシングルチャートで№1に輝いています。一方、タイトル曲のA5「オフ・ザ・ウォール」(同10位)は、同じダンスナンバーでも従来型のブラコンとは少し違う印象です。その歌い回し、リズム、サウンドが、次作「スリラー」以降のマイケル・サウンドに直結する重要曲であるといえるでしょう。

もうひとつのこのアルバムの聴きどころは、マイケルが泣きながら歌う珠玉のバラード「彼女が消えた」(同10位)です。今ではすっかり「マイケル=ダンス・ナンバー」のイメージが強いのですが、彼は実はバラードの名手でもあります。その歌唱力の確かさは、この曲を聴けばお分かりいただけるでしょう。またこのアルバムでは、ポール・マッカートニーに曲提供を依頼したり(B1「ガール・フレンド」)、ラリー・カールトンやデビッド・フォスターなどの腕利き白人スタジオ・ミュージシャンも多用するなど、ブラコンの世界にとどまらない音楽人脈の広がりを積極的に作り始めています。このことは、この後の黒人音楽の流れを大きく変えることにつながったと言っていいと思います。

アルバムは全米3位を記録。同一アルバムから全米トップ10ヒット4曲というのは、当時の記録でもありました。しなしながら、その記録は3年後に自身が打ち破ります。82年発表の次作「スリラー」はMTV全盛の波にも乗って世界的大ヒットを巻き起こし、37週連続アルバム・チャート№1、全世界総売上枚数1億4百万枚、同一アルバムから7曲のトップ10ヒットいうギネス記録を打ち立て、エルビス、ビートルズと並び評され、「音楽史上最も成功したエンターティナー」言われるに至ったのです。

その後は、たびたびスキャンダル巻き込まれ、音楽的な側面よりも別の側面で話題になることばかりで、彼の素晴らしいその才能を考えると90年代以降は残念に思うことが多くなってしまいました。今年は夏に“最後のイギリス公演”を行うと発表したマイケル。その才能を余すことなく発揮して、久々に音楽で我々を魅了欲しいものです。

ヴィクトリアマイル

2009-05-16 | 競馬
今年で4回目の古馬牝馬マイルGⅠです。

この春は荒れると思うと堅い、堅いと思えば荒れる、予想の歯車が合いません。

ここは常識的には3頭の競馬。⑥ウォッカ⑬リトルアマポーラ⑭カワカミプリンセス。実績断然の④ウォッカですが、目に見えない海外遠征疲れと武の不振が心配です。

横山典⑭カワカミは、マイルはベスト距離より少々短い印象。となると、結果的に牡馬GⅠ級相手のマイル戦の前走で0.4秒差4着の福永⑬リトルが多少有利でしょうか?

ウォッカはずしのワイド⑬-⑭1点で、つかない今は様子うかがいです。
ひと雨あると、大荒れもあるかもしれませんね。

経営のトリセツ58~“鴻池スキャンダル”に問題の「幹」「枝葉」を学ぶ

2009-05-14 | 経営
自民党鴻池官房副長官の辞任の話題に関連して経営ネタを少々。

このニュース自体は、取り上げるのもアホらしいような話です。“知人”と国会議員用のJR無料パスを使って、熱海に出かけていたところを写真誌に撮られたとか。この人“前科アリ”ですから、何をかいわんやです。今年初めだったでしょうか、議員宿舎に“知人”を泊めていたという問題でヤリ玉にあげられました。太郎ちゃんの側近ということもあり一気に辞任に追い込まれかけたものの、何とか“親友”総理の援護により“クビの皮ひとつ”でつながったのでした。それがまた、この始末…。

写真誌発のニュースですからスキャンダラスにいろいろ言われていますが、本件の問題の本質は女性スキャンダルではありませんのでお間違えのないように。前回も今回も、問題は「公私混同」にある訳です。前回の議員宿舎に“知人”を泊めていた問題、“知人”が男であろうと女であろうと関係ありません。政治家が国会会期中に東京での国会出席のための宿舎として用意された国の施設ですから、ここにプライベートな目的で“知人”を泊めることはまさに「公私混同」そのものであり、「コンプライアンス違反行為」として許されないことなのです。

そして今回は、JRの国会議員用フリーパスをプライベートな旅行に使用してたという、全く前回と同じ類の「公私混同」です。このフリーパスは、国会議員の業務上の移動に際して使用ができるという特別フリーパスであって(グリーンも無料!)、同乗者が男でも女でもあるいは本人一人であっても、プライベートな移動に使用することはまさに「公私混同」、議員辞職に相当する「コンプライアンス違反行為」なのです。前回ご自身が何を問題視されて注意されたのか、襟を正し何を改善すべきであったのか、全く理解していなかったと言わざるを得ない愚行であると思います。

なぜ、こんなことが起きたのでしょう?
理由は簡単、物事の「幹」と「枝葉」を取り違えたことで問題認識の誤認が生じ、同じ過ちを二度も繰り返すことになってしまったのです。今回のニュースを聞いて、「また女性問題か」「こんどは熱海か」「前回と同じ女性か?」…、と反応をした方、残念ながらあなたもマスコミの目眩ましに問題の「幹」を捉えられず、「枝葉」にだまされてしまったクチなのです。なぜなら、この問題の本質は先に述べたとおり、国会議員に与えられた職務上の権限をプライベートに使用したことこそが問題なのであり、誰と一緒であったかは問題の「枝葉」に過ぎず、本筋とは言えない事柄なのですから。

マスコミは媒体を売るための記事の食い付きの良さから、前回も今回も注目度を高める仕掛けとして「女性スキャンダル」を際立たせた報道をする訳で、これに騙されると「問題の本質」を見失ってあらぬ方向に行ってしまうのです。「幹」はあくまで「国会議員のコンプライアンス違反行為」です。女性スキャンダルではありません。当のご本人も、前回責められている当事者として「幹」と「枝葉」を混同していたからこそまた同じ過ちを犯した訳で、全くもって論理的に物事を考えられない方のようですね。

コンサルタントはクライアント企業の「会議が収集つかない」という悩み事は、通常比較的簡単に解決します。そのような会議は大抵の場合、会議で議論すべき「幹」と「枝葉」がゴチャゴチャになっているのです。一例をあげれば、“声の大きい”誰かが議論の途中で「幹」からはずれ「枝葉」にあたる問題提起をした場合、その内容が食い付きの良かったりすると、思わず皆が「幹」を忘れて「枝葉」の議論に入り、どんどんどんどん議論が広がってしまい収集がつかなくなるのです。

「幹」と「枝葉」の混同は、ロジカル思考において、もっとも嫌われるべきものです。御社の会議でもアジェンダに掲載されたテーマに関して、議論が進む中で「幹」と「枝葉」が混同がないかどうか、今一度よく検証してみてください。「今議論すべきこと」が「幹」であり、「議題の結論付けに影響が小さく、後で議論することでもよいもの」は「枝葉」です。進行役がこの点に注意した会議運営を心がけるだけで、驚くほど議事がスムーズに運ぶようになります。特に“声の大きい”役員がいる会社などでは、効果絶大でしょう。

ブックオフへの旧勢力出資は、書籍業界大変革の発火点

2009-05-13 | マーケティング
ブックオフコーポレーションは13日、筆頭株主のアント・DBJ投資事業有限責任組合が大日本印刷、丸善、講談社、集英社、小学館、図書館流通センターの6社に同社株式を譲渡する契約を締結したと発表したそうです。これは大変なニュースです。

そもそもブックオフは、「古本屋さん」を新たなビジネスモデル化して大成功した書籍販売業界バスターだった訳です。同社登場以前の「古本屋さん」は、どの店も言ってみれば街の片隅で、じいちゃん、ばあちゃんの店番が暇つぶしの小遣い銭稼ぎ程度の商売として細々営業していた訳でチェーン展開などあり得ず、再販制度に守られた書籍業界は棲み分け済みの弱小ビジネスとして問題視することはなかったのです。

古本屋をチェーン展開できなかった最大の理由は「目利き商売」という、買い取り価格決定に専門的知識が必要とされている点でした。ところが、ブックオフは「目利き不要」の全店統一買取基準を設けて、バイトでも買取業務ができるというまさにコロンブスの卵的ビジネスを生み出したのです。そして、急成長と多店舗展開、さらにはそのビジネスモデルをまねた同業の乱立と、若者の“活字離れ”と相まって時代の寵児的掟破りビジネスの出現に、書籍出版業界には大きな衝撃が走ったのでした。

新刊本対中古本、この戦いは減少しつつあるパイを奪い合う、言ってみれば減少する総和をゼロサム・ゲームで争う不毛な戦いだった訳です。特に新刊本業者にとってみれば、防戦一方の死すべき運命を背負わされた苦しい戦いに違いありませんでした。今回の新刊本陣営のブックオフ出資の流れは、まさに敵の軍門に下り新旧手を組んでの消費者取り込み戦略にようやく決断したという結果である訳です。

考えて見ればネット書店のアマゾンも早くから、新刊本と併せて中古本も同じページから購入できるという、消費者により幅広い選択権を与えた販売方式を構築しており、ある意味今回の出資は遅すぎる決断であったとも言えるのです。書籍ヘビーユーザーの私などは、本の種類や購読目的によって新刊と中古の使い分けをしており、アマゾンの新旧併売方式は非常に重宝している訳です。消費者の側に立てば容易に分かるサービスのあるべき方向感であり、既得権益を守りたがる古い業界体質がここまで決断を遅らせたのではないかと考える次第です。

商品の流通方式が消費者の意向に合わせる形で変革を遂げることは、大変好ましいことであり、消費者志向の新たな流通方式が軌道に乗った場合、その変革の速度は想像を絶するスピードになることが間々あります。例えば、音楽ネット配信のアップル社itunesミュージック・ストアはipodという革命的音楽再生機器の普及との相乗効果で音楽ソフト販売における流通革命を起こし、03年サービススタート以来5年足らずで音楽ネット配信の圧倒的なシェア拡大を後押しし、今や国内でもCDの売上は激減(音楽の国内ネット配信販売は、06年の段階でシングルCD販売枚数を既に上回っています)、リアルのCDショップ・チェーンは縮小の一途を辿るに至りました。

今回の書籍流通革命につながる出資の決定は、このような観点から業界における大変革の発火点になりうると見ています。新たなビジネスチャンス開拓の観点から見れば、我々のような対消費者エリアのビジネス・パーソンにとって目が離せないマーケットになりそうです。書籍業界の“ipod探し”、かなり興味をそそられるテーマですね。

ニュース雑感~「小沢一郎・小室哲哉」

2009-05-11 | ニュース雑感

●民主党小沢代表辞任●

民主党小沢代表がようやく辞任しました。辞任理由はあくまで「党内結束優先の決断」。「西松建設関連の不正献金事件の引責ではない」と、辞任会見でも言い張っての退陣でした。ここまでタイミングを待つことで「引責」との関連を否定し、あくまで“次の目”を形上では残しての一旦退場という魂胆な訳です。あれだけ叩かれても叩かれても辞めずにきた小沢氏の、首相就任にかける執念を見せられた思いです。

“次の目”とは、来るべき総選挙で民主党の勝利によって政権奪取を現実のものとし、初代民主党総理大臣こそ他の人間に譲りはするものの、その“初代”が退陣の憂き目に遭った“暁”には、待ってましたとばかりに満を持して「復権」→「総理就任」の“目”のことです。そのためには何としても、今回は「引責」であってはならない訳で、本日のやけに明るい表情での辞任会見は、まさに小沢氏一流のイメージ戦略なのでしょう。まぁ、“昭和政治の生き残り”の小沢氏らしい戦略ではありますが、2年後にしろ3年後にしろそれを許すほど平成の日本国民は甘くないとは思うのですが…。


●小室哲哉被告に執行猶予判決●

音楽著作権の売却話を巡る詐欺事件で、芦屋市の会社社長から5億円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた音楽プロデューサー小室哲哉被告(50)に対し、大阪地裁の判決は、懲役3年ながら執行猶予5年(求刑・懲役5年)を付し、小室被告は実刑を免れることとなりました。やはり判決の決め手となったのは、エイベックス・グループ・ホールディングス社松浦勝人社長が全額を貸し付けての、被害者への弁済だったようです。何度でも言いましょう、彼の全盛時代多くの人が彼のおかげで富や地位を得たものの、罪を犯したとはいえ音楽での更生を志している今の彼に恩義を感じて支援の手を差し伸べたのは、松浦氏ただ一人。一番世話になったSAMをはじめとする“小室ファミリー”はダンマリを決めたままでした。本当に人として恥ずかしい。

もちろん、人として一番恥ずべきは犯罪を犯した小室氏本人に他なりません。折も折、同じポピュラー音楽界のカリスマ忌野清志郎さんが亡くなり、その死とその愛すべき人柄を皆が悼み、悲しみの中送ったその直後です。小室氏本人はもちろん、その恩知らずの元取り巻きたちは、多くの人から愛された清志郎さんの葬儀報道を同じ音楽人としてどんな気持ちで見たのでしょうか。己の恥ずかしさでまともに見れなかったのではないですか。もし、何も感じずに見ていたのだとすれば、それはもう人として再起不能です。小室哲哉および恩知らずの元取り巻き連中に、私は一人の音楽を愛する者として言いたい。人々を音楽で潤す立場の人間として、本当にきれいな気持ちに立ち返って欲しい。今日の会見からも反省が明らかな小室氏は今日の気持ちを忘れないこと、激励のコメントひとつ出せない恩知らずな“小室ファミリー”のSAMはじめ元取り巻きたちには、せめて自身の恥ずべき心境ぐらいは公にしてほしいものです。

清志郎に☆付の「ありがとう」を

2009-05-10 | その他あれこれ
昨日、忌野清志郎さんの告別式に行って参りました。

私は特別に忌野清志郎の大ファンでもないですし、RCのレコードもCDも持っている訳じゃありません。もちろん、ミーハーな気分で有名人の葬儀ってヤツに行ってみようとか、そういう動機でもありません。私自身が無類の音楽好きで、聞き手としてまた一時期はヤリ手として音楽に励まされ育てられてきた人間の「礼儀」とでも言うのでしょうか…。前日までは「行けたら行くか」ぐらいに考えていたものの、当日の朝には「行かねばならん」に変わり、居ても立ってもいられず新幹線に飛び乗っておりました。

報道機関既報の通り、ものすごい人、人、人…。乃木坂駅を外に出るとめざす青山葬儀場はすぐそこなのに、あらぬ方向へ誘導され延々と歩かされることに。まじかに見えた東京ミッドタウンはどんどん小さくなり、気がつけば住所表示は「南青山4丁目」。「えっ、もしかして最寄駅は表参道?」状態。ノロノロ渋滞状態で何キロ歩いたのか、ようやくめざす青山葬儀場へたどり着いた時には、午後5時を回っておりました。

行列待ちが大嫌いで、並ばせることが当たり前という誤ったサービス・ポリシーを持つ“殿様商売”東京ディズニーランドを「エクセレント・サービス」とすることを絶対に許さないこの私が、行列すること実に5時間。ようやく青山葬儀所の敷地内に足を踏み入れました。そこは大音響で清志郎節が響き渡っていました。ちょうど私が敷地に入った時は折も折、あの「雨上がりの夜空に」のライブ・バージョンがかかっていて、大勢の参列者が大合唱していました。明るい声の場内MCは「忌野清志郎、青山ロックンロール・ショーへようこそ!(一同拍手)」。まるで、武道館にでもいるかのような錯覚に陥らされる一瞬です。でも、すぐに現実に引き戻され、にぎやかであればあるほど主役不在の寂しさを実感させられ一層物悲しさを誘うのでした。

建物の中へ歩みをすすめ、いよいよ生花を受け取って祭壇前へ、ある者はすすり泣き、ある者は清志郎の名を叫び、祭壇周辺でひれ伏す者も…。祭壇前に置かれた主(あるじ)を亡くした愛車(自転車)オレンジ号が、寂しげに佇んでいたのが特に印象的でした。祭壇は紅白の横断幕で飾られ、中央に赤や黄色の明るい花々で飾られた位牌と遺影。なるべく祭壇の正面に立って、一礼してそっと花を手向けました。そして両手を合わせて、「ありがとう清志郎。お疲れ様でした。これからも俺らの応援よろしく」とゆっくり話しかけました(ポイントは「ありがとう」の後のです)。

あぁ、何とも言えない安堵感。「オーケィ、ベェベェィ」、彼は一人ひとりにそう答えてくれていたんじゃないかな。「今日しかない…」、自分を朝から駆り立てて出会いたかったモノにめぐり合えた気がしました。本当に温かい人だったと、改めて実感できた瞬間でした。たくさんたくさん一緒に並んでいたみんなも、「ありがとう」を清志郎に伝えホッとできたに違いありません。写真は、青山葬儀所の受付で芳名カードと引き換えにいただいた「会葬御礼(?)」です。表は祭壇と同じ笑顔の写真。これは裏面の本人画です。アートな人でもありました。故人の温かみが伝わるいい絵です。顔から温泉マークですよ。こんなに温かい人ちょっといません。

思いがけず長期戦になった約6時間わたる会葬イベント参加、行列しながら図らずもひとりで過ごす長い時間をいただいたことで、清志郎の葬儀をきっかけに断片的ながらも随分といろいろなことを考えさせられました。たぶんそれらは、今の自分に意味あって昨日清志郎からいただいたものなのだろうとも思いました。今はその詳細は書きません。しばらくは大切に心の中にしまって自分なりにまとめてみることにします。

出かけて行ってよかった、最後に会えてよかった、本当にそう思います。

※内面的な話って伝えにくいですね。状況説明が不可欠なのでそれをしていたら、なんかまとまりのない文章になってしまいました。ご容赦ください。

NHKマイルカップ

2009-05-10 | 競馬
3歳マイル王決定戦NHKマイルカップです。

今年のポイントは、3月のスプリングステークスGⅡにあるように思います。

このレースの勝ち馬は、次走で皐月賞GⅠを勝ったアンライバルド。2着⑬レッドスパーダ、3着⑱フィフスペトル、4着④サンカルロと2~4着馬が今回顔をそろえました。しかも④サンカルロは前哨戦のNZトロフィーを勝っての参戦。上位馬はかなりハイレベルなレースであったと思います。別路線ではGⅢ勝ちからの参戦馬⑥アイアンルック、⑯ブレイクランアウトとGⅠ桜花賞4着の⑦ワンカラットあたりまでが有力です。この中から軸馬候補を絞り込みたいです。

消去法的には、⑯ブレイクランアウトは3カ月ぶりの実戦かつとにかく今年乗れていない武豊が「?」。⑦ワンカラットはマイル実績が(0・0・0・3)でやはり「?」。馬券的うまみでは、東京コース(2・0・0・0)、マイル(2・0・0・1)の⑬レッドスパーダですが、前走時のマイナス14キロは気になるところです。GⅠの横山典は要注意ですが…。

残る軸候補は、④サンカルロ、⑥アイアンルック、⑱フィフスペトルです。現時点では結論出ず。馬を見て、軸1頭を決めて上記で名の挙がった馬へ適宜流したいです。

阪神コンテンツリンク社は、BBL福岡の「閉店」を教訓として活かせ!

2009-05-09 | マーケティング
ゴールデンウィーク期間中に、ビルボード・ライブから一通の封書が届きました。中身は「ビルボード・ライブ福岡閉店のお知らせ」でした。

「ビルボード・ライブ福岡」は、同東京、大阪と同じ系列店として、2年前の07年9月に福岡一の繁華街天神にオープンしました。オープニング・アクトは、東京、大阪と同様ジャズ・ロックの超大物スティーリー・ダン。キャパ300の東京のハコでのライブ体験さえ“一生モノ”と大感激だった訳ですが、福岡はさらにその半分のサイズの“小箱”なので、当時は本当にうらやましく思ったものです。それが、2周年を待たずしての「閉店」に驚きを隠せないというのが偽らざるところです。

「福岡」はもともとジャズ系のライブハウス「ブルーノート福岡」を、ジャンルを広げてリニューアル・オープンしたハコでした(大阪も同様です)。旧ブルーノートは開店以来15年間も地元のファンに支持され、固定ファンをつかんできた老舗だったのです。それが、リニューアル後2年もたずに「閉店」ですから、不景気の煽りはあったにせよマーケット分析上あるいは戦略上の大きな誤りがあったと言わざるを得ないと思います。

まず福岡という土地柄ですが、もともと甲斐バンドやチューリップを輩出した伝説のライブハウス「照和」が栄えたように、ライブに対する受け入れ土壌は十分にあったように思います。では問題は音楽ジャンル?実際のところを調べてみると、東京、大阪で呼んだポピュラー系のアーティストが福岡はパスするケースが多く、結果的に以前と同様のジャズ系と日本人アーティストがメインでの運営で、実は看板は変えたものの旧ブルーノート時代と大差ない音楽ジャンルでの運営ではあったようです。

ではなぜ、15年続いたブルーノートがビルボードになった途端に終焉を迎えたのかです。確かに景気の影響はあるでしょうが、旧ブルーノートとて90年代後半の金融不況を経験している訳でそれだけが理由とは言いにくいと思います。私は最大の問題点は、ブランド変更に伴うイメージ戦略の失敗にあったのではないかと考えています。

「ビルボード」はそもそもアメリカの音楽雑誌であり、「ビルボード・ライブ」は「ブルーノート」のような本場のライブハウス名ではなく、本国には存在しないハコなのです。すなわちそれまでの「ブルーノート=ジャズの一流ライブハウス」のイメージが、ライブとは直結しない「ビルボード=米国産ポピュラー音楽」のイメージに移行した訳です。ところが、フタを開けてみたら、ポピュラー系外タレは福岡まで来ないケースが多く、結果旧来のジャズ系プログラムと日本人アーティストが多くなることで、客から見た印象が「洋楽?ジャズ?日本人アーティスト?」といった具合にイメージがとっちらかってしまった…、そんな失敗の構図に思えるのです。

「福岡」が洋楽系外タレをあまり呼べなかった理由は、地域性での集客力とそもそものハコのサイズからくる採算性の問題でしょう。また、ジャズ系のアーティストよりも洋楽系のアーティストの方が、一般的なライブ規模の違いからギャラが高額であった点も「福岡」には辛かったのではないかと思います。この点は、当初のハコの戦略的コンセプトづくりを考える上で、かなり詰が甘かったと言わざるを得ないと思うのです。

こうやって考えると、景気の影響は認めつつも、出店に際しての運営企業の戦略的誤りが、今回の失敗の大きな原因であったと推定することが可能な訳です。運営企業は阪神コンテンツリンク。電鉄会社の社長ご子息の道楽ビジネスと陰口を叩かれた企業です。新たなビジネスに失敗はつきものですが、言われるとおりに“道楽”で終わらせないためには、今回の失敗の原因を単なる景気悪化に帰するのでなく、中身を十分に分析して、残された東京、大阪のハコをこの先も長く続く「音楽の殿堂」に育て上げるべく努力をして欲しいと思います。