日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

訃報 ~ 忌野清志郎

2009-05-02 | その他あれこれ
ロックシンガー忌野清志郎さんがガンのため亡くなられたそうです。享年58歳。なんとも残念な訃報です。

清志郎さんは、ちょうど私が大学生時代バンド活動に明け暮れていた頃、ロック・バンドRCサクセションのボーカルとして「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」等のヒットでブレイク。我々アマチュア・バンドマンにとっては、日本語ロックの洋楽的発展型のプロトタイプを見せてくれたと言う意味で、センス抜群の偉大な先生でありました。(私は大学時代の音系サークルの合宿で、即興バンドで忌野先生のマネをして栄えある「退部賞」を受賞したのでした)

特に彼の場合、自ら創るその歌詞も重要なポジションを占めていました。「雨上がりの夜空に」をはじめて聞いたときに、当時としてはかなりきわどい内容を歌ったその歌詞に「スター・スター」(※註)を歌うミック・ジャガーの姿がダブり、70年代に「はっぴいえんど」によって夜明けを迎えたまま止まっていた日本のロック界に、ようやく朝日が昇ったと感慨深い想いを抱かされたものです。
※ローリング・ストーンズ73年のアルバム「山羊の頭のスープ」B5収録曲。グルーピーたちのことを歌った卑猥な歌詞で放送禁止になったといういわくつきの歌。

社会性を帯びた主義主張を歌詞に込めることも多く、悶着事の絶えない音楽人生でもありました。中でも印象的だったのはソロで洋楽の有名曲に日本語歌詞をつけて歌ったアルバム「COVERS」の一件でしょう。ザ・フーの「サマータイム・ブルース」を反原発ソングに仕立て上げ、契約先の原発関連企業東芝EMIから発売を拒否されますが、マイナーレーベルからリリースを敢行することで東芝に抗議姿勢を示したという、自己の主義主張に徹底してスジを通した実に彼らしい一件でした。このような姿勢は、国内のメジャーなアーティストではそれまでほとんど例がなく、結果として日本のロックに“魂を入れた”という点で大きな足跡を残したと言えると思います。

06年7月のガン後も、「ガンもロックだぜ!」との彼一流の言い回しで闘病を続け、昨年は復活コンサートも行っていたという記憶も新たであっただけに、突然の訃報は大変ショックな出来事でした。多少なりとも音楽の道を志したことのある我々世代の“音楽小僧”にとっては、日本語ロックのかっこよさを初めて肌で教えてくれた人なのです。ミック・ジャガーやピート・タウンゼントのように、まだまだこの先もシニア・ロッカーの手本を見せ続けて欲しかったと思うと本当に残念でなりません。

60代になったら清志郎とチャボ(仲井戸麗市)のRC黄金コンビの再共演で、日本のミックとキースをかっこよくキメて見せて欲しかった。忌野さんは自身のホームページでは「治療に専念します。またすぐに帰ってくるから応援してくれ!夢を忘れずに」とつづっていたそうです。その作風とは裏腹に、フォロワーたちに夢を与え続けてくれた、素顔は本当に心優しいまじめなロッカーだったのです。親友、泉谷も泣いています。

心よりご冥福をお祈りいたします。