日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№71~EW&Fジャズ・ファンク時代の最高傑作

2009-05-24 | 洋楽
日本でアース・ウインド・アンド・ファイヤーと言えば、「宇宙のファンタジー」「レッツ・グルーブ」等々のヒットからディスコ・ミュージックの第一人者的印象が強いのですが、本国アメリカでは一転、初期のジャズ、ファンク的演奏の時代こそが彼らの真骨頂と捉えられおり、チャート・アクション的にもピークでありました。

№71   「暗黒への挑戦/アース・ウインド・アンド・ファイヤー」

アース・ウインド・アンド・ファイヤー(以下EW&F)は、ボーカルのモーリス・ホワイトが69年に結成したソルティ・ペッパーズがその前身。翌70年にEW&Fにバンド名を改めホーン・セクションを含めた10人の大所帯バンドとして再デビューするも初期2作はヒットせず。72年ダブルボーカルとなるフィリップ・ベイリーの加入後徐々に人気を高め、75年リリースの6枚目にあたるこの「暗黒への挑戦」で一気に全米を制覇します。

何といってもA1「シャイニング・スター」のインパクトが最高に強烈です。ギターのカッティング、ホーン・アレンジ、コーラスすべてが締まりまくってかっこいいことこの上なし。3分弱の凝縮された歌と演奏に、10年進んだ「スライ&ストーン」を見たのは私だけではなかったはずです。この曲やA3「ハッピー・フィーリング」に代表されるジャズ系ファンクの匂いこそ、まさに本来のEW&Fなのです。後に「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」のような、白人系バラード(作者はあのAORの旗手デビッド・フォスター)も彼らの人気の重要部分になるのですが、B2「リーズンズ」を聴けばお分かりいただけるように、バラードもこの時期のモノのほうがより黒っぽく“らしさ”が感じられる訳です。

このアルバムは、シングル・カットされた「シャイニング・スター」共々見事に全米№1を記録。さらにこの勢いを駆って出された続く2枚組ライブ盤「灼熱の饗宴」(全米1位)は、彼らのジャズ・ファンク時代の集大成ともいえる作品で、隅々までまさしく“灼熱”にふさわしいの素晴らしい演奏を聞くことができます。個人的にイチオシは断然この2枚組ライブの方なのですが、“全米TOP40的”という本企画のコンセプトから、当時のチャート・インパクトを重視し「暗黒への挑戦」を選出しました。なにしろ、「シャイニング・スター」による全米チャート制覇のインパクトは本当にすごかったのです。

ことろがこの2枚のNo.1アルバムでの全米制覇を機に、リーダーのモーリスとグループは一気に商業化路線へ向けて大きく舵を切ります。具体的には、ジャズ・ファンクの色合いは急激に薄れ、ディスコ路線への方向転換が明確化する訳です。特にアルバム「太陽神」「黙示録」以降は、「宇宙のファンタジー(実は全米では32位止まり)」や「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーブ」などのディスコ系ヒットを連発するものの、本国では次第にPOPバンド扱いされるようになりネーム・バリューやカリスマ・バンド・イメージは急激に薄れていきます。個人的には「太陽神」以降の長岡秀星氏のバブリーなイラスト・ジャケットも、彼らのイメージを軽薄なものにおとしめたように思います。

その後、バンドの核であったホーンセクションを分離したり、さらにはモーリスが健康上の理由によりバンドを離れたこともあり、長期にわたって精彩を欠く状況が続き数え切れないほどの編集盤ばかりがリリースされるようになってしまいます。現在も活動は続けてはいるものの昔のファンク系の、締まった弾けるようなバンド・カラーが期待できる状況にないことは本当に残念でなりません。EW&F=ディスコ・バンドあるいは、=バラード・バンドの印象しかお持ちでない方には、ぜひ「暗黒への挑戦」「灼熱の饗宴」の一聴をお勧めします。EW&F本来の姿がそこにあります。

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