日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>私を育ててくれた「全米TOP40」とラジオ文化

2009-09-26 | 洋楽
ブログの日付は、書き始めの段階での日付が打たれます。本日の文章は土曜日に書き始めて止まっていたので、アップ日と打刻日が2日ほどずれてしまいますがご容赦ください。

当ブログでは土日祝日の“ユルネタ”企画として、私を育ててくれた70年代の洋楽シーンを<70年代の100枚>として振り返っています。現在85枚完了。いよいよあと15枚と言う段になった今、この企画の選出基準たる「全米TOP40的」という部分について、あれこれ当時を思い出しつつ改めて様々に思いを巡らせたりしていますので、この機会に少しだけこの点を説明的に書き留めておこうと思います。

「全米TOP40」は1970年7月に全米でその放送が始まり、日本では遅れること約2年、1972年10月にラジオ関東(現ラジオ日本)土曜夜10時~午前1時という帯で放送が開始されたのでした。メイン・パーソナリティは音楽評論家の湯川れい子さん、チャート紹介はラジ関の坂井隆夫アナウンサーというコンビで毎週オンエア。番組では、毎週40位から1位の順位を10位ごとに本場のケーシー・ケイサム(当時湯川さんはケーシー・ケーソンと呼んでいました)の紹介による米国版の番組テープを流して、そのあと解説をするという形式の番組でした。とにかく洋楽情報が今と比べると圧倒的に少ない時代に、最も新しい米国の音楽状況が最も早く手に入るという番組価値はものすごいものがありました。当時のこの番組は米国版の1週遅れではあったようですが、向こうのアーティストの国内盤新譜発売は早くて1カ月遅れが当たり前の時代ですから、かなり“リアルタイム”に近い音楽情報番組であった訳です。

当時中学~高校生時代だった私は、ほぼ毎週欠かさずラジオにかぶりついて聞いたものです(途中うたた寝は得意でしたが…)。中高生ですから土曜日の夜に飲みに行く訳でもなく大抵は家にいる訳で、1週間の中でも確実にルーチンな時間だったと記憶しています。もちろん、メモと鉛筆は必携です。当時は、湯川さん発のアーティストに関する情報はとにかく新鮮で、「イーグルスが新譜を制作中」とか「ツェッペリンがツアーに出るらしい」とか「エルトンがジョン・レノンと共演した」とか、ありとあらゆるアーティスト情報の宝庫であった訳です。時々渋公あたりで番組主催のフィルム・フェスティバルとかがあって、湯川さん坂井さんとゲスト評論家が進行役となってプロモーション・ビデオ大会みたいのも開催されてました。抽選でポスターやレコード会社販促グッズが当たったりもあったように記憶しています。とにかく毎週毎週、「今週はどんな新曲やニュー・アーティストが登場するのかな?」とか「僕が好きなあの曲は今週何位まで上がったかな?」と番組を心待ちにしていたのです。

この番組とセットで聞いていたのが、NHK-FM日曜日午後6~7時の「リクエスト・アワー」なる番組です。この番組は洋楽専門のリクエスト番組で、「納涼水モノ大会」とか各種テーマ・リクエスト特集もあったりしたのですが、毎月1~2回番組の中で、全米TOP40チャートへの新登場曲を紹介してオンエアしてくれてもいたのです。この当時のFMの重要な役割として「エア・チェック(要は録音)」がありましたが、この番組は心得たもので余計なおしゃべりを一切かぶせず、しっかりとイントロからエンディングまでフルでかけてくれたのです。ですから、「TOP40」で新曲をチェックしてNHKで録るというのがお決まりのパターンでありました。私の同年代でこのパターンにはまっていた人、けっこう多いと思います。なにしろ、日本未発売なんていう曲もかけてくれて、この番組で録り漏らすとまず手に入らない音源なんていうのが当時けっこうあったのです。ちなみに進行は、石田豊アナ。洋楽とは不釣り合いの優等生的しゃべりがアンバランスで、妙に魅力的でもありました(石田さん、95年に亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします)。

そんな私の“TOP40時代”は、ちょうど大学に入って一時期東京を離れる80年の春まで続いたのですが、東京に戻って以降も両番組ともトンと聞かなくなりました。転居という個人的な理由ばかりでなく、80年代の洋楽がつまらなくなったことも大きな要因であると思っています。80年代はプロモーション・ビデオ全盛時代の到来でMTV花盛りとなり、情報メディアとしてのラジオはどんどん隅においやられていきました。でも日本の洋楽文化形成は、70年代のラジオ関東「全米TOP40」抜きには絶対に語れないと思っています。少なくともあの当時のコアな洋楽ファンは何らかの形でこの番組の影響を受けて全米チャート情報を意識し、今でもそれが個々人の記憶のひとつの基準として生きていると思って間違いないのです。そんな理由で、一昨年70年代の重要なポピュラー・ミュージックを振り返るという企画である「70年代の100枚」を企画した際に、「全米TOP40的」というモノサシでアルバム選出することこそ、もっとも当時のトレンドを反映し“70年代少年&少女”的ノスタルジーに浸らせてくれるだろうと考えた訳なのです。

それにしても、80年代以降MTVの時代になって音楽シーンは俄然つまらなくなったと思うのは私だけでしょうか?やっぱりラジオっていいですよね。想像力をかきたててくれるし、ラジオから流れる音を聞きながらあれこれ空想の世界に浸ることもできますから。テレビはつまらない。MTVは音楽を音としてでなく画像として流すことで、その曲の勝手なイメージを聞き手に押しつけてしまうのです。70年代は“ラジオ全盛”の時代です。想像力を育ててくれたこの時代のラジオ文化は、今だからこそ再評価されてしかるべきであると思っています。私は音楽ファンとして、ラジオ番組「全米TOP40」をメイン・ソースとして育ったことを誇りに思っています。そんな思いで、「70年代の100枚」を2年間書き続けてまいりました。70年代洋楽ファンの皆様が、あの頃を思い出し個々のノスタルジーに浸っていただけたなら幸いです。

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