日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

渡邉美樹さん、「ごめんなさい」から始めましょうよ

2012-02-24 | 経営
遅ればせながら、ワタミの女子従業員自殺に関する過労死認定の件です。いろいろな方が意見や述べられていますしツイッターは引き続き大炎上しているそうですが、私からは企業のあるべきを考える立場から、渡邉さんが経営者として今どう振舞うべきかを申し上げておきたいと思います。

とにかく分からないのはなぜ「ごめんなさい」が言えないのか。そこに尽きます。当事者に対して、世間に対して、お客様に対して、そして従業員・株主に対して。大炎上、大批判の最大の原因はそこにあるのが見えないのでしょうか。私が知る経営者の方々でも、従業員に対して謝れない方はけっこういます。自分が偉くなりすぎてしまうと、「例え私が間違っていたとしても、こいつらに謝るのは違うだろう」「少しシタデに出ておけばそれで、いいだろう」「俺は社長、相手は社員なんだから」などと、自身の地位に根差したプライドから勝手な判断を下して誤った行動をとるトップは世に多いものです。特に中小企業のオーナー社長には、よくある傾向です。

このような社長へのアドバイスとして、「何よりここを正せないと会社は成長できませんよ」、そんなことを申し上げるケースもしばしばです。それをお分かりいただけるのにも相当時間がかかったりはするのですが、それでもやるしかない。そんな会社の組織風土改革をお手伝いする際には、「トップを含めて、『ありがとう』と『ごめんなさい』は上下関係なくちゃんと伝えましょうね」「まずは社長からお願いしますね」「謝ることは恥ずかしいことではないのですよ」と、小学生並みのところから始めないといけいない会社もたくさん存在します。上場もされて大企業になられたワタミさんも結局そのレベルだったのですね。

渡邉さんの場合には、これに加えて今後遺族からの訴えが起きた際の裁判等の展開を視野に入れた顧問弁護士の“入れ知恵発言”でもあるのかもしれませんが、そんなところであざとい計算を入れた言動は被害者の感情を逆なでするだけであり、事をより一層大きくすることに終始していまうのではないでしょうか。ワタミからは「報道されている勤務状況について当社の認識と異なっておりますので、今回の決定は遺憾」とのコメントを出しているので、自分が謝ってしまっては主張に一貫性がなくなるとかもお考えなのでしょうか。細かい勤務状況がどうであったかとかは別の問題であって、被害者日記等からもうかがえるようにその自殺に会社での勤務がかかわっていたことが疑いのない状況である以上、経営者として迷惑をかけたという事実は確実に存在するわけで、とにかくまずは素直に謝るべきではないかと思うのです。

人に迷惑をかけること、人を悲しませること、人を不幸に陥れること、それらの全責任が会社にあるか否かという問題ではなく、少なくとも雇用主として大いにかかわっていたわけなのですから、「自殺した従業員の勤務先経営者として、責任を感じています。力及ばずで本当に申し訳ありませんでした」となぜ謝れないのか私には理解できません。それとも自殺は全く別の理由だなどと、かかわりすらも否定するつもりなのでしょうか。私はこの問題はコンプライアンス以前の問題として、渡邉美樹さん個人の経営者としての資質が問われていると受け止めるべきであると思うのです。自分がかけた迷惑に素直に謝ることすらできない経営者に従業員はついてくるのでしょうか、「ごめんなさい」も言えない経営者が運営する店に顧客は足を運ぼうと思うのでしょうか。

私は渡邉美樹さんとは同い年なのですが、我々世代は昭和の経営者たちの既成概念に凝り固まった経営を打ち破り新しい時代をつくるフランクな経営へと転換をはかりつつ、次代につなぐ役割を担っていると思っています。渡邉美樹さんは、その経営手法の良し悪しはともかく、そんな我々世代の代表的経営者として頑張っている姿にはそれなりの評価をもって見てきてただけに、本当に残念です。もしコンプライアンスにとらわれて、謝ることがコンプライアンス違反を認めることになるかのような誤った認識をお持ちであるのなら、今すぐに気がついてください。一人の経営者として、コンプライアンス以前に何を考え何をなすべきであるのかを。

繰り返しますが、まずは一連のできごとに当事者の従業員を雇用していた会社の経営者として、会社が及ぼした迷惑を謝ることから始めてください。コンプライアンスやらなんやらを議論するかしないかなど、すべてはそこからです。顧問弁護士の言うことを聞くのではなく、経営者としてご自身で考えるのです。法律家に経営者のどうあるべきかを求めてはいけません。経営者としてここで「死する」か否か、重要な岐路に立たされているとご認識いただきたく思います。