日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“女芸人報道”に思う、低俗なテレビ番組にリビングを占拠される恐ろしさ

2012-02-23 | その他あれこれ
どうでもいいっちゃ、どうでもいいことですが、テレビのワイドショー番組でちょっと目に余る事態が…。

私は毎朝我が家のリビングで、新聞各紙に目を通したり雑誌を斜め読みしたり、その間テレビは民放のワイド番組がかかっているわけで、面白そうなネタが耳に入るとそっちを見るという感じで情報チェックをしています。そんな生活の中、ここ数日気になってはいたのですが、とある女芸人の家賃滞納がどうとか霊感師の催眠作用がどうとか、まぁ東電やら原発問題やらと同レベルかあるいはそれ以上の力の入れようで連日流されているのが何の意味があるのかと、ややイラっとしてきておりました。ワイドショーですから、芸能ネタを流してはいかんとは申しませんが、たいした内容でもなさそうな(と私には思えます)ものを大事件が起きているかのような扱いにはどう考えてもおかしいと思ってはいました。

今日に至っていよいよこのエントリーに書こうと思ったのは、遂に本日「ここが以前Nさん(女芸人)と霊感師が一緒に来ていたカラオケボックスの部屋です」という意味不明なロケ取材まで登場するに至り、これはさすがにイカンでしょうと思った訳です。何なんですかね、いくら話題の渦中の人たち動向を取り上げるとしても、以前訪れていたカラオケボックスの誰もいない部屋を映してなんの意味があるのでしょうか。この現場で殺人事件でも起きたかのような取り上げ方には、ホント呆れさせられました(こんなものを我が家のリビングで流していること自体知られたくないほど恥ずかしさを覚えるレベルでした)。

「公共の電波を使ってけしからん!」というありきたりの物言いで非難する価値すら感じさせない、それほどにまでひどい番組作りだなと思わずにいられません。「文句があるなら見なきゃいい」に尽きるのかもしれませんが、仮にそうであっても制作側は少し考えて欲しいと思います。ワイドショーと言うものの低俗さは今に始まったことではありませんが、こんなひどいネタと一緒に政治ネタも社会事件ネタも扱われたのでは、いくらワイドショーでも番組内の他の報道ネタに対する信頼感や出演者の信頼感、ひいてはそのテレビ局自体の信頼感が著しく損なわれることになると思いますけど、どうなんでしょうか。

ねつ造やらヤラセやらで過去に悪名を積み重ねてきたテレビのワイドショーですが、そのたびごとに非難のポイントとなってきた「電波の公共性」という問題に関して、制作サイドは結局その本質を分かっていないということになるのだと思います。「電波の公共性」という問題は、ねつ造やヤラセをやらなきゃなんでもいいってわけじゃないのは、まともな大人が少し考えれば分かることだと思うのです。そこまでテレビ番組を作る人間が堕落しているのかと思うと、テレビがどこの家庭でもリビングを占拠し少なからず国民の思想形成に影響を及ぼしている我が国の現状には、そこはかとない恐ろしさを感じずにはいられません。