日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

岩波書店の“縁故採用宣言”が、「なるほど納得」な理由

2012-02-03 | 経営
岩波書店が来年度の採用を“縁故採用”に絞るという方針をネット上で公表し話題になっています。一番詳しく分かりやすい記事がスポーツニッポンにありましたので、まずそちらを掲載します。


応募資格は“コネ”のある人―。老舗出版社の岩波書店(東京)が、2013年度定期採用で、応募条件として「岩波書店(から出版した)著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」を掲げ、事実上、縁故採用に限る方針を示したことが2日分かった。
同社の就職人気は高く、例年、数人の採用に対し1000人以上が応募。担当者は縁故採用に限った理由を「出版不況もあり、採用にかける時間や費用を削減するため」と説明。入社希望者は「自ら縁故を見つけてほしい」としている。
リベラル系の有名出版社が縁故採用を「宣言」したことに対し、インターネット上の投稿サイトなどでは「どの会社でもやっていること」「機会の平等を無視している」「採用側が条件にするのはおかしい」などとさまざまな意見が飛び交っている。(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/02/kiji/K20120202002556680.htmlより抜粋)


表向きの理由は、この記事にも「出版不況もあり、採用にかける時間や費用を削減するため」とありますが、これを額面通りに受け取るとすれば人材採用の枠を自らより狭めてしまうわけで「優秀な人材を本気で探そう」という意欲に欠けているかのようにも取られかねません。がしかし、普通企業が最も重要な経営資源である「ヒト」に関して、そんなにいい加減なやり方をするとは到底思えないのです。ましてや出版社など、不況業種として苦境にあればあるほど、力強くかつ優秀な人材は喉から手が出るほど欲しいハズです。

ならばこの“縁故採用宣言”、同社の本意は他のところにあると見るべきではないでしょうか。一部の企業関係者の方々はお気づきかもしれませんが、私が思う同社の本当の狙いは「営業力ある人材」の発掘ではないかとみています。要するに、『「縁故採用に限る」と言われて「じゃ俺はダメだ」とあきらめるようなヤワな奴はお断り』ということなんじゃないのかと。「縁故」が超えるべきハードルとして与えられたのなら、それをモノともせずに「越えてやろうじゃないの!」と、戦いを挑んでくるぐらいの闘争心と行動力のある人材が欲しいと、私が採用担当ならそう思いますから(少なくとも「機会の平等を無視している」「採用側が条件にするのはおかしい」とか言っている学生は要りません)。

この手の採用方針を正式ではないものの、陰で言い実行してきた企業は昔からけっこう存在します。その代表格が広告代理店大手のD社。私が就職活動をしてた30年ほど前には、「朝のD社のトイレは臭い」と言われるほど営業がバリバリの連日の接待営業をしていたと聞きます。私がその数年後取材でお目にかかった同社の人事担当は、私の「御社はコネ採用が多いですよね」という質問に、胸を張って「コネも実力のうち、正確にいえばコネを作る力こそ実力!」と言って憚らなかった。要するに“広告取り”が屋台骨を支えている大手代理店において、「営業力のない奴はいらん!」ということなのです。

出版業界は活字離れがその経営を根幹から揺るがしかねない状況におかれており、黙って本が売れる時代でないからこそ、求められるものは代理店並みの「営業力」なわけです。岩波が“縁故採用宣言”したからと言って、「親戚が岩波の社員なので応募しました」なんて言うだけの文学青年系学生を採って採用を簡素化しようなどとは、これっぽっちも思っていないでしょう。リベラル系エリート出版社の岩波に不足している「雑草のような強い営業力」こそが欲しいのではないかなと。ならば、むしろ応募者が減ることで、単なる“縁故”と努力して勝ちとった“縁故”の差が明確に出ることにより、より理想に近い人材が採用できるのではないかとさえ思えます。

今ネットのニュースページを見たところ、小宮山洋子厚生労働相が今朝の会見でこの問題に触れ、「公正な採用・選考に弊害があるという指摘かと思うので、早急に事実関係を把握したい」と述べたとか。必要ないでしょう、そんなこと。上記のように理解すれば、至って正当な採用方針であると思います。岩波がハッキリ本意を表明すればいいだけのことでしょう。最後に一言、「世の中、コネより営業力」です。

※ちなみに私、岩波の支持者でもなんでもありません。あくまで企業の「人材採用」という観点からの一考察ですので、誤解なきよう。