日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

オリンパス事件を機とした、監査役にかかわる法改正議論を

2012-02-17 | 経営
オリンパスの巨額粉飾事件で関係者7人が逮捕されました。メディアの注目は、この事件の“飛ばし”指南役とされる元証券会社社員が同社元役員とともに逮捕されたことのようで、昨日来の報道もこの指南役逮捕がクローズアップされたものになっています。私個人的には、外部関与の問題の明確化と罰則規定等の法整備の重要性も確かに理解できるのですが、本事件から強く示唆されるべきは企業のガバナンスのあり方の見直しであるはずで、昨日来の報道を見る限りにおいてはその部分が事件発覚からの日を追うごとにトーンダウンしつつあることに懸念を抱いています。

ガバナンス強化に向けた具体策は、日本の企業における監査役というものの定義および処遇の明確化が最重要ポイントであると思っています。今回の事件でももちろん諸悪の根源は経営トップにあることは確実ではあるのですが、具体的な粉飾を実行した元取締役がその後監査役に就任していたという点にこそ、ガバナンス機能不全の一番の根源があったと思われます。言ってみるなら、犯罪の実行犯が所轄警察の担当官であったという状況を作っていたわけで、事件が発覚すること自体を不能にしていたこの事実は、もっともっと叩くことで他の企業への警鐘をより一層派手に鳴らすべきなのではないかと思うのです。

そもそも我が国の監査役という存在自体が日本企業特有のもので、ガバナンスなどと言う言葉もなかった昭和の時代から長らくは「閑散役」等と言われる“ごほうびポスト”であり、役員経験者やそれに準じる組織功労者(その判断はトップの独断によるのですが)の“上がりポスト”として使われてきた形式的存在にすぎなかったわけです。しかし時代が変わって、マーケットの国際化に伴う企業統治におけるグローバル・スタンダードの考え方の導入と相次ぐ海外・国内の企業不祥事の発生とにより、無理やり日本的監査役を国際基準に押し込もうとしたが故にいろいろな抜けがいまだに存在することこそ大きな問題であり、今回のオリンパスの事件にしても国際的にみれば「なんでこんなトップ子飼いの人物が監査役をやっていたの」ということになるのです。

本来監査役は組織において独立した存在であり、取締役特に日本企業では絶対的な権力を持つ代表取締役の業務執行を監督することがその大きな役割であるのですから、トップの“子飼い”が監査役になるというようなことがまかり通っていたのでは、相互けん制を礎とするガバナンス機能が働くハズがないのです。そうは言っても現状の会社法における監査役の選出方法は取締役会での承認後、株主総会での決定によるという流れであり、代表取締役が絶対的な権限を有する日本の取締役会においてはその意を踏まえない人選などあり得ないわけです。言ってみれば“ザル”法です。理想形は監査役会が候補を選出し、取締役会へは報告の形をとりつつ自動的に株主総会議案になる、という流れが必要なのではないかと思うのです。

さらに監査役報酬にしてもその独立性の精神が同法に盛り込まれてはいるものの、総額が定款または株主総会で決められ、その範囲内で監査役会の協議にとより会社に通知され決定されるのですが、大元の総額決定議案自体が取締役会決定事項であるわけで、この部分も人選同様に“ザル”な訳です。要は取締役会での絶対権限者である代表取締役が、監査役全員の報酬を決めその総額をもって上限として株主総会議案として上程するなら、実質的には代表取締役が監査役報酬を決めていることとなんら変わりなく、報酬決定権者と配下人の関係が自然と成立していまうのですから。

現実はさらにひどくて、大半の企業では取締役報酬と同様に代表取締役が監査役報酬を決めて個別通知しているのが実態という、およそガバナンスなど期待できない状況にあります。監査役報酬の決定方法は、企業の財務情報を全て知りえる立場の監査役であるのですから、企業の経営状態、将来性、役員報酬水準、社員の平均給与などを勘案したうえで監査役会が協議をして個別監査役の報酬を決め、監査役の人選と同様に取締役会報告を経て株主総会で承認を得るという流れがふさわしいのではないかと考えます。

オリンパスのようなトップ子飼いの人物が監査役に就任して、実態として監査役によるガバナンス機能が働いていない例は、大企業においてもまだまだ多くの会社で存在していると思います。もちろん不祥事が起きるか起きないかは、それだけが原因ではありませんが、ことトップが関与している不祥事に歯止めがかかるか否かにおいては、監査役が本来果たすべきストッパーの役目は大変重要なものがあるのです。しかしながら、その重要性を認識できずに自己の支配下で監査役を動かそうという企業トップがいまだに多く存在する理由は、「監査役の定義」に対する正しい理解がなされていないことに尽きるからではないのでしょうか。

その認識を改めるためには、あまりほめられた方法ではありませんが、やはり経営トップに対する罰則規定を含む法的な縛りをもって理解を求めていく以外にはないのではないのかなと。オリンパス事件のような世間を揺るがす企業不祥事が噴出したときこそが見直しの絶好機であり、日本企業の経営における世界水準への向上、ひいては世界的な競争力強化に向けても大変重要なカギを握っていると思うのです。今回の逮捕を機に、不祥事に関係した外部指南者への罰則の法制化議論と共に監査役の選出や報酬に関する会社法の見直し議論は、もっともっと盛り上げるべきなのではないかと感じている次第です。