静聴雨読

歴史文化を読み解く

八月の鎮魂再び

2009-08-04 01:00:00 | 歴史文化論の試み
最高気温が35度を超えた日を「猛暑日」という。今は全国各地で猛暑日を記録しています。

1945年の夏、東京の皇居前広場の玉砂利に座って昭和天皇の「玉音放送」を聞いた人たちは、さぞ暑かったことでしょう。玉砂利から伝わる熱でやけどをする思いではなかったでしょうか。
現在、1945年の夏に皇居前広場に居合わせた人に、当日の記憶を尋ねたら、「玉音放送」の中身より、玉砂利から伝わる熱の方を鮮烈に思い出すのではないでしょうか。

さて、八月はわが国では死者を追悼する特別な月です。それに関連する本を読むのが、私の習わしとなっていて、昨年は「靖国問題」を取り上げました。今年は?

最近、アメリカの下院議会で、戦時中、日本が戦地で働かせた慰安婦(従軍慰安婦)の扱い方に問題があったとして、日本政府に謝罪を求める決議案が可決されました。このいわゆる「従軍慰安婦」問題については、村山内閣の河野洋一官房長官が謝罪の談話を発表していて、一部の人は「もう謝罪を済ませた問題をなぜ蒸し返すのか」と思っているようです。

ところが、問題は簡単ではありません。
背景には、戦時中のみならず、戦後も現在まで続く日本人による人権軽視の事実があるようなのです。最近では、国連が、日本の外国人労働者の受け入れに人権にもとる行為があると指摘したことがあります。

安倍首相は今年4月にアメリカを訪れ、「従軍慰安婦」問題についてはすでに日本政府として「謝罪済み」という根回しをしてきたというのですが、それをとらえたアメリカのメディアが「 Prime Minister’s Double Talk 」というキャンペーンを張りました。
Double Talk とは、辞書によれば、「(政治家などの使う)まことしやかなごまかし」です。
北朝鮮による「拉致」を糾弾する論調と、自国の人権問題への無関心ぶりとが調和していないという指摘なのです。

素人の目には、「謝罪済み」「解決済み」と繰り返すより、改めて、自分のことばで、日本の人権政策を述べて諸外国の理解を求める方がはるかにスマートだと思うのですが。
「解決済み」と言い張るのは、「拉致問題は解決済み」という北朝鮮の言い分と似たり寄ったりです。 

さて、「従軍慰安婦」問題について、2冊読みました。

 吉見義明『従軍慰安婦』、1995年、岩波新書
 千田夏光『従軍慰安婦<続篇>』、1978年、三一新書

この2冊は対照的です。

学者である吉見の著書は、「従軍慰安婦」問題を、歴史の事実を掘り起こすことで明らかにすることに力点が置かれています。慰安施設の設置にあたって日本軍の指示・指導がどのようにあったか、慰安婦はどのように集められたか、国際法に照らして日本軍が「従軍慰安婦」問題についてどのような責任を負うべきか、などです。

一方、ジャーナリストである千田の著書(これは、千田自身の前著『従軍慰安婦』の続篇という意味で、吉見の著書との関連はありません)は、慰安婦からの聞き書きや日本軍の軍人からの聞き書きから構成されていて、身につまされるものがあります。千田の筆致はやや乱暴で、吉見のような客観性に欠けるきらいがありますが、よくこれだけの聞き書きができたものだという思いもします。特に、日本軍の軍人からの聞き書きは貴重で、日本軍が「従軍慰安婦」問題にどれだけ深く関与していたかを明らかにしています。

これら2冊は、内容があまりに衝撃的で、ここで紹介するのをためらいます。吉見の著書は書店で手に入りますので、直接手にとってほしいと思います。
ここでは、両著から共通に導き出されることをわずかばかり記すと:
1.「従軍慰安婦」が、慰安婦の出身地の貧困や格差を負っていること
2.「従軍慰安婦」の中でも、出身が日本か朝鮮か中国かで取り扱われ方に差があったこと

現在、外国から研修の名目で受け入れた「研修生」を企業などで低賃金の「労働力」として働かせることが国際的に非難を浴びています。これらの外国人研修生は日本人労働者に比べて劣悪な労働環境を強いられています。
「従軍慰安婦」問題を知ると、それと現在の外国人研修生受け入れ制度との共通点が見えてきます。
もちろん、これはわが国だけの問題ではなく、ドイツ・フランスなどのヨーロッパ諸国やアメリカにも共通する問題ですが。 (2007/8)




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