静聴雨読

歴史文化を読み解く

「キミユケリ」はどう読む?

2007-12-17 06:02:42 | 文学をめぐるエッセー
日本の俳句は、口に出して明快に理解できるのが特徴だ。「ナノハナヤツキハヒガシニヒハニシニ」から「菜の花や月は東に陽は西に」を導くのは容易だ。

現代俳句ではこの原則が必ずしもあてはまらないものがある。昭和期の俳人の句に次のようなものがある。

 キミユケリトオキヒトツノフニニタリ

漢字を伏して、この句の読みを推理してみたい。「キミ」は「君」、「トオキ」は「遠き」、「ヒトツノ」は「一つの」、「ニタリ」は「似たり」と読むのに異論は出ないだろう。問題は、「ユケリ」と「フ」の読み方だ。「ユケリ」は「行けり」だろうか、「逝けり」だろうか? 「フ」は何だろう。「負」?「富」? 

答えを明かすと: 

 君嫁けり遠き一つの訃に似たり

「前々から気になっていた君が嫁いでいったことを人伝に聞きました。あたかも訃報に遭ったときのような喪失感に襲われています。」・・・30歳代後半の男性が30歳前後の女性を思いやって詠った句と解釈したい。

文字で読むと理解できるが、音読みではなかなかこの背景の深さまで思い浮かばないだろう。「嫁けり」の当て字に無理があるかもしれないが、下し言葉を利用した、いかにも現代俳句らしい一句である。季語も見当たらない。

この句では、「嫁けり」と「訃に似たり」という二つの直截的なことばに挟まって、「遠き一つの」という、ゆったりとしたことばが絶妙な効果を発揮している。室内楽の緩徐楽章に似ている。伝統的な俳句の技法も生かしているといえようか?

朝日文庫で出ていた「現代俳句の世界」シリーズ(*)の一冊で読んだ記憶があるのだが、この俳句の作者の名は失念した。 (2007/1)

長らく不明だったこの俳句の作者が判明した。
大岡信「新・折々の歌 全9巻」、岩波新書(*)、が完結し、同時に索引が刊行された(2007年11月)。その中に、「初句索引」があり、「きみ嫁けり」が載っていた。
作者は「高柳重信」。

大岡の解説では、「感傷におちいる寸前で高然とそれを遠ざけ、青春を葬り去る姿勢を保っている。」(「新・折々の歌 3」、1997年)  

「現代俳句の世界」(朝日文庫)では、第14巻に高柳重信の句が収載されている。  (2007/12)



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