静聴雨読

歴史文化を読み解く

フォンターネを読む

2010-09-17 07:57:26 | 文学をめぐるエッセー
テオドール・フォンターネ Theodor Fontane(1819年-98年)を知っている人は少ないだろう。かくいう私も最近までその名を聞いたこともなかったのだから。

フォンターネは、シュティフターと同じく、19世紀ドイツの作家だ。
その姓から憶測すると、イタリア人と間違えるが、父親は南フランスの生まれ、母親はやはり南フランスから移住した両親の元でドイツのベルリンで生まれたという。つまり、南フランスにルーツを持つ家系で、フォンターネ自身はベルリン近郊で生まれ、生涯、ベルリンで生活した。
だから、彼は、ドイツの作家に数えられる。

フォンターネの作家デビューは遅く、1878年、58歳の時だ。以降、20年間に17作の小説を発表したという。
作風はリアリズム(自然主義)と評されている。つまり、日常の出来事を淡々と綴るのがフォンターネの持ち味だ。

さて、フォンターネの作品が2点岩波文庫にあることを最近発見した。
 『迷路』(伊藤武雄訳、1937年初版)
 『罪なき罪 全2巻』(加藤一郎訳、1941年・42年初版)
戦前に刊行されたこれら二作が、2005年に久しぶりに復刊して、私の目に触れるようになったわけだ。

このうち、 『迷路』を読んでみた。最初の感想は、通俗小説のよう、というものだ。
伊藤武雄の解説に従えば、「大都市の平凡な人間の日常的な運命を愛した」結果がこの小説に実っている。

また、加藤一郎の解説に従えば、「彼は、作中人物の気分や感情を描述するよりも、それらの人物が遭遇する単純で、ありふれた日常的な経験を、軽妙な諧謔に包み、そつのない対話の口調にのせ、語られる言葉によって情景なり性格なりをそっくり写し出そうとする。・・浅薄などころか、それゆえに一そう切実に悲劇的な効果を生み、真に詩的な雰囲気を醸し出しているのである。」
こちらはかなり買いかぶりだ。後半の部分についていえば、作中人物の会話は浅薄さを免れないし、詩的な雰囲気からはほど遠い。私が「通俗小説のよう」と感じたのは、ストーリーの展開のほかに、会話重視の小説作法にあった。

わが国で、戦後の舟橋聖一や丹羽邦雄が忘れ去られたように、19世紀ドイツの通俗小説作家が忘れられるのもむべなるかな、と思う。 (2010/9)


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