静聴雨読

歴史文化を読み解く

翻訳のいのち(ドストエフスキーの場合)

2009-02-05 03:40:01 | 文学をめぐるエッセー
翻訳にもいのちがあります。旬があります。
一般的には、新しい翻訳ほどよいといえます。例えば、シェ-クスピア全集は、坪内逍遥訳で読むよりも、小田島雄志訳で読むほうがはるかに理解が進みます。

翻訳のいのちは、文体のみずみずしさと文章の分かりやすさに集約されます。
日本語の文体は変化が激しく、50年たたないうちに古びてしまうのが普通です。坪内逍遥訳がもはや現代人に受け入れられないのは当然です。

ただし、分かりやすい文章はどの時代にもあり、分かりやすい文章で綴られた翻訳は長生きできるものです。昭和30年代から50年代にかけての、西暦でいえば、1960年代から80年代にかけての翻訳文化隆盛のころに残された翻訳資産の一部がいまだに古びることなく生き続けているのは、分かりやすい文章のお蔭だといえます。

日本人の大好きなドストエフスキーは、戦前から戦後にかけて、中村白葉や米川正夫の訳が大いにもてはやされました。米川正夫訳は河出書房刊の全集にもなりました。また、岩波文庫などにも収録されました。しかし、読んで分かることですが、中村白葉訳や米川正夫訳はもはや現代の文体ではありません。これらを読んで、ドストエフスキーは長たらしくて読み続けられないという印象を植え付けられた人は不幸です。

1960年代から筑摩書房が刊行したドストエフスキー全集は小沼文彦の個人訳でした。比較的無名の訳者を起用したこの全集は大きな冒険といわれました。
しかし、結果は大成功でした。何より、文体のみずみずしさと文章の分かりやすさが際立っています。大部な『作家の日記』や『書簡集』もスラスラと読めてしまいます。私はこの小沼訳でドストエフスキーに親しみました。

その後、1980年前後に新潮社から新たにドストエフスキー全集が刊行されました。この全集は気鋭の訳者を集めたもので、もちろん今でも生きています。
筑摩書房版と新潮社版。二つのドストエフスキー全集を持つ現代の読者は幸せです。(2006/5)
            
金原ひとみがドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の読書経験を朝日新聞2006年5月7日朝刊に寄稿しています。
それによると、彼女は、全3巻の上巻を半分読むのに3ヶ月、上巻の残りを読むのに1ヶ月かかったそうです。ところが、中巻と下巻を読み通すのに3日しかかからなかったそうです。上巻の終わりあたりからこの小説のリズムをつかみ、その魔力にはまったようです。彼女の読んだのは原卓也訳の新潮文庫版です。

ところで、岩波文庫版の『カラマーゾフの兄弟』はいまだに米川正夫訳が現役のようです。1927年に最初の版が出て、1957年に新字・新かなに改版されているとはいえ、翻訳そのものには手が入ったとは思えません。

金原ひとみが原卓也訳の新潮文庫版を選んだのは幸いでした。さもなければ、最初の巻の途中で放り出すハメに陥ったに違いありません。  (2006/5)
            


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