~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ラフマニノフ&ブラームスの夕べ

2006年05月25日 22時29分54秒 | ピアノ
「樋口麻理リサイタル」を聴いてきた。

~~~~~前半のプログラム~~~~~~
<バッハ=ラフマニノフ>
無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番より
―プレリュード、ガヴォット、ジーグ

<ラフマニノフ>
ライラック 作品21―5
プレリュード 作品23―6
コレルリの主題による変奏曲 作品42

~~~~~後半のプログラム~~~~~
<ブラームス>
バラード 作品10
ソナタ第1番 作品1 


という技術的にも内容的にも重量級のプログラムで、聴く方も自然に気合いが入った。

最初のプログラムでは、細かな技術もさることながら、
広いホールのすみずみにまで強音も弱音も豊かに響かせる幅の広さと、
ピアノのコントロールの巧みさに大変驚いた。

「コレルリ」では上下行する音列のそれぞれの意味や、宙に漂う高音の不可思議さ、鐘を突くような強打、
・・・それらが「ラフマニノフの音楽に必須の要素なのだ」ということが私のような不勉強なものにもダイレクトに伝わって来、
演奏者の楽曲への深い深い理解がうかがわれた。

後半プログラムでは一転、
ブラームスの音楽が、自然に演奏者自身の中から紡ぎだされるという世界だった。
とくに「バラード作品10」の4曲は、「曲の勢いで聴かせる」といった類の曲ではないだけに、
音色・響き・構成、こういったもので聴衆をひきつける、非常に高度な次元の演奏だったように思う。

特筆すべきは低音の多様さであろうか。
歌う、語る、叫ぶといった人の声を思わせる表現の一方で、
森に吹く風、海底にくぐもる潮の音、といった自然の音が左手から生み出されていた。
今まで私は、何回かCDでこの曲を聴いていたのだが、こんなにも素晴らしい曲なのだという感想を初めて持ち、
幸せなひとときだった。

ラストのソナタは圧巻。
特に終楽章は、技術的にも「跳躍」「オクターブの連打」「3度のスケール」が相当速いテンポで繰り広げられ、見ていてもほんとに大変な技術なのだが、
これを聴き手に特に難しい感じも与えず、どんどん終結へ向けてたたみかけるように展開していく。
まさに「ブラボー!」。


樋口氏はこれまでもベートーベンピアノソナタ全曲演奏など、
非常に硬派な活動をされておられる。
地元におられるので、また聴く機会にも恵まれるかと思うが、
私にとって、続けて聴いていきたい演奏家の一人となった。