~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ルイサダ リサイタル

2006年11月23日 01時49分16秒 | ピアノ
ルイサダの演奏会を初めて聴いてきた。
ひとことでいうと、大変楽しめた。

昨年放映されたテレビ番組を見ていて思ったのだが、ルイサダ氏は、見とれるような流麗な指さばきで弾かれるわけではない。むしろ弾きにくそうに見えることすらある。
若いころは、フォームもかなり独特だったときくが、実際はどうなのか、興味津々だった。

会場にはテレビの影響か、小さい子供も多かった。
前半は結構ヘビーなプログラムだ。おとなしくしてるといいのだが・・・。

さて登場したルイサダ氏。大変にこやか。
そして椅子にすわり聴衆に向かって挨拶され、おっと、鍵盤をごつん。
苦笑いしながら「<悲愴>の前にハイドンを弾きます」みたいなことおっしゃって、物悲しげな調べを奏で始めた。
その調べが終わって・・・いきなり
「ダ~ン、ダダ~ダ、・・・」
びっくりするじゃないですか。
それにしてもなぜ続けて演奏を?何か意図があるにしても、どういう?
よく弾いたり聴いたりする、ベートーベンの<悲愴>ソナタなのだが、時々耳慣れない音が・・・・内声や低音が強調されているのだった。
1~3楽章とアタッカ状態で続けて演奏されたが、和音がアルペジオ気味にされていたり、両手のタイミングを微妙にずらしたり、時々左手の単音ががオクターブにされて厚みを増していたり、ロマン派寄りな感じのベートーベンだった。
----子供たちの中には、初めて聴いた子もいるかもしれないが、いきなりマネしたら先生に叱られますよ(笑)------。
ことに2楽章冒頭はpで弾かれるのが一般的だと思うが、なかなかはっきりと厚みのある豊かな音量で弾かれていた。

でも私は楽しく聴いてました。
たしかによく耳にするべートーベンとは趣が違っていたのだが、テンポ等の大きな枠を維持しつつ、意図的に(もしかしたら即興的に)試みられていることが、ベートーベンの良さを損なう形ではなく、さらなる可能性を示したものと私には思われたからだ。

続くショパンのソナタ3番はさらにこの傾向が顕著な気がした。
ルイサダ氏は、かつてショパンコンクールの入賞者であり、テレビでも「ショパンを弾く」の講師で登場した方なので、ショパンはオーソドックスに弾かれるのかと思ったら、そうでもなかった(笑)。
時々浮上する内声や炸裂する低音のおかげで、聴きなれたはずのこの曲が、時々別の顔を見せた。
実はこのソナタ3番に関しては、某ピアニストが、内声強調、激遅の一途をたどっているということをしばしば耳にしているので、ルイサダ氏のこういった演奏の傾向を感じとった時は、「流行ってる?」と思わず思ってしまった(笑)。
それにしても、鳴ってました、ピアノ。
ホールとの関係なのか必ずしも美しい響きばかりでもなかったけど、「こんなに鳴るんだ、あのピアノ(9月のピアノ開きで、自分もこのピアノは弾いているので・・)」と思ったことだった。

後半プログラムはチャイコフスキー、グラナドス、ウェーバー、バルトーク、ショパンの舞曲(マズルカ、ワルツなど)を集めたプログラムで、おしゃれなサロン風のものあり、民族的リズムのものありで、ルイサダ氏の魅力一挙大公開状態。
ウェーバーの「舞踏への誘拐」はお得意のプログラムだそうだ。今まで発表会等で耳にしてもさほど心ひかれたことはなかったのだが、今日のはちょっと自分でも弾いてみたいと思うような、洒脱で魅力的演奏だった。
曲の途中でフライング拍手があったのだが、それも「お客さまとの対話」風に曲の中で、目配せと演奏でもってさばいて、さすがのエンターティナーぶり。

アンコールはショパンのマズルカ作品17-4と24-2が弾かれた。
吉田秀和氏がルイサダ氏のショパンのマズルカを絶賛していたのでぜひ生で聴いてみたかったので、うれしかった。
私は17-4は弾いたことがあるのだが、難しいのは、静かな部分ではなくむしろ中間部の激しいリズムのところのように思った。思い切って足を大地にたたきつけるくらいのノリはなかなか出せない。ちょっと荒いくらいかな・・と聴きながら思ったが、それがまた逆にいい味を出していた。・・・やはり私のような者にはマズルカはなかなか難しい。

ところで私は会場でハイドンのCDを買って帰ったが、これがなかなか良かった。
コンクール等で指回り滑らかに達者に弾かれることの多いハイドンなのだが、このCD誠実でシンとしたところもあって、かなり好きな演奏だった。

ルイサダ氏、またいつか聴いてみたい思う。
特に、ソナタ系がどう変化(進化?)していくのかを追ってみたい気がする。


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