1923年、稚内から当時日本領だった樺太・大泊へ連絡船が運航を開始しました(稚泊航路)。
1928年、臨港線として稚内駅(現・南稚内駅)から稚内港駅(現・稚内駅)へ延伸します。
その稚泊航路が発着したのがこの防波堤でしたが当時はドームがなく、
波が防波堤を越えて岸壁にいる人が海に転落する事故も起こりました。
そこで防波堤ドームが建設され1936年に完成しました。
同年、ドーム内に稚内駅の延長扱いで稚内桟橋駅が開業、
これにより乗客は列車から連絡船への乗り継ぎがスムーズにできるようになりました。
風の強い稚内でこのドームの威力は抜群で、
私が行ったときにも市民の方が散歩やジョギングを楽しんでいました。
北海道遺産にも指定されているこのドームですが、
ただ単に歴史遺産としてここにあるのではなく市民になくてはならないものなのですね。
第2次世界大戦終戦の1945年まで運行されていた稚泊航路、記念碑が建てられています。
碑文はよく読めなかったのですが稚内市のHPによると…。
航路開設は大正12年(1923)5月1日、167㎞、所要時間約9時間、
昭和2年(1927)砕氷客貸船亜庭丸(3,355トン)が就航
などと書かれているようです。
砕氷船、だったのか。
厳しい北の航路だったのですね。
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