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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

水稲発祥の地(伊達市)

2025-09-02 06:06:48 | 北海道の旅日記(道北、道南)

伊達市街地を歩いているときに見つけた“ブツ”です。
場所は伊達市旭町、だて観光協会の裏の住宅地の中です。

私はこういう記念碑みたいなものを発見するのが得意なのです。

発見したのはいいのですが、案内も何もありません。
民家の塀の内側からニョキっと立っているだけだ。

これだけでは何が何だかさっぱりわかりません。
こういう時は中央図書館で「市史」などを調べるしかなかろう。

「市史」の他「伊達町小史」などを調べると伊達市で最初に稲作が行われたのは明治5(1872)年だという。
その際は旭町で稲作の試作を行ったという記録がありました。

住所的に、ピンポイントでこの場所かどうかはわかりませんがここを発祥の地としたのだと推察されます。

伊達市ではその後試作と本格的な作付けを繰り返していたようですが、
冷害などもありなかなか稲作は定着しなかったようです。

稲作が本格化したのは明治28(1895)年以降で、
1903年に長流用水土工組合が成立し長流用水路が竣工した後は盛んになったとあります。

稲作は農業用水がしっかりしていないと大規模化はできないのだな。
そして北海道の開拓期には全道で稲作への渇望があったことがよくわかります。

今の伊達市の農業は甜菜と野菜、そして畜産がメインとなっています。

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「騎兵捜索第七聯隊跡」と謎の建物

2025-06-17 05:16:20 | 北海道の旅日記(道北、道南)

覆馬場がある敷地の一角に「騎兵捜索第七聯隊跡」という記念碑がありました。
その横に碑文もあります。

碑文を読んでも核心部分はよくわからない。
何かぼやけた表現になっている。

建立は平成元年となっています。

それから謎の建物、これはあさでん春光バスセンターの国道側に隣接しています。
“いかにも”という雰囲気がありますなぁ。

その雰囲気に釣られてとりあえず写真を撮ってみました。

帰ってきてから調べるとこの建物は第七師団の砲弾の作業庫だの武器の倉庫だのという記述がある。
が、そのどれもが裏付けが取れない。

この建物の立地や古さから第七師団に関係するものという可能性が非常に高い。
これは機会があれば調べねばなるまい。

ターゲットは道立図書館か北鎮記念館かな。
その前に、この建物が何かご存じの方はご教示ください。

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旧第七師団覆馬場(おおいばば)

2025-06-16 05:43:24 | 北海道の旅日記(道北、道南)

旭川市春光、国道39号線沿いのスタルヒン球場の向かいに陸上自衛隊旭川駐屯地があります。
ここは戦前は陸軍第七師団(だいしちしだん)が置かれていました。

当時は敷地内で様々な施設が建てられていましたが、その中の一つがこの覆馬場になります。

第七師団では多くの軍馬がおり、乗馬訓練なども行われていました。
厳寒の旭川では冬用の馬場として大正元年から2年にかけて、この覆馬場が建てられたと推定されています。

レンガ造り平屋建て、屋根には採光用の高窓と砂ぼこりを排出する小さな越屋根があります。
現存する覆馬場としては北海道唯一の覆馬場の遺構と思われます。

ネットで調べると“あさでん春光整備工場”と出てくることが多いのですが、
今は農業資材の会社(住商アグリビジネス)の倉庫として使われています。

ところで陸軍第七師団は1896年に札幌に創設されました。
初代師団長は第2代北海道庁長官でもあった永山武四郎です。

1901年に旭川に移転、終戦により1945年に廃止になっています。

※旭川市春光3条7丁目、あさでん春光バスセンター横

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黒岳の湯

2025-05-18 06:41:42 | 北海道の旅日記(道北、道南)

札幌から滝上に行く途中、寄り道して「黒岳の湯」に行きました。
層雲峡温泉街の中にある日帰り温泉施設です。

車で行っても施設の前に公共駐車場があるので安心だ。

建物は3階建て、1階はレストラン、2階に受付と大浴場、3階にサウナと露天風呂があります。
ロッカーもあるので荷物を持っていても大丈夫、これは私にとっては大事なこと。

泉質は弱アルカリ性低張性高温泉(単純硫黄泉)ということですが、
9泉源からなる混合泉で、湯温が高いので加水していますがかけ流しです。

層雲峡温泉の泉質は単純泉と硫黄泉とされていますが、その両方が含まれているわけだ。

さてオフシーズンの日中、館内は非常に空いています。
私はひたすらのんびり、湯に浸かり天然温泉を堪能しました。

層雲峡は大きなホテルというイメージがありますが、
温泉街には小規模なホテルや旅館、ペンションなどが並んでいます。

温泉街のこじんまりとしたお宿でのんびりするのもいいな。
外に出れば土産物屋や食堂、ビジタ―センターもある。

今度オフシーズンに泊まってみようかな。

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「オスパーコート宮前」で熱波イベント初体験

2024-12-02 05:16:37 | 北海道の旅日記(道北、道南)

既にここで書いた通り、27日~28日は旭川に行ってきました。
年内最後の泊りがけの出張、泊まったお宿は「オスパーコート宮前」でした。

ここは何度か泊まったことがあります。

施設のメインは日帰りの“スパ”と“サウナ”、最近はサウナに力をいれておりその界隈では有名になっています。
宿泊の部屋は和室と洋室、マンションと同じ造りで中にはバス、トイレ、キッチンが備わっています。

和室は広いぞ、お勧めです。

17時過ぎにチェックイン、早速お風呂でさっぱりしようと入浴中の18時に熱波イベントが始まりました。
熱波イベントがあるとは知らないで入浴していたのですが、イベントがあるなら迷わず参加だ。

熱波イベントを体験するのは初めて、映像などでは見ていたのですがどんなものなのか。
この日の熱波師は「Tiger・ヤマ」氏、タイガースファン(特に藤川球児)、得意技はヤマステップだそうです。

イベントの時間は15分ほど、その中でいろいろ披露してくれるのですね。
参加したお客さんもノリノリで、私もそれに乗っかり終わるまで楽しみました。

汗もかきますなぁ…。
私は平気でしたが、参加するときは無理せずに体調を考え途中離脱をしてくださいね。

熱波イベント、楽しいね。

札幌市内でも行っているところがあります。
機会があればどこかで参加しようかな。

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松浦武四郎名寄川上流到達点(下川町)

2024-10-07 05:45:47 | 北海道の旅日記(道北、道南)

8月16日のブログで下川町の「テッシ武四郎カード」をご紹介しました。
その際に合わせて『松浦武四郎野営地之地』の碑を取り上げました。

松浦武四郎がこの地を探検した時に宿泊したところですね。
武四郎は名寄川をさらに遡り、三の橋付近まで到達しています。

その最終到達点にあるのが表題の碑で、28線のバス停の横に建っています。
以前は30線付近にあったそうですが、2018年に新たに設置されました。

どこが最終到達点かは正確にはわからないのでしょう、
まぁこの辺でよかろうというところに設置したと思われます。

時は1857年、開拓前のことなので正確な記録なんぞあるわけがない。
そのような中で場所は推定とはいえ碑を建てたのいうのは大したものだよ。

それと、有名人の武四郎の知名度を生かし何でもかんでも注目スポットにする発想が楽しいな。
こういう視点は大事だと思います。

ただ、どこもそうですが情報がバラバラで統一感がありません。
だから同じ下川町の武四郎関連の“ブツ”もバラバラで紹介する羽目になります。

産業考古学の知見と観光振興の経験を併せ持つ方がいればと思います。
残念なことですね。

※自治体、観光協会、郷土史研究会などの組織がバラバラで動いていることも原因の一つ

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ぐるり亀田半島、一周の旅 … 終わりに

2024-06-13 05:24:48 | 北海道の旅日記(道北、道南)

今回は1泊2日で亀田半島を海岸沿いに一周してきました。

この海岸部を通るのが国道278号線、起点は函館駅前で終点は森町の国道5号線の交点です。
ここをメインに、ところどころ道道にそれながらあちこちに立ち寄りました。

このルートの特徴はとにかく海岸美、陸側は山で海側は津軽海峡と太平洋、
そこに挟まれた狭い平地に人家が立ち並ぶという景色が連続します。

逆に言うと、シビアな自然環境ということができます。
その海岸美と厳しさが一番実感できるのが日浦洞門なのでしょう。

晴れていればともかく、私が行ったときには雨模様だったのでかなり緊張感があったぞ。
恵山も晴れていれば絶景だったろうにと、ここでアップした画像を見て思います。

それからとにかく、ネットではあまりヒットしない名も知れぬ温泉が温泉が多い。

石田温泉、恵山温泉、川汲温泉、大船温泉なんぞは道民でも知る人は少なかろう。
その他にもいろいろな温泉が点在しているのがこのエリアなのです。

このどれもが函館から車で1時間ほどなのですから、羨ましい。
そしてこのエリアの全てが、特別な期間を除いて道が空いている。

亀田半島を堪能したよ。

次回、函館に行ったときには松前半島の攻略だな。
いつになるかわからないけど。

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ぐるり亀田半島、一周の旅 … 東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(森町)

2024-06-12 05:10:53 | 北海道の旅日記(道北、道南)

江戸末期、幕府は南下するロシアに対する警備のため東北6藩に蝦夷地の警護を命じました。

仙台藩は白老に本陣を置き広尾、厚岸、根室、国後、択捉に出張陣屋を置きました。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/a2a953179e037119fd2ef9bf96108987/?st=1
庄内藩は浜益に本陣を置き留萌、苫前、天塩に出張陣屋を置いています。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/581b78d2c5994569cc8534dcaf49bfbf

そして南部藩は函館に本陣を置き砂原、モロラン(室蘭)、ヲシャマンベ(長万部)に出張陣屋を置きました。
函館の本陣は遺構は残っていませんが、ロープウェイ山麓駅付近の“南部坂”に名を残しています。

出張陣屋の砂原、室蘭、長万部の各所は残っていて、国の史跡に指定されています。

その砂原の陣屋跡は砂原3丁目の市街地にあります。
国道を走っていると看板があるのでわかりやすい。

築造されたのは1856年、1868年(明治元年)に撤退しています。

現地は高さ3mの土塁が残っており、東西37間(66.6m)、南北33間(59.4m)、
ここに約30名(50名とも)が駐屯していたと言われています。

土塁以外の遺構は見当たりません。
市街地の中にあるので街並みに飲み込まれたのであろう。

簡単な陣屋跡の案内板もありますが、その内容もどうも怪しい。
この陣屋についていろいろな資料がありますが、内容がバラバラだ。

このような例はいろいろあり、自治体の公的資料でも信用できない。
この陣屋についても砂原町史ではモロラン出張陣屋の屯所(派出所)という記述がありますが真偽は不明。

いろいろな経緯があったことは承知していますが、事実を特定することは大変なことだと思います。

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ぐるり亀田半島、一周の旅 … しかべ間歇泉公園(道の駅 しかべ間歇泉公園)

2024-06-11 05:27:09 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

さて旧南茅部町内をバイパスを通らずひたすら海沿いに北上、鹿部町に入ってからも海沿いに…。

道南は北海道の中でも早くから開けていた場所、自転車でゆっくり走れば気になる“ブツ”があるだろうに。
実際に、道中にはちょっと立ち寄りたくなった建物やスポットがいくつもありました。

そろそろ休憩でと立ち寄ったところが「道の駅 しかべ間歇泉公園」です。

間歇泉そのものにあまり興味はない、しかしたまたま寄ったとはいえここにあるのなら見てみるか。
そんな軽いノリで、道の駅の受付で入場料(300円)を払いしかべ間歇泉公園へ。

受付で10分~15分おきに温泉が噴き出すとの説明を受ける、その高さは約15mだという。

ところで“間歇泉”とは、周期的に地面より噴き出す温泉のことです。
北海道では羅臼温泉と登別温泉にもありますが、噴き出す間隔が長い(2~3時間おき)ので観光資源としては難しい。

国内では宮城県・鬼首(おにこうべ)かんけつ泉は約10分間隔で高さ15m、
大分県別府の龍巻(たつまき)地獄は30~40分間隔で高さは約30mほどとなっていますが石で囲っているためほんの数mしか見られない。

要は観光客がふらっと立ち寄った短い時間に繰り返し噴き出す間歇泉は少ないということで、
ここの間歇泉はその要件を満たしているため名所になっている。

こことて噴出孔の真上には覆いがあり、噴き出す高さが15mなどという迫力はないのですが。

これは有料エリアでしか見られないようにする工夫だな。
高さ15mとはビルの高さでは5階建て相当、町としてはそれを無料で見せる訳にはいかんからな。

間歇泉で収益を得たい、間歇泉をそのまま見せると有料エリア外からでも自由に見ることができる。
それゆえ、間歇泉の有料エリアだけで見られるように覆いを設け制限している。

そういう事情なのでしょう、涙ぐましい努力なのです。
ちなみに鬼首の間歇泉も入園料(大人500円)を取っております。

短い間隔で噴き出す間歇泉はお金になる、鹿部と鬼首はそういうことですね。

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ぐるり亀田半島、一周の旅 … 北海道建網大謀網漁業發祥之地・碑

2024-06-10 05:20:42 | 北海道の旅日記(道北、道南)

旧椴法華村を出て旧南茅部町のエリアに車を進めます。
国道は海に沿って立ち並ぶ集落を縫うように通っています。

尾札部の集落に黒鷲岬という小さな岬があります。
国道はその岬の付け根をトンネルで通過しますが国道から離れて旧道に入る。

そこに建っているのが「北海道建網大謀網漁業發祥之地」に記念碑です。
“大謀網(だいぼうあみ)”とは大型の定置漁網のひとつ。
    → https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990536_00000

1839年(天保10)に尾札部村の飯田屋与五左衛門と臼尻村の小川屋幸吉が計画、
南部地方の田鎖丹蔵を招き黒鷲岬と弁天岬(臼尻地区)で鮪大謀網漁をしたと伝えられています。

これが北海道の大謀網漁の始まりとされ、それを記念して1954年に建立されました。

田鎖丹蔵(たぐさりたんぞう)は今の岩手県大槌町吉里吉里の方で、
1806年(文化3)に鮪建網を改良し成果を上げたらしい。

与五左衛門と幸吉はこの漁法の先駆者である田鎖の指導により技術移転を受けたのですね。
最初の大謀漁は失敗したが改良を加え、1842年に大漁になったと南茅部町史にはあります。

最初から上手くいったわけではなかった。

この漁法はのちに各地に伝わり、漁業の発展に寄与したと思われます。
小さな岬の記念碑に思いを馳せるのもまた楽しいことよ。

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