奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

急行「はまなす」に遭遇

2016-02-28 07:08:26 | 鉄道



昨日、札幌駅に行ったらたまたまこれが入線する時間。
札幌発青森行の急行「はまなす」、札幌出発は22:00ですが入線はは21:42。

こいつにはいろいろお世話になりました。

自由席や普通の指定席、ドリームカーからカーペットカーや寝台車まで、
連結されているいろいろある席の全部に乗りましたなぁ…。

それが来月、引退だ。
最終列車は札幌発が3月20日、青森発は3月21日です。

それまでには多分、私はもう急行「はまなす」にお目にかかることはないでしょう。
なので昨日の目撃が最後の出会いになる可能性が高い。

間もなく廃止という注目の列車、あちこちで画像を撮る方がいらっしゃいます。
私は邪魔にならないように細々とパチリ。

ヘッドマークだけ、とりあえず撮れた。

私にとって最後の、急行「はまなす」の雄姿でした。
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「北海道新幹線開業記念ー大鉄道写真展」

2016-02-27 04:54:26 | 鉄道



札幌駅総合開発(株)は北海道新幹線開業に先駆け、
北海道の鉄道をテーマにした公募展を開催しています。



☆「北海道新幹線開業記念ー大鉄道写真展」


会 期:28年2月26日(金)~3月13日(日)、10:00~19:00
会 場:プラニスホール(中央区北5条西2丁目、札幌エスタ11F)
入場料:無料
主 催:札幌駅総合開発(株)、北海道新聞社



会場では昔の蒸気機関車や連絡船が活躍していた時代の風景から、
昨年引退した「北斗星」や今年運転を休止する「カシオペア」、
そして北海道新幹線などをモチーフとした写真が展示されています。

グランプリ、準グランプリに輝いた作品を含めその数90点、
全国から応募された力作が並んでいます。

函館市電の「箱館ハイカラ號」や「たまねぎ列車」、秘境駅の小幌駅などの他、
日常の暮らしそのままのほんわかする写真もたくさんありました。

場所もサツエキに近く便利なところ、お近くにお寄りの際はご見学ください。

※準グランプリの「R3000を試験走行中!」はどこから撮っているのだろうか?
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一日散歩きっぷ、発売再開へ

2016-02-25 05:44:45 | 鉄道



JR北海道は24日、一日散歩きっぷの発売再開を発表しました。
    → http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2016/160224-2.pdf

発売が再開されるのは道央圏用の「一日散歩きっぷ」と、
道北圏用の「道北一日散歩きっぷ」です。

フリーエリア他は今まで通りです。

発売再開は知っていましたので、これについては驚きはない。

一日散歩きっぷは11月14日で販売休止になっていました。
当時は駅の廃止、列車の間引きなどでいろいろと騒がれていた時期でした。

その中での突然の発売休止は驚きましたが、JR北海道の戦略も見え隠れしていました。
この間、同社は各線区で詳細な調査をしていることでしょう。

学園都市線末端区間、石勝線夕張支線、根室本線富良野ー新得間、宗谷本線名寄以北、
函館本線山線区間、留萌本線などが一日散歩きっぷがなければどれほどの利用実績が…。

さてこれからが本番です。
平日は通院・通学でそこそこの利用がある区間が土日、どんな様子かわかってしまった。

これから廃線の議論が具体化していくと思われます。

客観的な利用実績を前に関係者は「JRの公共性」や「地域のシンボル」などといっても、
札幌圏を含めて全路線が赤字というJR北海道の現実の前には説得力を持ちません。

廃線が噂されている各線区を本当に残したいならば、
客観的なデータや具体的な提案を基に納得できる増客策を示さなければ、
廃線の流れは止まらないでしょう。

また地元負担も考えなければいけません。

情緒的ではない、大人の議論ができないところは廃線になる。
関係者は思案のしどころです。

※「JRは今まで対策をしなかった」は通用しない。それは地元も同じなのだから。
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1978年サマー・アクションシリーズ 紋別大会(全日本プロレス)

2016-02-23 05:20:42 | スポーツ



私が実家にいたころ、紋別で毎年全日本プロレスの試合が行われていました。
それは欠かさず見に行っていましたねぇ。

出てきたチケットが、これ。
日付が全く書いていませんが、調べてみると1978年7月23日ではないか。

参加選手は画像の通り、懐かしい名前もあります。
アブドラ・ザ・ブッチャーもいたような気がしますが、別の年だっただろうか。

グレート小鹿と大熊元司は当時、アジアタッグ王者でした。
このコンビの試合、好きだったなぁ。

さてチケットに書かれていない選手のお話を少し。

全日のプロレスは第1試合がだいたい15分1本勝負の前座試合でしたが、
このころは渕正信選手や百田光雄選手が出てきていました。

渕選手は体の線が細く、とてもプロレスの選手には見えませんでした。
第1試合とはいえ、いくら何でもそりゃないだろう…という感じ。

でもファイトは凄く気持ちがこもっていた。
そして今では全日の顔ですからね。

また当時は大仁田厚選手もいたはずですが、あまり覚えていない。
その大仁田が参議院議員になったりバラエティやドラマに出たりしている。

いやぁ、時代の流れを感じますね。

プロレスがテレビのゴールデンタイムで放送されていたころのお話でした。
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名寄駅、ツインクルプラザ3月で閉店という報道に対し

2016-02-22 06:12:24 | 北海道のこと
JR北海道は19日、6店舗のツインクルプラザ(旅行センター)を閉店すると発表しました。
6店舗は琴似、桑園、滝川、千歳、網走、そして名寄の各駅です。

名寄駅の閉店に対し、道新が記事にしていました。

例によりJR北海道の後ろ向きな施策に対し、
地元から批判的な反応が出ているということです。

ツインクルプラザの閉店は、実は地元にとってはチャンスなのではないか。

今まではJRが地元の旅行需要の利益を吸い上げ、儲けは札幌に持っていかれていた。
それが閉店することによって地元の旅行代理店は旅行需要の全てを抱え込むことができる。

閉店により儲けを地元業者で独占できるではないか。
これをチャンスといわずとして何がビジネスチャンスなのだろうか。

それをJRに対しありがとうと言わず批判するとはどうなのかと、私なら思う。

そのようなことはないと信じてはいますが、
地元・名寄で旅行代理店は成り立たないと考えているなら本末転倒だ。

元々成り立たない事業の赤字をJRに押し付け、赤字を理由に撤退することを批判する、
だが地元では赤字を抱えてまで旅行代理店をするつもりはない…ということだから。

だとしたらご都合主義の極みですね。

幸いなことに名寄には地元資本の旅行代理店があります。
その方にとってはツインクルプラザの閉店は朗報でしょう。

そういう側面を見ずに何でもかんでもJR批判という最近の風潮に、
私は違和感を覚えています。

記事にしやすい、賛同を得られやすい、反論しにくいというJR北海道の諸問題、
正論を吐くだけではなくもっと多面的に考えていきたいものです。
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ウェストサイド物語(劇団四季)

2016-02-21 08:32:00 | 滝上町



私が初めて劇団四季のミュージカルを見たのは1978年(昭和53年)、
高校1年のときに紋別であったウエストサイド物語でした。

当時、高校の校長に「ミュージカルを見に行きます」と言ったところ、

「ミュージカルって何ですか?」

と聞かれた。
そこであーだこーだと説明したらその校長は

「少女歌劇みたいなものですか?」

と、今では考えられないそんな時代でした。
まっ、退職間近のお爺ちゃん校長だったしな。

ということでミュージカルを見に行くのは音楽の先生だけに伝え、
家族や友達には何も言わないで一人で見に行きました。

何か聞かれても説明するのが面倒だったのだ。
音楽の先生にだけは羨ましがられた。

さて、その時のキャストです。

リフ/飯野おさみ トニー/鹿賀丈史 ベイビー・ジョン/市村正親 マリア/久野綾希子

などなど、今考えるとすごい舞台を見ていたわけだ。
演出は当然、浅利慶太ですし。

ミュージカルとは何ぞや、劇団四季とは何者か、浅利慶太って誰?
そんな田舎に住んでいたにしては恵まれた環境にいたのだな。

見たいもの聞きたいことは誰がなんと言おうと1人でも見たり聞いたりする。
それは今も変わらない、成長していない私がいます。
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チーズ発祥の地と工場記念碑

2016-02-20 05:31:27 | 北海道のこと



安平町は農業が盛んなところで特に遠浅地区は古くから酪農で栄えています。
最近まで日本最古の木造サイロもありました。

北海道製酪販売組合連合会(酪連、後の雪印乳業、現・雪印メグミルク)は1933年、
安平町遠浅に日本最初のチーズ専門工場を建設しました。

その跡地に発祥地の案内と工場記念碑があります。





商品の販売開始は1934年、チーズは好評を博し注文に追い付かなかったようです。
生産量は1933年が1万3千㎏、それが1937年には12万5千㎏になったとか。

酪連が雪印乳業になった後も国内チーズ生産の主要工場として稼働していましたが、
この工場でのチーズ生産は1985年に終わり大樹工場に集約されました。

工場はその後雪印食品北海道工場になり食肉加工を開始、
同社破たん後は春雪さぶーるの工場となっています。

さて安平町は今でもチーズの生産が行われています。

「プロセスグループ夢民舎」と「チーズ工房角谷」で、
酪連から続くこの地でのチーズ生産の伝統を引き継いでいます。

このようなDNAはなくならないのだ。

チーズ発祥の地の案内と工場記念碑は春雪さぶーるの工場のあたり、
国道からは少し入ったところのややわかりにくいところにあります。

ご興味のある方はお立ち寄りください。

※勇払郡安平町遠浅125-1
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中標津町がついに…

2016-02-19 05:27:02 | 北海道のこと



先日、昨年行われた国勢調査の速報が出ました。

北海道関係では全179市町村のうち人口が増加したのは8市町、
あとは全ての市町村が人口減となっています。

詳細は新聞等で報道された通りなので詳しくは述べません。

さて私が国勢調査の度に注目しているのは中標津町。

同町は1946年に標津村から分村し中標津村が誕生して以来、
国勢調査のたびに人口を増加させてきました。

今まで一度も減ったことがない。

さて今回も人口は増えているのか。
住民基本台帳では増えているようなのですが…。

速報値を見ると中標津町の人口は23,777人、
前回よりも205人(0.9%)減っていました。

速報値なので確定値とは異なる数字が出ることがありますが、
今の段階ではとうとう人口減となった。

あの中標津町もついに…。

北海道はいよいよ、厳しくなりますね。
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東追分駅

2016-02-18 04:46:28 | 鉄道



普通は、鉄道の駅というものはなるべく道路に近いところに作ります。
大きな道路に面していなくてもそこから延びる道の踏切付近に作るのは当たり前。

ですが東追分駅にはダイレクトに接続する道はなく、
近くの道路から伸びる取り付け道路を辿った先にあります。

遠くから見ると畑の中にポツンと取り残されたように見える。

以前は近くを通る道路の踏切横にありましたが石勝線開通時に追分寄りに移設、
その際に単線1面だったホームが2面2線になりました。

駅というより信号場としての機能が優先したわけだ。
ということで、ホームの前後にスノーシェルターがある。





辺りは農家が点在するのみ、利用客は少なく1日1名以下、
そして来月には廃止になります。

こんな立地ではそうなるわなぁ。

この駅も廃止後は十三里駅と同じく信号場として残ることになるでしょう。
そうなるといよいよ畑の中に取り残されたただの鉄道施設にしかならなくなる…。

それって今と変わらない存在なのだな、多分。
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十三里駅

2016-02-17 06:46:02 | 鉄道



安平町に用事がありました。

そのついでに来月で廃止になる駅を見てみよう。
ホームなどが撤去される前に記録しておくかと思った次第。

今日は十三里駅。





国道274号線沿いにある十三里駅は私が道東に行くときによく目にしていました。

周辺はメロン農家が点在する純農村地帯、
利用人員は1日1名以下ということで来月廃止になります。

駅は相対式ホーム2面2線、前後にスノーシェルターがあります。

ここは通行量が多い国道沿いにあるために間もなく廃止と聞いてもピンときません。
運転中でも“十三里駅”の案内板がよく見えますし。

ですがそれもあとわずか、日が経てばここに駅があったことも忘れるのでしょう。
廃止後に残るスノーシェルターだけがここに駅があった目印になります。
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