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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

紋別市立鴻之舞中学校・碑

2025-05-31 05:36:15 | 北海道の旅日記(道東)

小学校の向かいにあったのが鴻之舞中学校、開校は1947(S22)年となっています。
この碑にある開校日は学制改革で正式名称が鴻之舞中学校となった日ですね。

中学校の始まりは昨日の鴻之舞小学校のところで書きましたが、
1926(T15)年に鴻之舞尋常小学校に高等科が併置された時に始まります。

これが鴻之舞高等小学校で、変遷を経て1947(S22)年に鴻之舞中学校になりました。

開校当初の校舎は小学校に間借りしていましたが、
生徒数の増加により1950(S25)年に校舎を新築し独立しています。

1959(S34)年には在校生が509名になりピークを迎えましたが、
その後は小学校と同じく在校生が減り1973(S48)年に閉校しています。

略歴は以下になります。

1926(T15)年鴻之舞尋常小学校に併置され、鴻之舞尋常高等小学校として開校
1947(S22)年学制改革により鴻之舞中学校になる
1950(S25)年校舎を新築、独立する
1973(S48)年閉山により住民がいなくなり閉校

閉校前年の1972年の在校生は86名、翌年にはゼロになっています。
閉山で一斉に住民がいなくなったことがわかりますね。

鴻之舞に限りませんが、鉱山の閉山とはなんと寂しいものかがわかります。

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紋別市立鴻之舞小学校・碑

2025-05-30 05:39:33 | 北海道の旅日記(道東)

鴻之舞での碑を紹介した場所から少し奥に行ったところに道路を挟んで小学校と中学校がありました。
紋別方面から行くと左に小学校、右に中学校でした。

鴻之舞での教育の始まりは1918(T7)年、元山鉱夫浴場を模様替えし仮教授場が置かれてから。
翌年には正式許可を得て藻鼈尋常小学校所属元山教授場となり、1926(T15)年まで続きました。

これとは別に1919(T8)年、鴻之舞特別教授場が開校、1921(T10)年から元山は鴻之舞の所属になります。

前述のように1926(T15)年には元山が廃止になり鴻之舞に統合され更に高等科が併置されました。
鉱山の発展と共に児童数が増え、1942(S17)年には在校生が1,593名でオホーツク管内最大規模になっています。

その後も盛衰がありましたが、鉱山の閉山と共に1973(S48)年に閉校となっています。
尚、鴻之舞地区には「上鴻之舞小学校」もありましたが1968(S43)年に閉校になっています。

略歴は以下になります。

1918(T7) 年元山仮教授場開校
1919(T8) 年藻鼈尋常小学校所属元山教授場となる(~1926年まで)
        鴻之舞特別教授場開校
1921(T10)年鴻之舞尋常小学校になる
1926(T15)年高等科併置
1942(S17)年在校生が1,593名(31学級)を数えオホーツク管内最大規模となる
1947(S22)年学制改革により鴻之舞小学校になる
1973(S48)年閉山により住民がいなくなり閉校

児童数の変遷でいうと、鴻之舞鉱山は戦時中に政府から閉山命令を受け児童数が激減、
1947年の在校生は479名(12学級)となりました。

戦後に鉱山が再開されると児童数が激増、1959年には在校生は1,170名(24学級)になりました。
1963年から鉱山の合理化が始まり児童数が減少、そして閉校になっています。

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鴻紋軌道について

2025-05-24 05:40:20 | 北海道の旅日記(道東)

昨日ご紹介した鴻紋軌道記念碑は実はもう一つあります。

どこにあるかというと、鴻紋軌道の起点だった紋別市街地、
旧紋別駅跡にある「オホーツク氷紋の駅」の前です。

そこには鴻之舞にある記念碑と同じ趣旨のものが建てられています。
もちろん、金鉱石も鎮座しています。

鴻紋軌道の遺構はいくつかあるのですが一番わかりやすいのは「五号杭橋」で、
紋別から鴻之舞に向かう道道の途中に道を跨いで架かっています。

この橋は現在も鴻之舞鉱山跡の沈殿池への送水管を渡すために使われています。
廃坑後の処理は大変なのですね。

そもそも鴻紋軌道は鴻之舞地区への生活物資の運搬を目的として着工されました。
軌道が完成した1943年には戦時統制の影響で鴻之舞鉱山は休山命令を受けていました。

そのためこの鉄道は鴻之舞から解体された物資を他の鉱山に転用するために活用されたという、
当初の目的とは真逆の役割を受け活用されました。

戦時の休山中も住民の生活物資を輸送するために鉄路は存続していましたが、
戦後の復興期には整備された陸上輸送により経営は圧迫され廃止になりました。

昨日のブログでは鴻紋軌道は1943年開業、1950年廃止と書きました。
実際の運行廃止は開業から5年後の1948年かなと思っています。

北紋バスが紋別ー鴻之舞ー丸瀬布間の運行を始めたのは1949年です。

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鴻紋軌道記念碑

2025-05-23 05:53:25 | 北海道の旅日記(道東)

碑の名前は「鴻紋軌道記念碑」、そこに“銀色の道 誕生の地”とあり、
汽車が描かれておりその後ろに大きな岩があります。

いろいろ情報が多い一角ではあります。

“銀色の道”は1966年に発表された歌謡曲でザ・ピーナッツとダークダックスが歌っていました。
作曲は宇宙戦艦ヤマトなどで有名な宮川泰氏で、一時鴻之舞に住んでいました。

曲のイメージになったのが鴻之舞だということで、ゆかりの曲になっています。

「鴻紋軌道」は紋別から鴻之舞を結んだ軽便鉄道で、
「日本鉄道旅行地図帳(新潮社)」によると1943年開業、1950年頃廃止となっています。

動力は碑にある通り、蒸気機関車でした。
鴻紋軌道が廃止になって公共交通機関がなくなったので北紋バスが開業しました。

そして後ろの大きな岩は金鉱石と思われます。
無造作に置いているところを見ると低品位なのかな。

という、何の記念碑かわからない“ブツ”の紹介でした。

コメント (3)
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鴻之舞鉱山慰霊碑

2025-05-22 05:47:17 | 北海道の旅日記(道東)

鴻之舞は鉱山です。
『東洋一の金鉱山』といわれ繁栄を極めましたが、当時としては当然のように災害もありました。

昭和初期はタコ労働者、戦時中は朝鮮半島からの強制連行者も多数おり、
その中から多数の犠牲者も出ています。

日本の近代史の光と闇がここにあります。

その方々を慰霊する碑です。
碑文をご覧ください。
建立された平成元年は1989年、閉山の16年後です。


<碑文>

 鴻之舞鉱山は大正六年二月以来、住友に
よって営々と稼行され、長年にわたり東洋
一の大金山と謳われて住友の諸事業を力強
く支え、国家と地域社会に大きく貢献して
来た。しかし、鉱量の枯渇という鉱山の宿
命には抗し難く、昭和四十八年十月をもっ
て五十六年に及ぶ輝かしい歴史を閉じた。
 この間、幾多の人々がこの鉱山の事業に
携り、苦楽を共にしてきたが、鉱山の維持
発展に捧げられたその苦心と努力は決して
忘れられてはならない。  
 この度、鴻之舞鉱山において不慮の災害
に遭い職に殉じられた方々、ならびにこの
鉱山に関係し物故された人達の霊を慰める
為にこの碑を建立する。

平成元年七月
 住友金属鉱山株式会社
  社長 篠崎 昭彦

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鴻之舞鉱山 開山100周年記念碑

2025-05-21 05:55:22 | 北海道の旅日記(道東)

かつての鴻之舞地区の中心部あたり、鴻恩寺があった跡地にいくつか記念碑があります。
今日から3日間、その碑をご紹介します。

鴻之舞鉱山は1917年に住友が鉱業権を取得しました。
この碑はそれ以来100年を記念し、2017(H29)年に住友金属鉱山によって建てられました。

天下の住友が記念碑を建てると、立派になるなぁ。
その右側の下半分に賑やかだったころの簡単な地図があります。

地区のあちこちに坑口がある、最盛期には1万3千人も住んでいたというのですからさぞやねぇ。

裏には碑文があり、鴻之舞鉱山の簡単なあらましが書いてあります。
閉山は1973年、操業期間は56年間でした。

この期間に算出した金は73トン、銀は1,243トンとあります。

閉山した1973年は私が小学校5年の時、鴻之舞の賑わいは聞いていました。
閉山後は急速に寂れ今は定住する人はいません。

ちなみに北紋バス(本社・紋別市)は公共交通機関がなかった紋別―鴻之舞間を運行するために設立、
1949年に紋別ー鴻之舞ー丸瀬布間で最初の運行を始めています。

閉山2年後の時刻表では終点は鴻之舞ではなく上藻別駅逓までに短縮されていました。

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今日から出かけます

2025-05-12 05:10:03 | 北海道の旅日記(道東)

GW中に出かけたばかりですが、また今日から出かけます。

今回も滝上、今日は夕方までに滝上に行けばいいだけ、明日は夜にささやかな飲み会、
明後日は昼過ぎに帰札すればいいというのんびりしたスケジュールになります。

明日の日中がヒマなんだよなぁ。
どこかに行くかと思うのですが、さてどうしよう。

どこか温泉にでも行きたいわなぁ。

ブログは14日までお休みします。
では出発。

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幌加駅跡

2025-05-09 05:40:04 | 北海道の旅日記(道東)

幌加駅は廃止になった士幌線の終点・十勝三股駅一つ手前の駅でした。
糠平駅と十勝三股駅の間の中間駅ですね。

士幌線の糠平ー十勝三股間の廃止までの経緯は複雑なので割愛します。
国道沿いに「幌加除雪ステーション」がありますが、駅跡はそのすぐ南側になります。

開業は1939年、1978年に糠平ー十勝三股間の列車運転が休止され代行バスに転換、
1987年の士幌線全線廃止により廃駅となりました。

駅跡はホームと線路が残され、レプリカの駅名標が設置されています。
訪問時は雨だったのでホームまで行かず手前から写真を撮っています。

今は上士幌町のぬかびら源泉郷以北はほぼ無人、木材の運搬で賑わった当時の面影は全くありません。
最盛期には三股地区だけで1,200人も住んでいたそうで、幌加地区も木材の搬出で賑わっていたそうです。

ちなみに2020年の国勢調査では幌加と三股両地区合わせて住民は3世帯6名となっています。

私は士幌線は乗ったことがありませんが乗車する機会はありました。
帯広からは士幌線と広尾線が延びていましたが時間の関係でどちらかしか乗ることができなかった。

それで広尾線に乗ったわけですが、今思えば士幌線の方にしておけばよかったと今も思っています。
痛恨の選択ミスであった。

その上訪問した時は雨ときたもんだ。
とことん、縁がないことよ。

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オホーツク湧鮮館(湧別漁業協同組合直営店)

2025-05-08 05:11:32 | 北海道の旅日記(道東)

遠軽から国道242号をまっすぐ北上、湧別市街地をさらにまっすぐ進んでどん詰まりが漁港、
そこを右折し少し行くと「オホーツク湧鮮館」があります。

サロマ湖です、ホタテとカキが名物、漁協の直営店なので安い。
今の時期はホタテと毛ガニが旬、カキは冬が旬なのでそれまでお待ちください。

オホーツクの毛ガニはこれからが本番、お店でもボイルとボイルしていない毛ガニが並んでいました。
札幌で買うよりは安いですが、私は昔の安い時期を知っているので買うのに躊躇するな。

躊躇なく買えるのはホタテです。
この日も前日揚がったばかりの殻付きホタテが12枚入りが1袋1000円で売っていました。

袋に入れてザクっと無造作に売っているところが産地らしいですね。
他にも干し貝柱やウニなど、様々な海産物や加工品を売っているので立ち寄ってみて下さい。

ところでこの日は平日にもかかわらずひっきりなしにお客さんが来ていました。
店内もかなり賑わっていたぞ。

こういう直売店はその時だけ売っている掘り出し物があるのが楽しいですね。
私も近くに住んでいればたまに寄って殻付きホタテを買って酒のつまみにしていると思うよ。

あぁ、バター焼きが食べたい…。

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復活した遠軽駅の「北一そば店」

2025-05-07 05:31:25 | 北海道の旅日記(道東)

駅そば店が減っています。
3月に東北を回った時もそれはひしひしと感じました。

北海道も同じ、日本最北の駅そばだった士別駅も店主がお亡くなりになり今年閉店しました。
そのような中で、かつては私も大変お世話になった遠軽駅の駅そばがCFにより復活しました。

遠軽駅の「北一そば店」は2019年に店主がお亡くなりになり閉店、
その後も店舗は開店当時の雰囲気のまま残されていました。

それを復活すべく地元の飲食店経営者がクラウドファンディングを実施、
そして今年4月8日にプレオープンし25日にグランドオープン、見事復活となりました。

となれば行くしかなかろう、日本最北の駅そば、5月2日にお邪魔しました。

かけそば550円、かき揚げ天ぷら650円、月見(半熟)650円、全部乗せ770円、
更に遠軽ジビエそば(エゾシカのソーキ)1,300円にテイクアウト+80円となっています。

私はかき揚げ天ぷらを所望、美味しくいただきました。

お店にはぽつぽつとではありますがお客さんが途切れなく訪れていました。
連休中は結構な賑わいになったであろうと思います。

今のところはホーム側からはアクセスできないのですが、これからどうなるのかな?

それはそれとして復活したからには長続きしてもらわなければならん。
ぜひ頑張ってほしいものよ。

営業時間は8:30~14:00、17:00~19:30です。

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