奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(森町)

2024-06-12 05:10:53 | 北海道の旅日記(道北、道南)

江戸末期、幕府は南下するロシアに対する警備のため東北6藩に蝦夷地の警護を命じました。

仙台藩は白老に本陣を置き広尾、厚岸、根室、国後、択捉に出張陣屋を置きました。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/a2a953179e037119fd2ef9bf96108987/?st=1
庄内藩は浜益に本陣を置き留萌、苫前、天塩に出張陣屋を置いています。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/581b78d2c5994569cc8534dcaf49bfbf

そして南部藩は函館に本陣を置き砂原、モロラン(室蘭)、ヲシャマンベ(長万部)に出張陣屋を置きました。
函館の本陣は遺構は残っていませんが、ロープウェイ山麓駅付近の“南部坂”に名を残しています。

出張陣屋の砂原、室蘭、長万部の各所は残っていて、国の史跡に指定されています。

その砂原の陣屋跡は砂原3丁目の市街地にあります。
国道を走っていると看板があるのでわかりやすい。

築造されたのは1856年、1868年(明治元年)に撤退しています。

現地は高さ3mの土塁が残っており、東西37間(66.6m)、南北33間(59.4m)、
ここに約30名(50名とも)が駐屯していたと言われています。

土塁以外の遺構は見当たりません。
市街地の中にあるので街並みに飲み込まれたのであろう。

簡単な陣屋跡の案内板もありますが、その内容もどうも怪しい。
この陣屋についていろいろな資料がありますが、内容がバラバラだ。

このような例はいろいろあり、自治体の公的資料でも信用できない。
この陣屋についても砂原町史ではモロラン出張陣屋の屯所(派出所)という記述がありますが真偽は不明。

いろいろな経緯があったことは承知していますが、事実を特定することは大変なことだと思います。

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