奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
OYOYO美術部所属。

高知ファイティングドッグス(高知FD)、入団テストの様子

2012-08-31 04:59:47 | 滝上町
以前のブログでお知らせしたとおり、高知FDの入団テストが滝上町営球場で行われました。
そのときのブログはコチラ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/ecb25ebd1ef8f9374d650f7aae348695

以下、北海民友新聞(本社・紋別)より。

当日はプロを目指す21~24歳の5人が挑戦したそうです。

この入団テストがあることはそれほど告知しているようにも感じなかったのですが、
5人も集まったのですね。
私は一人も来ないのではないかと危惧していましたが。

中にはどこで情報を掴んだのか東京から駆けつけた方もいたらしい。
それだけプロ野球選手になるという夢を追いかける人がいるということですね。

高知FDでは今後、毎年滝上で入団テストを行う意向があるようです。
また「滝上枠」として毎年1人は採用できるようにしたいとのこと。

いやいやホントですかぁ?
滝上の入団テストで毎年1人が入団?

もちろんそのレベルに達していなければ採用されないと思いますが、
夢のある話ではないですか。

そうなればNPBのドラフトにかからなかった選手が、
毎年活躍の場を求めて滝上に集まるかもしれません。
そうなれば入団テストのレベルも上がるな。

北海道ではなかなかこういう機会がないので、
プロ志望の選手達にはとにかく刺激になる話だと思います。

独立リーグからNPBに行く選手も多くなってきましたし、
ロッテの角中選手のようにオールスターに出場するような選手も出てきました。

滝上での入団テストが定着すれば、
いつかはここから入団した選手がNPBで活躍する日が来るかもしれませんね。
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新十津川町中央公園

2012-08-30 05:02:25 | 北海道の旅日記
開拓記念館のある中央公園は新十津川町の歴史を彩ったさまざまなモニュメントがあります。

まず開拓記念館の横にある2階建のレンガ造りの建物。





ここは「農業記念館」になっており、
普段は閉鎖されていますが開拓記念館にお願いすれば開けてもらえます。

私はそのことを知らなくて外観を拝見しただけですが、機会があれば行ってみよう。

建物自体は「新十津川信用購買組合」の建物を復元したものだそうです。

その隣には新十津川町の町章(菱十)をのせた小さな蔵がありますが、
案内などはなくどのような建物なのかは不明。





町章があることから、町の建物であることは間違いないであろう。

また公園の片隅には「中央公園内史跡案内図」があります。





そこには「戸長役場跡」など5つの史跡がでていますが、
公園内にはこれ以外にもいろいろな碑やモニュメントがある。

この公園一帯は開拓時代、町の中心となる建物が集中していた場所なのですね。
まさに史跡公園なのですが、それは現地に行って初めてわかること。

私がもし新十津川町でなにか人を集めようとするならば、
この場所でイベントなり集客施設なりを作るでしょう。
それは昔、ここがそうだったから。

ちなみに開拓記念館の住所は「新十津川町中央1-1」。
住所からもわかるようにここは新十津川町の中心部だったのです。

この場所から離れたところで何かやろうとしても、
それはなかなか難しいことだと思われます。

歴史を無視して思いつきでどこかで何かをしようとしても、難しいよ。
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新十津川町開拓記念館

2012-08-29 05:18:13 | 北海道の博物館









新十津川町は、奈良県吉野郡十津川郷(現・十津川村)からの移住者が開拓した町です。
移住のきっかけになったのは明治22(1889)年8月の大水害。
その水害で生活の場を失った住民、600戸2,489人がこの地に入ったのが町の始まり。

以来、新十津川町では十津川村を母村(ぼそん)と呼び、両町村は強い絆で結ばれています。
去年の台風12号で大きな被害を受けた十津川村の支援にいち早く名乗りを上げたのも新十津川町でした。

新十津川町はとにかく、十津川村の水害とそれに伴う移住の話がなければ始まりません。
そのあたりの経緯が詳しく展示されています。

これは町外の方よりも町内の小学生あたりにしっかり学んで欲しいことなのでしょう。
展示内容を解説した小学生向けの簡単なガイドが用意してあります(私もいただきました)。

自分の住む町や村のルーツがどこにあるのか、新十津川町ほどはっきりしているところは少ないでしょう。
だからこそ余計に、そういう事実をしっかりと子どもたちに伝えていくことが大切です。

さて館内にはところどころに年表があり、展示内容もその年表に沿って進んでいきます。
こういう見せ方は北海道でしかできませんね。
新十津川町は開拓が始まって120年ほど、これくらいだと主な出来事を年表にしても収まりきる。

博物館では普通は商業や教育といったテーマごとに展示内容を分けていくものですが、
年代を追ってシンプルに解説するのもいいものだなと思いました。

またここでは毎週日曜日、希望すれば収蔵庫を見学できます。
私ももちろん見学してきました。

その感想は、“素晴らしかった”とだけ言っておきましょう。
十津川村から持ってきた品々、開拓以来の歴史を飾ってきた生活道具たち。
私でも博物館の類では初めて見るものがいくつもありました。




*新十津川町開拓記念館

住    所:樺戸郡新十津川町字中央1-1
開館時間:10:00~16:00(金曜日は~13:00)
入 館 料:大人140円、小・中学生70円
休 館 日:毎週月・火曜日、11月~4月
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 帰宅そして次の旅へ

2012-08-26 04:17:13 | 道外の旅日記
19日

17日に沖縄に来て以来、できる限りの沖縄を楽しみ尽くしました。
思い残すことはいろいろあれど、それはまた次の機会に。

13:30に那覇空港に集合、羽田乗継で無事に帰宅しました。

お終い。

帰りは余韻を残さず、さらりと済ませます。

長い間ご覧いただき有難うございました。



という舌の根も乾かぬうちに、今日から出かけます。

行き先は石北本線沿線、目的は「たまねぎ列車」の撮影に同行するため。

来年度で廃止されるという噂の「石北臨貨」、
通称「たまねぎ列車」を撮影しに東京から例の彼がやってきます。

夏に来るのは初めてだな。

私はそれに付き合うために、今日から火曜日まで出かけます。

帰宅まで、例によってネットにはアクセスしません。
ブログの更新も休みます。

ではまた、いつになるかわかりませんが次に更新まで。
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 沖縄の心(後)

2012-08-25 04:14:36 | 道外の旅日記
沖縄は何かと日本の中央政府によって翻弄されてきた、
その思いが沖縄の人々心の底にあるように思います。

というか、間違いなくあります。

その沖縄で、今も日本政府(それとアメリカ)の都合により基地が固定化されている。
ご存知のように今も普天間やオスプレイ配備などの諸問題が解決される気配がありません。

何かある度に政府は沖縄と揉め事を起こしている。

それは当たり前です。
日本の為政者が沖縄の心情を理解していないから。

何だかという元首相は基地問題について「腹案がある」といいながら、
その実何も解決策を持っていなかった。

今の総理も然り。

一事が万事このような調子で、江戸時代以来沖縄ではこのようなことが繰り返されてきました。

翻って東京では例えばオスプレイ配備に関しても、
今の首相は日米地位協定により配備を断ることができないと簡単に言う。

協定上はそうだろうけれども、でも言うべきことは言って理解を求めるということができないのか。
そういう努力を丁寧に重ねる、それなしに単に「できません」では納得はできないであろう。

そんなことで危ない軍設備を抱えていつ何事があるかと空を見つめるしかない、
そういう沖縄の普通の人々が納得するであろうか。

沖縄の心情を理解していない政治家がいくら何を言っても心には全く響かない。

日本の都合によって沖縄に不便をかけている(きた)という気持ちがあるなら、
東京で記者会見をするよりも現地に飛んでいってじっくり対話する。

泡盛を飲みながら地元の料理を食べ、沖縄の方たちの話を腹の底から聞く。
島唄を聴きながらカチャーシーを共に踊り沖縄の方々の仲間になるよう努力する。

そういう気持ちがないから軽い言葉で済ませようとする。

『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』

迷惑をかけた沖縄の方たちに対して、この気持ちを忘れたら何もできないな。
これが私が沖縄に行ってあちこち駆けずり回った後に見えてきたことです。

政治主導もいいけれども、何を主導するのか履き違えている。
それでは日本は良くならないよ。

帰宅へ
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 沖縄の心(前)

2012-08-24 05:06:31 | 道外の旅日記
2泊3日の沖縄旅行、北海道との移動時間があるので沖縄滞在は実質48時間ほど。
その中で私は戦跡や街並など、沖縄の歴史を感じるようなところばかり行きました。

その中で私が一番感じたことを最後に書いていきます。

それは、沖縄の心。

沖縄は琉球という独立国でありながら中国の冊封国として中国の従属国でした。
江戸時代には薩摩の侵攻により事実上薩摩の支配下にもおかれます。

これ以降独立国でありながら中国と薩摩(日本)それぞれの支配下に置かれるという、
非常に微妙な立場になりました。

江戸幕府は鎖国をしながら薩摩が支配する琉球を通じて中国との窓口を確保する。

明治になり廃藩置県を実施した日本政府により琉球王朝は強制廃止(琉球処分)、
これにより沖縄は日本の領土となっていきます。

これは沖縄(琉球王朝)の意思とは関係なく、日本政府の都合により実施された。

そして第2次世界大戦での沖縄戦。
沖縄戦は昭和20年3月から6月まで、そして日本は8月には降伏。

沖縄は本土決戦に備えて時間稼ぎの戦いに巻き込まれ、
米軍との地上戦により甚大な犠牲を出しました。

多大な犠牲を払って得られた時間はたった3ヶ月、その上2ヵ月後には降伏だ。
本土決戦をわずか3ヶ月遅らせるために沖縄は捨石にされた。

その象徴がひめゆりの塔であり旧海軍司令部壕です。

アメリカの沖縄統治、沖縄返還、米軍基地の固定化、日米基地協定、基地返還運動。

歴史の流れを見ていくと沖縄は今も過去も、
日本の都合により運命を左右させられてきたように見えます。

少なくても私にはそう見えた。

沖縄が日本の一部であるという今では当たり前の事実すら、
本当にそれでいいのかという思いがよぎる。

沖縄が独立国のままであったならどうだったのか。
歴史に「もし」はありませんが、そんなことも夢想してしまいます。

続く
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 沖縄民謡

2012-08-23 04:51:11 | 道外の旅日記
ここからは雑感です。

沖縄の街を歩いていると、その中に沖縄民謡の「教室」や「楽団」がたくさんあるのに気付きました。
住宅街の真ん中に当たり前のようにある。

「英語教室」とか「珠算教室」と同じような感覚なのかもしれない。
沖縄民謡の裾野の広さを感じられる風景でした。

これは1日目の夜、国際通りを歩いている時にも感じました。

私たちが食事した「ちぬまん」でもそうでしたが、
居酒屋などで『島唄ライブ』をやっているお店が本当に多い。

そしてそれがまた観光客が見て楽しい、踊って楽しいものなのです。
マイクパフォーマンスなどもなかなか訓練されていて聞いていても飽きなかった。

趣味の延長として、そしてその気になれば生業とすることが出来る環境。

「教室」や「楽団」がそのまま商売になる下地があることが、
沖縄民謡の隆盛につながっているのでしょう。

観光が重要な産業になっている沖縄の底力が見て取れた。
沖縄はリピート客が多いそうですが、それは自然の魅力だけが理由ではないな。

日本の他の地域にはない、ここにしかない民俗音楽があることと、
それを日々観光客に披露しながら接客や話術を鍛えていることが沖縄の魅力のひとつです。
「ちぬまん」では若い兄と妹が演じていましたが、この若さでさすがなもんだなと。

青森の津軽民謡と同じような、でももっと盛んにした感じ。

これは同じ観光が主要産業になっている北海道とは対照的。

歴史の浅い北海道は沖縄民謡のような観光客が楽しめるコンテンツがありません。
どうしても美味しい食材と大自然の“素材”に頼り、その他のサービスに欠けています。

素材だけに頼って他を鍛える機会が少ないことが、
「サービス3流」といわれる北海道の特徴になっているのでしょう。

だから北海道でも無理やり何かパフォーマンスをやれ、というつもりはありません。
それを望んでも北海道では、無理。
ですがいつまでも食材と自然の“素材”だけに頼っていると痛い目にあうぞ。

一番難しいことですが地道にサービスを磨いていく、それしかありませんね。
それには人と交わること、それによってその評価を受けること。

北海道で観光業に携わっている方は沖縄に行って何かを考えてきた方がいい。
もしそれで何も感じることがなかったら、廃業しなさい。

次は、沖縄の心を
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … ゆいレール

2012-08-22 04:48:19 | 道外の旅日記
17日~19日

今回の旅の最大の目的は日本最南端の鉄道、「ゆいレール」に乗ること。
私はフリー乗車券「二日乗車券」を買って滞在中、存分に乗りまくりました。





ゆいレールのフリー乗車券は時間制です。
一日乗車券は24時間有効、二日乗車券は48時間有効となっています。
私は17日の午後に那覇入り、19日の午後まで滞在したので二日乗車券が好都合でした。

ゆいレールの路線は那覇空港駅から首里駅まで12.9km、全15駅で所要時間は27分。
車両は2両編成で全列車ワンマン運転、日中は10分毎の運転でこれはわかりやすい。

なお赤嶺駅は日本最南端の、那覇空港駅は日本最西端の駅となっています。








さて、乗った感想。

まず真っ先に、2両編成ということで相当収支が厳しいだろうなということ。
2両編成ですから満員になっても乗車人数はたいしたことはない。
その中で軌道系交通機関としては収支均衡を図るのはかなり大変なことでしょう。

軌道系交通機関は初期投資が大きいのでその償却負担が大きいと想像されます。

これからバスや自家用車との連携(乗継割引やパークアンドライドなど)などの諸施策で、
お客さんの利便性をさらに向上させる必要があると思われます。

バスとの連携はいろいろと難しい面があるようですが。

それはそれとして、2両編成のモノレールが走るさまは可愛い。

車内では駅到着前、駅ごとに異なる沖縄民謡をアレンジした車内チャイムが流れるのですが、
これも旅行者としては楽しかった。

モノレールが駅に発着するときのホームの案内は運転手がワイヤレスマイクで行っており、
こういう形態の案内を見るのも初めてだったので新鮮でした。

ゆいレールは首里駅より先、浦西駅(仮称)までの延伸が計画されています。
これから沖縄県民に愛される交通機関として発展していくことを願っています。

その他感じたことを次に
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 栄町市場

2012-08-21 04:49:08 | 道外の旅日記
19日

首里の城下町を歩き終わって時間は12時頃、空港の待ち合わせ時間は13時半。
ゆいレールでまっすぐ空港に行くと30分ほど、微妙に時間が余りました。

とりあえずゆいレールに乗ってどうするか考えていると、
安里(あさと)駅に到着寸前に「栄町市場」という看板が見えました。





よし、下車。

ここはすごい、穴場、牧志公設市場以上に怪しげな雰囲気がプンプンする。
赤羽の商店街をこれでもかと古くして、ごちゃっとしたような感じ(この表現は謎)。

不動産屋、美容室、化粧品店、洋品店、飲食店、惣菜店、八百屋、肉屋などが雑多に立ち並んでいます。
そのどれもがまた、地元密着の味がある佇まいでたまらない。

行ったのが半端な時間だったせいか開いているお店は少なかったのですが、
これは夕方とか夜とかに訪れたならば相当ディープな沖縄を感じることができたはず。

惣菜が安いなぁ、天ぷらが1個50円とかだもんなぁ。
「むじ汁」の専門店、「むじ汁」って何だ?

この暑い中、お弁当が店頭にむき出しのまま売っていますし、
近寄り難い構えの何を商っているかわからないお店(?)もあります。

なんでもここは戦後の復興期に誕生し、今もその当時とほとんど変わらない姿でいるとか。
それだもの、この雰囲気は納得です。

そして市場を出た安里駅前の繁華街、スナックが密集しています。
北24条を何倍も濃くしたような感じ(これも謎の表現か?)。

今度沖縄に来たら絶対にここで夕食を食べるね。
惣菜をてんこ盛りに買い込んでホテルで食してもいい。
最後に那覇のいいところを見ることができました。

次はゆいレールについて
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何でも見てやろう、沖縄3日間 … 首里北エリア

2012-08-20 05:03:38 | 道外の旅日記
19日

首里城の北側は王朝時代に上級士族の居住地だったところ。
昔の高級住宅地だったのですね。

そんな土地柄かこの一帯にはいろいろな歴史的な建物や史跡があります。
瑞泉酒造を見学した後にはこのエリアを散歩しました。

そのような歴史からか、道端には地元NPOが設置した案内板が至るところにあります。
私はかなり小さい路地にも分け入ったのですが、そんな路地の一角にも当たり前のようにあります。

そのひつとが、「仲田殿内跡(なかだどぅんちあと)」。





ここはただの昔の屋敷跡で、ガイドブックに出てくるような特別な名所ではありません。

ですがこの界隈にはこのような案内板がいくつもあり、
よく見ていないとそれさえも見落としてしまうほどありふれてこの一帯にあります。

全ての案内板を見ていくと王朝に仕えていた士族の様子がかなりわかるはず。

ホント、このあたりの全ての小路を歩き尽くしたいと思いました。
王朝500年の歴史というのは、重厚なものなのだと実感します。

そんな小路で見つけた「玉那覇味噌・醤油工場」。





安政年間創業で王朝御用達の味噌の老舗だったとか。
もちろん今でも工場は稼動しています。

首里城内でちんすこうを売っている「新垣カミ菓子店」にも行って来ましたが、
これがまた店構えの小さな菓子店でした。

店舗自体は営業しているのかどうかもわからないような佇まい、
図々しい私でもお店に入るのを躊躇いとうとう素通りしてしまった。
構わず突撃すれば良かったかなぁ…。

この一帯は基本的には住宅街、ごく普通の方々がごく普通の生活を送っています。
ですがそのあちこちに、昔の王朝文化の名残が感じられました。

時間と体力があれば、全ての路地を踏破し全ての案内板を見てみたい。

王朝の中心だった首里城とその城下町。
今尚その息吹が濃厚に感じられる一角でした。

札幌に帰る時間が迫ってきました。
その前にもう1ヶ所お付き合い下さい。

栄町市場に続く
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