日々

穏やかな日々を

カイコ使う抗HIV抗体、国内特許を共同出願

2019年10月17日 20時46分28秒 | 大学
カイコ使う抗HIV抗体、国内特許を共同出願
免疫生物研など、遺伝子組み換えカイコによる抗HIV抗体の製造に有効性確認
化学工業日報2019年10月10日 (木)配信 感染症

 免疫生物研究所、熊本大学、国立研究開発法人の医薬基盤・健康・栄養研究所、バイオベンチャーのCURED(横浜市)は、抗エイズウイルス(HIV)抗体とその製造方法に関する国内特許の共同出願手続きを完了したと発表した。免疫生物研はCUREDと共同で、抗HIV抗体を遺伝子組み換えカイコで生産し、HIV感染症の治療薬として実用化することを目指している。このほど遺伝子組み換えカイコによる抗HIV抗体の製造に関して、その有効性が確認でき、同製造方法の知的財産権を確保するため、今回の特許出願に至ったとしている。
 免疫生物研は医薬品の製造・品質管理基準(GMP)に対応したパイロットプラントである研究所を新設するなど治験薬製造への準備を進めている。遺伝子組み換えカイコによる医薬品製造については世界的にも前例がないため、原薬の品質を確保する独自の品質管理システムを考案。その妥当性に関して医薬品医療機器総合機構(PMDA)から同意を得ている。
 遺伝子組み換えカイコにより生産した抗体は、高いADCC活性(抗体依存性細胞傷害活性)を有するなど優れた特徴があり、きわめて有望な医薬品候補物質とみる。とくに今回特許出願にいたった抗HIV抗体は、最も注力するパイプラインの一つとして早期の実用化につなげていく考えだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地道にやればチャンス」 白血病から復帰の早川選手

2019年10月17日 20時42分15秒 | 運動スポーツ
「地道にやればチャンス」 白血病から復帰の早川選手
2019年10月10日 (木)配信共同通信社

 急性白血病と診断され、闘病の末、5日にリーグ戦復帰を果たしたサッカーJ2新潟の早川史哉(はやかわ・ふみや)選手(25)が9日、母校の新潟市立小針中で講演し、約830人の生徒に「一歩一歩地道にやるべきことをやればチャンスは来る」と努力することの大切さを訴えた。
 約3年7カ月ぶりに出場し、勝利に貢献した鹿児島戦を振り返り、「サッカーができる喜びを改めて実感した。支えてくれた人たちに感謝したい」と顔をほころばせた。
 闘病中は薬の副作用で髪が抜け落ち、「本当にショックだった」と告白。快方に向かってからは昼食のカップラーメンが楽しみだったとし、「つらくても楽しいことに目を向けることが大事だ」と語った。
 同中2年の西山航永(にしやま・かずひさ)さん(13)は「大きな壁を乗り越えた早川選手のようにどんな困難にも立ち向かっていきたい」と話した。
 早川選手は2016年に入団して間もなく病状が判明。闘病中は契約が一時凍結となったが、17年11月に解除された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村哲医師、アフガン名誉国民に 「最も勇敢な男」 大統領が授与

2019年10月17日 20時32分34秒 | 地域
中村哲医師、アフガン名誉国民に 「最も勇敢な男」 大統領が授与
2019年10月10日 (木)配信西日本新聞

 アフガニスタンの支援を行う福岡市の非政府組織「ペシャワール会」は9日、現地代表の中村哲医師(73)=福岡県出身=が、同国のガニ大統領から同国市民証を授与されたと発表した。長年にわたる用水路建設などの人道支援が評価された。駐日アフガニスタン大使館によると、日本人への授与は異例。今後は査証(ビザ)が免除されるなど名誉国民として待遇される。
 中村医師はアフガンを襲った大干ばつを受け、2003年に東部ナンガルハル州の大河クナール川周辺で用水路建設を開始。事業で潤った土地は、福岡市の面積の約半分に当たる約1万6500ヘクタールに及ぶ。
 会によると、中村医師は7日、首都カブールの大統領官邸で開かれた式典に出席。ガニ大統領は、洪水が頻発するクナール川の特徴を踏まえ「狂った川を、愛をもって制したのですな」とユーモアを交えて話し「最大の英雄」「最も勇敢な男」とたたえた。最後に「いつでも官邸に来て、困ったことがあれば知らせてほしい」と述べたという。
 今後は、アフガン入国時のビザが免除されるほか、土地や会社が所有できるようになる。中村医師は「日本の良心的支援とアフガン人職員、地域の指導者による協力の成果。これで文字通り現地に溶け込んだ活動になる。私たちの試みで、より大きな規模で国土が回復されることを希望する」とコメントした。
 中村医師は18年には同国の国家勲章を受けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者医療費の改革求める 財務省「社保負担先送り」

2019年10月17日 08時57分41秒 | 行政
高齢者医療費の改革求める 財務省「社保負担先送り」
2019年10月10日 (木)配信共同通信社

 財務省は9日、有識者でつくる財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、急増する社会保障費の抑制に向けた改革案を示した。「将来世代に負担を先送りしている」として給付と負担の見直しを提言。介護サービスの利用者負担増や、後期高齢者の医療費改革などを求めた。
 団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になり始める2022年以降には社会保障費のさらなる増加が見込まれる一方、保険制度の支え手となる世代は大幅な減少が予測される。財務省は財政健全化を重視する立場から、社会保障改革を検討する政府の新たな会議なども通じて見直しの必要性を訴える構えだ。
 会合では、働いて一定以上の収入がある人の年金を減らす「在職老齢年金制度」について、見直しに慎重論が多く出た。制度は高齢者の就業意欲をそぐとの指摘があり厚労省は見直す方針だが、委員からは根拠がはっきりしないなどの意見が上がったという。
 介護計画の作成やサービスの調整などをする「居宅介護支援」で、利用者負担の導入を求めた。介護サービスの利用者負担を原則1割から2割に引き上げることが必要と指摘し「高齢者間での、利用者負担と保険料負担との均衡を図ることが必要」とした。
 医療改革では、外来を受診した際の窓口負担に一定額を上乗せする「ワンコイン負担」の導入や、後期高齢者の窓口負担を原則1割から2割に引き上げることなどを今後の検討事項に挙げた。薬剤の自己負担引き上げも指摘し、医療分野は今後の分科会で議題とする。
 児童手当では所得基準を見直すよう求めた。例えば主婦と子ども2人の場合、現在は世帯主(1人)の年収が960万円を目安に超えなければ支給の対象となるが、夫婦合算で判断する仕組みに変更すべきだと促した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちの娘は「人工呼吸器」 みんなと違うけどみんなと同じ

2019年10月17日 08時40分10秒 | 地域
うちの娘は「人工呼吸器」 みんなと違うけどみんなと同じ
2019年10月10日 (木)配信秋田魁新報

 「みんなの中で、眼鏡を掛けている人はいますか?」。小学校の教室で優子さん(33)=県内、仮名=が質問すると、何人かが手を挙げた。
 「では、眼鏡を掛けている人に質問。眼鏡をしないで、1日生活できる?」。眼鏡の子たちが首を横に振った。
 「眼鏡がないと黒板が見えないよね。大人だったら車を運転できない。うちの娘の場合は、それが眼鏡じゃなくて『人工呼吸器』なの。自分で呼吸するのが難しいから人工呼吸器を付けてるんだけど、これを外すと、息ができなくなってしまうの。みんなと違うけど、みんなと同じなんだよ」
 娘の美奈さん(10)=仮名=は小学4年生。バレーボールの試合を見るのが大好きな女の子だ。優子さんは美奈さんの通う学校から、人工呼吸器について話をしてほしいと頼まれることがある。その時は喜んで引き受ける。「人はみんな大切な一人」だと、子どもたちに伝えたいからだ。
 美奈さんは生まれた時にダウン症と分かった。自分で歩くことができないため、2歳から車椅子を使っている。人工呼吸器を付けたのは4歳の時。口から食事をすることが難しいので、管を通して胃に栄養を送る「胃ろう」もしている。器具を使って喉からたんを吸い出す「たん吸引」や、おしっこを取り出す「導尿」も必要だ。
 「大変に聞こえるかもしれないけど、私たちにとっては生活の一部。当たり前の日常です」
 美奈さんは小学3年生から、地元の公立小学校に通うようになった。普通学校を選んだ理由を尋ねると「バリアは、どこに行っても必ずあるから」と優子さんは答えた。
 入学前は「校舎がバリアフリーだったらいいな」と望んだ。でも、ふと思った。「美奈が社会に出たら、どうなるんだろう?」と。「段差をなくす。エレベーターを付ける。それは一つの解決策かもしれないけど、全ての場所をバリアフリーにはできない。そしていつか、子どもは親の手を離れていく。その時にバリアを取り除くのは、この子自身の『人のつながり』なんじゃないかと思ったんです」
 美奈さんが通う学校は、少子化の影響で規模が小さい。先生も子どもたちも、みんな自然に美奈さんと関わる。優子さんにとっては、それが心強い。
 しかし人に助けを求めるのは意外と勇気が要る。優子さんも最初は周囲に「助けて」となかなか言えなかった。「申し訳ない、相手に迷惑が掛かるという気持ちが、どうしても拭えなかった」
 ある時、交流のあるVリーグの女子バレーボール選手が優子さんにこんなアドバイスをくれた。「人を頼るということは、人を信頼するということ。頼られるということは、人に信頼されるということ。頼られて嫌な顔をする人はいないと思うから、どんどん頼ればいい」
 「そうだな」と思った。少しずつ、「手伝ってくれませんか」と言えるようになった。
 優子さんが美奈さんを授かったのは23歳の時。日々大きくなるおなかに、命が宿っていることを実感した。だが7カ月の時、赤ちゃんは二分脊椎症や水頭症などの病気だと分かった。「大きい病院を紹介する」と産科で言われた時は、何が起きているのか、理解できなかった。
 やがて美奈さんを出産。その2日後に、「ダウン症の特徴が見られる」と告げられた。
 退院して自宅に戻ってからのことは、あまり覚えていない。「この子のために私が頑張るしかない」と日々必死だった。だから、記憶が曖昧なのだ。
 ぼんやり覚えているのは、美奈さんが少しずつ言葉を発し始めたこと。バレーボールの試合をテレビで見ながらポンポンを振っていたこと。笑った顔。娘が、ただいとおしかった。
 「美奈さんに障害がなかったらって、考えたことある?」。優子さんは、親しい友人にこう聞かれたことがある。「それは、ない」と答えた。
 美奈さんが生まれた時、優子さんは誰からも「おめでとう」と言われなかった。まるで、美奈さんは生まれてこなかったかのように感じた。「でもこの子は、私のおなかに来てくれた。全部が自分の子です。障害も含めて、全部」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

投票ボタン

blogram投票ボタン