日々

しあわせにと祈る

島根原発3号機

2018年09月05日 23時48分59秒 | 原子力
え=======
またぁ
原発
ひどすぎる
ひどすぎる
酷すぎる

この恐ろしい機械を動かすか否かの要たる中国電力の人員方
しっかりしてくださいよ

以下新聞の記事

島根原発3号機 規制委、申請内容の不備指摘

 原子力規制委員会が4日、新規稼働となる中国電力島根原発3号機(松江市鹿島町片句、出力137万3千キロワット)が原発の新規制基準に適合するか確認する審査会合を初めて開いた。中電の申請内容の不備を指摘し、修正するまで審査できないとの見解を伝えた。中電は改めて再稼働を目指す2号機(同82万キロワット)の審査を優先するよう求めるとともに、3号機の申請を取り下げず、2号機の審査が進展した段階で申請書を修正する考えを示した。

 審査には、規制委側から原発の設備面と地震・津波対策を担当する委員2人ら計16人が出席。中電側は北野立夫常務ら15人が出席し、3号機の設備、地震・津波の想定評価、安全対策などの概況や申請内容を説明した。

【詳しくは本紙紙面をご覧ください】
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島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン

2018年05月27日 15時43分02秒 | 原子力
島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン
2018年5月24日 (木)配信共同通信社

 長崎で被爆者救護に尽力し、白血病のため43歳で亡くなった医師の永井隆(ながい・たかし)博士が育った島根県雲南市で、平和の大切さを伝えてきた「雲南市三刀屋町永井隆記念館」が28日から、建て替えのため一時休館する。約2年後のリニューアルオープンを目指す。
 記念館は1970年に開館し長崎市の永井隆記念館の姉妹館になった。建物が古くなり、トイレなどが「不浄の場」として備わっていなかったため、建て替えが決まった。建物を現在よりも大きくして、展示する資料や一度に入れる人数を増やす。
 記念館は、永井博士が長崎から島根の旧友に宛てた手紙や自作の紙芝居、被爆した瓦などを展示している。博士が戦後、子どもたちのために長崎の自宅の横に図書室を開設したことにちなんで図書館を併設し、地元小学生らに勉強の場を提供してきた。年間約2千人が訪れ、生誕100周年の2008年度には約4千人が来館した。
 休館中は閉校した地元の小学校などで資料を保管し、一般公開はしない。雲南市主催の「平和」をテーマにした作文コンテスト「永井隆平和賞」は継続するという。
 永井博士は1908年に松江市で生まれ、島根県三刀屋町(現・同県雲南市三刀屋町)で育った。長崎医科大(現・長崎大医学部)に進学。医師として活動中に被爆し、妻を原爆で失いながらも救護活動を続けた。「長崎の鐘」などの著書を残し、白血病のため51年に亡くなった。
 藤原重信(ふじはら・しげのぶ)館長(60)は「記念館は博士の平和を願う精神を広める役割を担ってきた。これからも受け継いでいきたい」と話している。
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原発事故の健康調査難航 緊急作業員、4割に満たず

2018年03月08日 01時50分04秒 | 原子力
原発事故の健康調査難航 緊急作業員、4割に満たず
2018年3月5日 (月)配信共同通信社

 東京電力福島第1原発事故で緊急作業に携わった約2万人の健康状態を、生涯にわたって追跡調査する国のプロジェクトが難航している。実施する放射線影響研究所(放影研)によると、参加を拒む人も多く、応じたのは4割未満。担当者は「全国に散らばる対象者に連絡を取るのすら難しい」と苦心する。
 広島市中区の平和記念公園から約2キロ東の丘の上にある放影研の研究所。その一室「緊急作業従事者健康調査室」で、職員10人が郵送で対象者と連絡を取る作業に追われていた。喜多村紘子(きたむら・ひろこ)室長補佐は「今は(参加する)人を集める段階。研究はその後です」と話す。
 厚生労働省は2014年10月、広島、長崎の被爆者の健康調査を続けてきた放影研を実施主体に選定。放影研は原発事故発生の11年3月11日から政府が「収束宣言」を出した同年12月16日までに、緊急作業に従事した1万9808人の調査を始めた。
 対象は東電や下請け企業の人たちで、現場の放射線量が高いため、国が急きょ、被ばく線量の上限を従来の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる中で作業した。放影研は全国74カ所の病院や健診施設と連携し、3~4年おきに人間ドックと同様の内容に加え、甲状腺などに被ばくの影響がないかを調べる。
 しかし約3400人が参加を拒否し、約7400人からは返信がない。国から提供されたデータを基に手紙で連絡を試みるが、当時臨時で雇われていた人も多く、約1700人は宛先不明だ。参加しているのは東電社員ら約7千人にとどまる。
 「家族にも福島第1原発で働いていたことを隠している人もいるようです」と喜多村さんは明かす。自宅に届いた書類を見た対象者から「連絡しないでくれ」と電話がかかってきたこともあった。このため、当初は封筒に書いていた「原発」や「東電」といった言葉を、今は使っていない。
 対象者の最年少は20代で、追跡は今後50年以上続くとみられる。広島、長崎の被爆者の研究から、被ばく線量が100ミリシーベルトを超えるとがんの危険性が高まることが分かってきたが、作業員に多い低線量被ばくの影響は未解明だ。
 喜多村さんは「会社を辞めれば健診の機会も少なくなる。病気が見つかれば治療につなげることもできるし、無料なので上手に利用してほしい」と呼び掛けている。
 ※放射線影響研究所(放影研)
 放射線の人体への影響を調査するため、日米が共同運営する研究機関。1975年に設置され、広島、長崎両市に研究所がある。前身は、米国が47年に設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)。被爆者の健康状態を追跡調査している。同規模の研究は世界でも例がなく、成果はエックス線の安全利用など多岐にわたる。一方、設立初期は被爆者への高圧的な態度や強引な手法があったとされ、「調査すれども治療せず」と批判された時期もあった。
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日本、原発堅持へ議論主導 G7声明、「放射能」削除 86年チェルノブイリ事故 外交文書で判明

2017年12月21日 00時17分08秒 | 原子力
日本、原発堅持へ議論主導 G7声明、「放射能」削除 86年チェルノブイリ事故 外交文書で判明
2017年12月20日 (水)配信共同通信社

 1986年にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を巡り、主要国首脳会議(G7、東京サミット)の議長国だった日本が原発推進路線を堅持しようと、事故の数日後から合意文書作りを主導していた実態が20日公開の外交文書で判明した。サミットでは原案にあった「放射能」や事故への「懸念」の表現が削除され、「原子力は将来ますます広範に利用されるエネルギー源」と記した声明が発表された。
 冷戦下でソ連がほとんど事故の情報を公表せず、原因や被害規模がよく分からない段階から、日本が原発維持の国際合意形成に動いた史実が明るみに出た。安全規制強化を目指す議論も深まらず、東京電力福島第1原発事故に至る「安全神話」に結びついたと言える。
 当時の外務省担当者は取材に対し「日本の原発も危ないとか、事故を他山の石にするといった意識は政府や業界になかった」と振り返っている。
 事故は86年4月26日に発生し、ソ連側が29日(日本時間)に初めて公表した。
 「厳秘」の指定がある5月1日付の日本政府が作成した「ソ連原発事故対処方針案」では、原発政策について「必要性を再確認」することを基本に据え、国際的な事故通報システム整備を目指すと明記。議長国として数日後のサミットの議論の方向付けを行った形で、方針案は声明のたたき台にもなった。
 サミットは5月4日に始まり、5日に声明を採択した。3日付の文書によると、中曽根康弘首相は外務省幹部に「日本では死の灰に対し、強い関心(がある)」と述べている。外務省はサミットにおいて「中曽根氏がイニシアチブを発揮」と明記した。声明内容を受け、資源エネルギー庁は6日付で電力会社や関係自治体向けの説明文書を作成し「今後とも、安全第一の考え方に立って(原発を)推進」と記した。欄外には「プレス(報道機関)には出さず」との注意書きがある。
 これに先立つ4月29日付外務省公電で、事故が「深刻な影響をわが国原子力政策にもたらしうる」とし、欧州各国の駐在大使に情報収集を指示。「顕著な反対運動は見られない」などの表記もあり、国内世論や地元対策に神経をとがらせていたことをうかがわせる。
 ※チェルノブイリ原発事故
 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機で1986年4月26日に発生。試験運転中に爆発して建屋が破壊するとともに、核燃料の炉心溶融(メルトダウン)が起き、大量の放射性物質が拡散して欧州の広範囲を汚染したほか、日本にも放射性物質が到達した。消火に当たるなどした数十人が急性放射線障害で死亡。事故の深刻度を示す国際尺度では、2011年3月に発生した東京電力福島第1原発事故と同じ最悪の「レベル7」。


造られた嘘の安全
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対岸の火事、「神話」温存 チェルノブイリ原発事故

2017年12月21日 00時13分03秒 | 原子力
対岸の火事、「神話」温存 チェルノブイリ原発事故
2017年12月20日 (水)配信共同通信社

 【解説】公開されたチェルノブイリ原発事故に関する外交文書から浮き彫りになるのは、政府が原発政策への影響排除に躍起となる姿だ。事故後も原発を推進していくのが既定路線となり、安全性や規制強化の必要性を科学的に議論した形跡はほとんどうかがえない。
 政府や電力会社は当時「原子炉の型が異なる」「日本では考えられない事故」と繰り返し、チェルノブイリ原発が日本の原発とタイプが異なることや、ソ連の安全管理のずさんさを強調。事故を対岸の火事とみなすだけで、大量の放射性物質を放出する重大事故への規制対策強化に自ら乗り出すことはなかった。
 1979年にも米国のスリーマイルアイランド原発で炉心溶融(メルトダウン)が起き、周辺住民が避難した深刻な事故があった。ソ連の事故は原発政策や規制のあり方を抜本的に見直す機会だったはずだが、当時既に約30基の原発が稼働するなど日本の原子力利用は本格化しており、政府は原発推進に都合のよい「安全神話」を守ることを優先した。
 公開文書からは、政府がチェルノブイリ原発事故から真剣に教訓を引き出そうとした様子も見られない。経済性を考えるばかりで原発の安全性を厳しく問う姿勢が政府や電力会社に欠けていたことが、東京電力福島第1原発事故につながったと言わざるを得ない。


哀しい結果
地球は滅びるかも
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時が止まる福島の病院 原発事故避難の混乱残し

2017年12月18日 10時17分24秒 | 原子力
時が止まる福島の病院 原発事故避難の混乱残し
2017年12月15日 (金)配信共同通信社

 放置された布団や新聞、炊き出しの跡―。東京電力福島第1原発事故で患者らが急きょ避難した福島県立大野病院(大熊町)が11月、事故後初めて報道機関に公開された。事故から6年半以上が過ぎたが、内部は時が止まったかのように、当時の混乱した様子をとどめていた。
 第1原発から西約4キロにある病院は現在も放射線量が高く、原則立ち入り禁止の帰還困難区域内にある。国は事故発生翌日の2011年3月12日、原発の半径10キロ圏内の住民に避難指示を出したため、患者や職員らが避難を余儀なくされた。
 院内は一部の天井が崩れ落ち、割れたガラスが散乱している。ホワイトボードには受け入れた患者の名前が書かれた書類が張られ、ロビーには地震発生を伝える新聞も。床のあちこちでは布団が敷きつめられたままで、炊き出しに使われたとみられる調理器具も雑然と転がっていた。駐車場には、人が不在の間に周辺で増えた野生動物のふんが点在していた。
 県は、東日本大震災と原発事故の記憶と教訓を後世に伝える資料として、地震発生時刻を指して止まったままの時計など20点余りを収集した。20年に双葉町に整備する施設に収蔵する予定だ。(福島支局・守谷季浩)



恐ろしい恐ろしい原子力
この病院の風景は
まるで科学漫画の画像だね
こんな状態が
現実で
日本にあるってことを
原発賛成者は知っているのだろうか
すでに
金持ちさんたちは
地球外住居を現実化している。
地球は生き物の住めない廃墟になると婆は連想する。
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「火山国」の原発、是非問う決定 伊方原発差し止め

2017年12月15日 00時14分59秒 | 原子力
「火山国」の原発、是非問う決定 伊方原発差し止め
釆沢嘉高 編集委員・瀬川茂子、川原千夏子 笹井継夫
2017年12月14日05時00分朝日新聞

火山と原発の地図

 高裁段階で初めて原発の運転差し止めを命じた四国電力伊方原発をめぐる広島高裁の判断。火山の「破局的噴火」といった、発生頻度は低いが影響ははかりしれない甚大災害をどう評価するかで、原発の新規制基準に照らし、従来とは異なる司法判断を導いた。電力業界からは困惑の声が上がった。
【特集】伊方原発
 伊方原発の敷地に、過去に阿蘇噴火による火砕流が到達していないと判断するのは困難――。こう指摘し、広島高裁は同原発の運転を禁じる仮処分決定をした。
 従来、原発をめぐる訴訟の最大の争点は地震・津波のリスクだった。しかし今回、決定が問題視したのは、約130キロ離れた阿蘇山の噴火リスクだ。原子力規制委員会は審査内規「火山影響評価ガイド」で、原発から160キロ以内の火山を検討対象としている。
 過去の判断との大きな違いは、1万年に1度しか起こらないような自然災害であっても、規制委の基準に沿い、原発立地の適否を厳格に判断すべきだ、との姿勢だった。
 火山リスクをめぐっては九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)について、福岡高裁宮崎支部は2016年4月、原則40年の原発の運転期間中に噴火が発生する「相応の根拠が示されない限り、安全性に欠けるとはいえない」として、住民の差し止め請求を退けている。
 この決定は、大規模噴火の発生確率は低頻度で、無視し得るものとして容認するのが「社会通念」と言及し、そのリスクを考慮するかどうかは政策判断だとした。今回の広島高裁決定に先立つ広島地裁決定も、こうした「社会通念」を考慮する考え方を引き継いだ。
 広島高裁決定も、噴火のように、甚大な被害は及ぼすが頻度の低い自然災害に対して、目立った国民の不安や疑問もないとし、「社会通念」への理解は示している。
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「足元にメルトダウンの原子炉が」記者、3号機に登る

2017年12月05日 00時58分46秒 | 原子力
「足元にメルトダウンの原子炉が」記者、3号機に登る
川原千夏子
2017年12月3日20時35分朝日新聞

【動画】東京電力福島第一原発3号機の建屋最上部を公開=小玉重隆撮影

燃料取り出しに向け、ドーム状の屋根の設置作業が続いている福島第一原発3号機の最上階=1日、福島県大熊町、竹花徹朗撮影

 東京電力福島第一原発3号機の建屋最上階に今月初め、取材に入った。事故から6年半以上が経ち、取材が可能なレベルまで放射線量は下がったが、使用済み燃料プールにがれきがあるなど事故の痕跡がいまだに残り、廃炉の道のりは遠いと感じた。
崩れ落ちた建屋、今は? 写真で見比べる福島第一原発
 3号機に向かう前に、内部被曝(ひばく)量を事前に計測。建屋から100メートルほどの拠点で防護服と鼻と口を覆う半面マスクを着用し、歩いて3号機に向かった。建屋のそばに着くと、放射線量は毎時0・1ミリシーベルトを超えた。
 傷んだ建屋に負担をかけないために組んだ足場のエレベーターに乗り、オペレーティングフロアと呼ばれる建屋最上階に上り、敷き詰められた鉄板に立った。目に入るのは全て真新しい設備で、どこかのビルの屋上のようだ。事故直後の鉄骨がぐにゃりと曲がり鳥の巣のようだったがれきは取り除かれていた。
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原発「津波にびくともしない」 福島事故後も伊方でPR

2017年10月02日 00時04分14秒 | 原子力
原発「津波にびくともしない」 福島事故後も伊方でPR
荻原千明
2017年9月29日21時55分朝日新聞
【動画】「津波にびくともしない」「爆発しない」福島事故後もPR=荻原千明撮影
「津波などにもびくともしない」と原発について説明するクイズの解説画面=愛媛県伊方町

 四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の安全性をPRする県の施設が、東京電力福島第一原発の事故後も6年半にわたり、原発全般について「津波などにもびくともしない」「爆発する事はない」などと解説する展示を続けている。県は「一部が現状にそぐわない」として今年度中に展示内容を改善するという。
 施設は、伊方原発から約4キロ東の伊方町湊浦にある「県伊方原子力広報センター」。県が「原子力発電の正しい理解を深めるためのふれあい広場」として1982年に設置した。四電、県、町が共同出資した公益財団法人が運営し、昨年度は近くの小学校の児童ら1761人が訪れた。
 入り口近くの「情報サロン」には、原発についてクイズなどで学べるタッチパネル式モニターが2台ある。「もし大地震などがおきたら、原子力発電所はどうなるでしょう」という設問は、「1・そのまま発電する」「2・万一の事故が発生しないよう、原子炉は自動的にとまる」「3・大地震であればこわれてしまう」の選択肢から、2を選べば「正解」。「地震・台風・津波などにもびくともしないがんじょうな建物」「最大の地震を考えた設計」などと解説が付く。
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「赤い背中の少年」谷口稜曄氏、使命背負い地獄を語り続ける 床擦れで胸の肉腐り、激痛のあまり「殺してくれ」…

2017年09月25日 23時18分18秒 | 原子力
「赤い背中の少年」谷口稜曄氏、使命背負い地獄を語り続ける 床擦れで胸の肉腐り、激痛のあまり「殺してくれ」…産経新聞

1946(昭和21)年1月撮影とされる、原爆で背中に大やけどをした谷口稜曄氏の映像からの写真(長崎市提供)
1946(昭和21)年1月撮影とされる、原爆で背中に大やけどをした谷口稜曄氏の映像からの写真(長崎市提供)

 88歳で亡くなった長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄さんは、原爆投下後の地獄を語ることを「生かされた」者の使命として背負い続けた。命を奪われた約7万人の苦しみや、運動を共にした仲間たちの願いを胸に、自らを奮い立たせながら国内外で体験を伝えた。

 「目をそらさないで」。2010(平成22)年、被爆者代表として出席した米ニューヨークの核拡散防止条約(NPT)再検討会議。各国代表ら約400人の前で「真っ赤な背中」の少年の写真を掲げた。

 昭和20年8月9日、16歳の時、爆心地から1.8キロの路上で郵便配達中、爆風に吹き飛ばされた。熱線で背中は大やけど。入院生活のうち2年近くはうつぶせのまま、床擦れで胸の肉は腐った。「殺してくれ」。激痛のため何度も叫んだ。

 入院中の谷口さんを撮影した米軍のフィルムは45年に発見。その姿は世界に衝撃を与え、取材が殺到。核兵器の恐ろしさを伝えるため20回以上海外に渡り、被爆者の「顔」に。被爆70年の平成27年8月9日、平和祈念式典で壇上に立った。

 式典の後につぶやいた「まだ終わりじゃない」。道半ばのままの核廃絶の悲願は次の世代に託された。
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米空母打撃群、来月に朝鮮半島近海へ 緊張高まる可能性

2017年09月19日 15時56分51秒 | 原子力
米空母打撃群、来月に朝鮮半島近海へ 緊張高まる可能性
ソウル=牧野愛博
2017年9月18日23時12分朝日新聞

18日、韓国上空で行った演習で爆弾を投下する米軍のB1B戦略爆撃機(韓国空軍提供)

 北朝鮮の相次ぐ軍事挑発を受け、米原子力空母率いる空母打撃群が10月、朝鮮半島近海に展開する見通しになった。韓国国防省が18日、国会に提出した資料で明らかにした。18日には米戦略爆撃機B1Bが韓国上空に飛来したほか、9月末にも日米韓の弾道ミサイル防衛演習を行う。
特集:北朝鮮、ミサイル発射
 北朝鮮は10月10日に朝鮮労働党創建72周年を控え、金正恩(キムジョンウン)党委員長を中心に結束を強く訴えるとみられる。日米韓の専門家からは、この時期に新たな軍事挑発に出るとの指摘が出ており、朝鮮半島の緊張はさらに高まりそうだ。
 米空母の派遣は、韓国側が3日の北朝鮮による核実験を受けて米側に要請していた。横須賀を中心に活動する原子力空母ロナルド・レーガンが派遣される見通し。米空母の朝鮮半島近海への派遣は、空母2隻が6月ごろに日本海に展開して以来。韓国軍は米空母打撃群と米韓合同演習を行う。
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「2千人暮らす町」へ、道のり険しく 双葉町に復興拠点

2017年09月17日 07時33分33秒 | 原子力
「2千人暮らす町」へ、道のり険しく 双葉町に復興拠点
杉村和将、編集委員・大月規義
2017年9月16日03時05分

雑草が生い茂る双葉駅近くの線路=7月、福島県双葉町、竹花徹朗撮影

復興拠点の中心地となるJR双葉駅=7月、福島県双葉町、竹花徹朗撮影

 東京電力福島第一原発の事故で放射線量が高くなった帰還困難区域。復興から取り残されてきたが、政府は15日、同原発が立地する福島県双葉町の一部を「特定復興再生拠点」と認定した。5年後に人が暮らせるようにする。ただ、町の荒廃は激しく、計画通り住民が戻るかは確証がない。
帰還困難区域の双葉町に復興拠点 政府が初認定
特集:東日本大震災
 今回認定された復興拠点の面積は約560ヘクタール。町域の96%が帰還困難区域にされた双葉町の約1割だが、原発事故前に7千人いた町民の7割が暮らしていた中心部だ。JR双葉駅を中心に南北を走る線路の東側には家々や商店、神社などの古い街並みが、西側には新興の住宅地が広がっていた。
 認定に伴い、政府は除染を本格化させ、震災で傾いたままの建物の解体、整地を始める。2019年度末にはJR双葉駅周辺の避難指示を先行解除し、22年春に拠点内すべてを解除する。その5年後には、帰還する住民や町外の原発作業員ら計2千人が暮らす町をめざす。
 復興庁によると、双葉町に続き、帰還困難区域を抱える大熊町や浪江町なども今年度内に、拠点の申請を国に出す予定だ。
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原発事故対策に新冷却装置 沸騰水型に義務化を検討

2017年09月14日 01時01分33秒 | 原子力
原発事故対策に新冷却装置 沸騰水型に義務化を検討
東山正宜
2017年9月12日04時16分

 原子力規制委員会が東京電力福島第一原発と同型の「沸騰水型」原発で、重大事故時に原子炉格納容器の圧力が高まって破裂するのを防ぐ新たな循環冷却システムの導入を電力会社に義務づける検討を始めた。現在の新規制基準では、圧力を下げるために放射性物質を含んだ水蒸気をフィルターを通して外部に出す設備を義務づけているが、新たに第一の選択肢と位置づける。新基準を見直す方針だ。
電力会社には厳しい姿勢 原子力規制委員長後任の更田氏
 新たな冷却システムは、東電が柏崎刈羽原発(新潟県)に設置し、規制委も有効性を認めた。新基準は、新たな知見が得られれば速やかに反映することを柱にしている。義務化されれば、東北電力女川原発(宮城県)や中部電力浜岡原発(静岡県)、北陸電力志賀原発(石川県)、中国電力島根原発など他社の沸騰水型原発の審査にも影響しそうだ。
 核燃料が溶け落ちる重大事故が発生した際、格納容器の底にたまっている水を配管を通して外部に引き出し、臨時の冷却装置で冷やしてから再び格納容器に戻して核燃料などの冷却に使う仕組み。冷却を継続することで水蒸気の発生を抑えられるほか、もともと内部にあった水を循環させるため、格納容器の圧力を低く保てるという。
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子の病、自分を責め 放射能の恐怖、抱え生きた 「被爆後の生活」

2017年08月08日 12時00分08秒 | 原子力
子の病、自分を責め 放射能の恐怖、抱え生きた 「被爆後の生活」
2017年8月7日 (月)配信共同通信社

 72年前の広島・長崎への原爆投下は、病や遺伝への不安、偏見や差別といった問題を生み、その被害は今も続く。今夏、核兵器禁止条約が国連で採択されたが、非核へ向けた機運は高まらない。国民の多くが被害を過去のことと捉えているからでは、との指摘もある。被爆者が各地で暮らしていることもあまり知られていない。被爆後の生活に焦点を当て、話を聴いた。
   ×   ×
 おなかに命が宿った時、生まれたばかりの子にお乳をあげている時、感じたのは幸せより不安だった。長崎で被爆した高井ツタヱ(たかい・つたえ)さん(81)=名古屋市=は、被爆者であることを家族にも最近まで隠し続けた。子どもが体調を崩すたび、浴びた放射線が頭をよぎる日々。「子どもや孫の代まで、なぜこんな重荷を...」。恐怖は72年たっても消えないどころか、世代を超えて続いている。
 被爆時は9歳。直後から水のような下痢が続いた。「当時は放射能の知識がなかった。原爆なんて言葉も知りませんでした」。原爆が「しばらくは草木も生えないような爆弾」と知ったのは7年ぐらい後だったか。
 中学を卒業後、働きに出た先で同僚の差別に苦しんだ。「被爆がうつる。あんた早く辞めんね」。17歳で男性と恋に落ちたが、相手の母親に「病気のある子が生まれたらどうする」と反対され、身を引くしかなかった。
 「被爆者であることを忘れたい」とゆかりのない名古屋へ移った。勤務先で紹介された男性との縁談が持ち上がると「放射能はそのうち消えるはず」と必死で自分に言い聞かせた。「そんなはずないのに、そう信じたかった」。結婚し、3人の子どもに恵まれた。夫は被爆のことを知らないまま亡くなった。
 家族に打ち明けたのは6年前の3月11日。津波にのまれる東日本大震災の被災地をテレビで見て、あの日の長崎の光景がフラッシュバックした。「また戦争が始まった」とパニックになる高井さん。驚く家族に、被爆したことを初めて話した。女子高生だった孫は不安そうに言った。「私、被爆3世なんだ。子ども産めるのかな」。その言葉に胸をえぐられる思いがした。
 50代の長女は昨年、原因不明の大病を患った。現在も治療は続く。「私のせいかも」という罪の意識を消すことはできない。自分が生きているのが申し訳ないと思う。「被爆者になりたくてなったわけではない。私のような思いをする人を二度と出さないで」
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語れなかったヒロシマ、やっと一歩を 久保田智子さん

2017年08月06日 10時43分50秒 | 原子力
語れなかったヒロシマ、やっと一歩を 久保田智子さん
宮崎園子 久保田侑暉
2017年8月5日21時48分

広島平和記念公園で、思いを語る久保田智子さん=2日午後、広島市中区、上田幸一撮影

 「原爆」は過去のもの?
 いや違う。そう言って「ヒロシマ」と向き合う人々がいる。高齢化が進み、年々減っていく被爆者の記憶を受け継ごうとする人。ひたすらにここで何が起きたかを訴える人。様々な思いとともに、広島は6日、被爆から72年を迎える。
特集:核といのちを考える
「ナガサキノート」バックナンバー
 「会社の打ち上げで行ったカラオケの帰りに、先輩から『なんでヒロシマについて語らないの?』って言われて『うわー、やっぱりついて回るのかー』って思いましたね」
 表情は明るく、語り口はエネルギッシュ。自身のルーツ「広島」と被爆地「ヒロシマ」への複雑な思いをこう語る。
 父が広島県呉市出身の元TBSアナウンサー、久保田智子さん(40)は、中学1年生で横浜市から広島県東広島市へ転居。大学時代に留学した米国でも、被爆地の話を期待された。語れないのが、後ろめたい。2000年に入社したTBSでも、同じだった。
 転機は昨年の米大統領選だ。何か新しいことをしたいと退社を決意し、ニューヨークで働く夫と過ごすため渡米。ライターとして大統領選を取材した。日本の核兵器保有を容認するトランプ氏の発言を「なんてカジュアルな核武装論」と危惧した。ボタンを押せば核ミサイルは飛んでいく。72年間原爆が落とされなかったのは奇跡で、それが続く保証はどこにもないのに。
 一方で被爆者の高齢化は進み、いずれはいなくなる。「被爆者の方々に頼ってばかりもいられない時期を迎えたんだなって。次の世代が戦争を自分のこととして捉えていくしかない。語る資格の有る無しの問題じゃないと思ったんです」
 だったら自分の経歴を生かせば、被爆者から聞いた経験をみんなに聞いてもらえるかも知れない――。そう考え、広島市が進める「被爆体験伝承者」に応募した。秋には被爆者との対話を重ね、記憶を引き継ぐ。でも、葛藤はある。
 「(テレビで知られている)自分が語ることで人が集まるとは思うけど、そんな考えを軽蔑する気持ちもあります。コソコソやりたいけど、それじゃ意味がないとも思うし……。どうなっていくかわからないけど、40歳になって、やっと一歩を踏み出そうと思えたんです」
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