日々

しあわせにと祈る

二人の女優

2019年01月14日 23時12分23秒 | テレビ映画
樹木希林さんが75歳で
市原悦子さんは82歳で
市原悦子さんが82さいになっておられたなんて信じられない
ほど
若々しかったと。

お二人の共演は一作のみ
市原悦子さん 希林さん最後の主演映画「あん」で親友役 ファン沈痛「今観たら、号泣」
[ 2019年1月13日 21:29 ]
 テレビドラマ「家政婦は見た!」シリーズなどで人気を博した女優の市原悦子(いちはら・えつこ、本名塩見悦子=しおみ・えつこ)さんが12日午後1時31分、心不全のため東京都内の病院で死去した。82歳。千葉市出身
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市原悦子さんも、いっちゃった~~

2019年01月14日 23時00分56秒 | テレビ映画
子供たちからも人気!? 市原悦子の「おばさんデカ」10年ぶりラスト
共演の石橋蓮司(左)、布川敏和とラストを飾る市原悦子

 12日午後7時57分からフジテレビ系金曜プレミアム枠で放送される「さよなら!おばさんデカ 桜乙女の事件帖 ザ・ラスト」。主演の市原悦子(81)の演技を意外にも子供たちが楽しんでいるという。現在病気療養中だが、本人がこう話す。

 「『おばさんデカ』は、みなさんから“かわいい”って言っていただいて評判がいいんですよ。私がっていうより、乙女という役がかわいいんでしょうね。お子さんも2時間ずっと座って見てくださるなんて話を聞いたことがあって、笑っちゃいましたよ。私のセリフの音色とかリズムがお子さんにも合うんでしょうか」

 いつものように、無表情に淡々と語る。確かに、有名なシリーズ「家政婦は見た!」(テレビ朝日系)なども幅広い世代から支持され、そのコミカルな演技をモノマネされたりしていた。

 多くの人から愛される演技派女優であることは言うまでもないが、そんな彼女のもう一つの人気シリーズが「おばさんデカ」。15作目の「おばさんデカ 桜乙女の事件帖ファイナル」(2007年9月28日放送)をもっていったんシリーズに幕を下ろした作品が、多くのファンの声に応え10年ぶりに復活。さらに本作をもって正式にシリーズラストとなることも同局から発表された。

 ドラマは“おかめ”の愛称で親しまれ、自らの勘と主婦ならではの独特の推理で事件を解決に導く桜乙女刑事(市原)の活躍を描いている。ラストの作品は、刑事を引退した乙女が女子刑務所から出所するという衝撃のシーンから始まる。乙女がどのような生活を送り、どんな事件に巻き込まれたのか。劇中ではお約束のように、刑事課長の牧村(きたろう)から「おかめ!」と呼ばれ、「乙女です!」と毅然と返す場面も。こんなシーンが子供たちからも親しまれるゆえんなのだろう。

 そして普通のおばさんで、普段は上司や同僚刑事から小馬鹿にされているが、捜査となれば主婦の勘と持ち前の鋭い観察力を生かし、数々の難事件を解決。同時に、世の中の矛盾に心を悩ませ、葛藤する人情味あふれる乙女の優しさが長く続く人気シリーズにつながった。

 市原はこれまでの撮影を振り返り、「いつも自分の人生と照らし合わせて考えています。乙女はあんな変わった男性と一緒になってお金もなくて寂しい状況で生きているのですが、ささやかな幸せを求めている心根のいい女です。そういう人が事件を見たときに裁いたり、世の中の掟を押しつけたりするのではなく、庶民の目線で事件を見ています。だから私自身も普段の生活を乙女のような目線で生きていて、本当に不幸な事件を嘆いています」という。

 そして、「乙女はとても大変な状況になりますが、相変わらず夫と仲良くいます。いつも通りの幸せがあればいいんだ、ということが伝わればいいなと思います。テレビのよさも詰まった作品。随分前に撮ったので私も懐かしい。本当にいいお仕事をさせていただきました」と最後は感謝の言葉を口にした。

 30年以上の付き合いだという赤司学文プロデューサー(オセロット)は「ぜひ市原さんで刑事ものを作りたいと思いオファーさせていただいたことを思い出します。単なる刑事ものではないところを目指して制作してきましたが、シリーズも今回で16作目。いよいよラストだと思うと感慨深いものがあります。乙女のラストをぜひ楽しんでください」と語っていた。

 売れない官能小説を書いている乙女の夫、雅樹(蛭子能収)、事件解決に取り組んできた同僚刑事の工藤栄作(石橋蓮司)と米田三郎(布川敏和)というおなじみの顔ぶれも勢ぞろいする。

 「みんな立派になって、いい白髪で、ちゃんと年取っています」

 市原がクスッと笑った。(産経デジタル)
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「フォレスト・ガンプ 一期一会」

2019年01月07日 21時48分56秒 | テレビ映画
私はラッキー?
この休みは、少々の家事と、
後は、眠り(居眠りと)テレビ
特にテレビは知らないことを沢山知らせてくれる。
今は「フォレスト・ガンプ 一期一会」を見ている。
トム・ハンクス主演。
人生は運命なのか、風のように偶然なのか?
彼のセリフの中にあった言葉
その両方なのか?
これは、覚えておこう。




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キムタク、美容師になる、モニタリング②

2019年01月03日 10時55分25秒 | テレビ映画














キムタクのフアンさんよかったね
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キムタク、モニタリング①

2019年01月03日 10時40分12秒 | テレビ映画
キムタクを連写
パシャパシャパシャ~~~~



















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アポロ8号の成功のテレビを見て

2018年12月27日 23時01分46秒 | テレビ映画
今から50年前と言えば
私が25歳の時
長男が生まれた年です。
それは、1968年の12月の24日、クリスマスの日。
アポロ8号が月の裏側を飛び
27日には、地球に帰る。
50年前は、小さなアパートに7カ月の長男と夫の3人暮らし
テレビはあったけど、
アポロ8号の情景をテレビ放映はしていなかったでしょうけど
言葉で、状況を放送したかもしれないけど、
てんで、覚えていない。
聞いていたとしても
雲の上の夢のまた夢。

アポロ8号は、アメリカ合衆国のアポロ計画における二度目の有人宇宙飛行である。1968年12月21日に発射され、地球周回軌道を離れて月を周回し、再び安全に地球に戻ってきた初の宇宙船となった。(Wikipedia)

今、アポロの放映を見て、
50年も前に、
軌道不明に陥ったアポロ8号にミスタッチで消えた軌道情報を
地球から情報を無線で送るなんて
出来たんだな~とそのことのすごさに驚いた。
ドイツナチスの時代に
イギリスにミサイルを撃った、
そのミサイルは、ロケット第一号ともいえるもので、
宇宙に飛ばすロケットの研究は
そのミサイルの研究から始まった。
とすれば、70年前から、無線による操作はあったわけで、
今は平気でパソコンやらスマホをいとも簡単に動かしている自分、
なんとも、そのことのつながりに

今になって驚く。

長男が生まれた年に
アポロ8号は飛んだんだね~
それが、今の、宇宙旅行の始まりなんだね~
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北大路欣也さん

2018年12月16日 22時48分09秒 | テレビ映画
がんでお亡くなりになるお方
その他の突然死のお方
なかでも、テレビでかっこいいお姿を見せてくくださった方々の
お姿が見えなくなると
寂しいものです。

そんな中
今夜は
北大路欣也さんの
久しぶりの渋いお姿が見られて
なにか
ほっとして
ほのかな
安堵感に浸っている。

いつまでもお元気で
ご活躍ください。
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東京家族 (映画)

2018年12月03日 22時19分34秒 | テレビ映画
東京家族 (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
監督
山田洋次
脚本
山田洋次
平松恵美子

出演者
橋爪功
吉行和子
西村雅彦
夏川結衣
中嶋朋子
林家正蔵
妻夫木聡
蒼井優

音楽
久石譲

撮影
近森眞史

編集
石井巌

製作会社
松竹
上映時間
146分

興行収入
18.2億円
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『東京家族』(とうきょうかぞく)は、2013年の日本映画。2013年1月19日公開。

概要[編集]

小津安二郎監督による『東京物語』(1953年松竹)のリメイクであるが、広島側の舞台が尾道から豊田郡大崎上島町に変更され撮影されている。キャッチコピーは「おかしくて、かなしい。これは、あなたの物語です。」。

もともとは2011年12月公開予定であったが、東日本大震災によって公開が延期となった。それとともに脚本の一部を改訂し、主演の老夫婦の配役を菅原文太と市原悦子から、橋爪功と吉行和子に変更[2]。また長女役も室井滋から中嶋朋子に交代した[3]。

全国317スクリーンで公開され、2013年1月29、20日の初日2日間で興収2億961万6,000円、動員動員19万4,902人になり、映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第2位となった[4]。2014年1月発表の最終興収は18.2億円[5]。

2014年1月26日には、テレビ朝日系列の『日曜洋画劇場』の特別企画として初めて地上波放送された。2016年3月6日には同枠で2度目の地上波放送[6](21:00 - 23:54。文字多重放送 / データ放送)。

偶然見ているこの物語。テレビにて。
昔々の物語
昔の物語は見ていないけど、老夫婦の物語で、何か起きないかとどきどきだね~
やっぱり起きたね~
お母さんが倒れちゃった~
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日本初女性医師 銀幕に…熊谷出身・荻野吟子

2018年12月01日 11時34分53秒 | テレビ映画
日本初女性医師 銀幕に…熊谷出身・荻野吟子
2018年11月30日 (金)配信読売新聞

 熊谷市出身で日本初の女性医師・荻野吟子(1851~1913年)の一生を描いた映画「荻野吟子の生涯」(仮題)の制作が決まった。これまで社会派映画を多く手がけてきた山田火砂子ひさこ監督(86)がメガホンを取り、来夏の公開を目指す。山田監督は28日、県庁を訪れ「現代を生きる女性にもっと頑張ってほしいという気持ちを込めて撮りたい」と意気込みを語った。
 旧俵瀬村(現熊谷市)の裕福な家に生まれた吟子は、近隣の豪農の家に嫁いだが、夫から性感染症をうつされ離婚。この時、男性医師に囲まれ治療を受けたことに屈辱を覚え、医師になろうと決意したという。女性が医学校に通うことや、医師になるための試験を受けることすら困難な時代だったが、吟子は34歳で日本最初の「公許女医」になった。
 山田監督は、障害児教育に力を注いだ石井筆子の映画「筆子・その愛」(2007年)を制作した頃から、石井筆子と交流があった吟子の映画の構想を温めてきたという。
 折しも、東京医科大などの医学部入試で、女性の受験生が不当な差別を受けていたことが明らかになった。山田監督は「日本の女性医師は虐げられている。吟子が医師になるまでの艱難かんなん辛苦や、貧しい人たちにも一生懸命手を差し伸べた姿を描きたい」と力を込める。
 年内に主役などを固め、来年4月以降に熊谷市や、吟子が移り住んだ北海道せたな町などで撮影を行う予定だ。
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樹木希林さん、スマスマ出演は「本木さんの服」で(スター日記:23)

2018年11月06日 00時00分56秒 | テレビ映画
樹木希林さん、スマスマ出演は「本木さんの服」で(スター日記:23)
放送作家・山田美保子
2018年9月18日19時48分

樹木希林さん=2018年3月、東京都中央区、村上健撮影
 樹木希林さんがお亡くなりになりました。
 享年75歳。敬老の日にちなんで発表された「100歳以上が最多の6万9千人」「女性が88%」なるデータと比べると、お別れが早すぎたという印象があります。

 希林さんが「大腿(だいたい)骨骨折で手術」「一時危篤状態に陥っていた」ことを娘婿の本木雅弘さんが出席したイベント中、希林さんから託されたイラスト付きメッセージでマスコミに伝えたのは8月30日のこと。がんの影響もあり「肺のあたりが弱っている」との報告もありましたが、危機的状況は回避したと。
 9月4日。希林さんは10月13日に公開される映画「日日是好日」のプレミアム試写会を欠席するも、またまたイラスト付きの直筆メッセージを届け、黒木華さんが代読しました。
 さらに希林さんに関しては、「第71回カンヌ国際映画祭」でパルムドールを獲得した映画「万引き家族」が、今度は、「第91回アカデミー賞外国語映画賞」に日本代表として出品されることが決まったというニュースもありました。
 近年、特に精力的に映画出演をこなしていらした希林さんは、これまで何度も大病を克服してこられたように、再び私たちにお元気な姿を見せてくださると信じていました。
 しかし、16日の午後、マスコミを駆け巡ったのは「希林さんが亡くなったのではないか」。各社が確認に動き、関係者に取材を進める中、夕方近くになって明らかになりました。
 現役のままで……ということでいったら、昨年、「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)のオンエア中に亡くなられた野際陽子さんや、今年、多くの出演ドラマやバラエティー番組を抱えたままお亡くなりになった大杉漣さんが思い出されます。
 そして希林さんもまた、これから公開になる映画や、ご自身の活躍が世界で認められるような場が待っている矢先でした。
 私の世代でいうと、「時間ですよ」で堺正章さんや浅田美代子さんと“トリオ・ザ・銭湯”を組み、劇中コントを見せてくださったことや、「寺内貫太郎一家」で西城秀樹さんから「きったねぇな~、ばあちゃんは」と怒られていたり、自室の壁に貼ってあった沢田研二さんのポスターに向かって「ジュリーー!」と身もだえたりするシーンが思い出されます。
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あとはじぶんで考えてよ…新聞全面で語る樹木さんの言葉

2018年11月05日 23時36分40秒 | テレビ映画
あとはじぶんで考えてよ…新聞全面で語る樹木さんの言葉
加藤勇介
2018年10月29日10時33分
10月29日の朝日新聞朝刊に掲載された宝島社の企業広告「あとは、じぶんで考えてよ。」
10月29日の読売新聞朝刊に掲載された宝島社の企業広告「サヨナラ、地球さん。」

 9月15日に75歳で亡くなった俳優の樹木希林さんを起用した新聞の見開き全面広告が29日に掲載された。
 宝島社が企業広告として同日付の朝日新聞と読売新聞朝刊に掲載したもの。朝日新聞には夫の内田裕也さん、長女の内田也哉子さんと夫の本木雅弘さん、3人の孫と一緒の家族写真と共に、「絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから」「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ」と、生前に樹木さんがインタビューなどで語った印象的な言葉が並ぶ。最後は「あとは、じぶんで考えてよ。」で締めくくられる。
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さくらももこさん、乳がんで死去 「ちびまる子ちゃん」

2018年08月29日 09時51分33秒 | テレビ映画
さくらももこさん、乳がんで死去 「ちびまる子ちゃん」
2018年8月27日19時58分

 「ちびまる子ちゃん」で知られる漫画家のさくらももこさんが15日、乳がんで死去した。53歳だった。本名は非公表。通夜・告別式は近親者で行った。所属するさくらプロダクションが27日発表した。

 静岡県清水市(現静岡市)出身。1984年にデビューした。自身の子ども時代の思い出を投影した、小学3年生のまる子の日常を描くエッセー風漫画「ちびまる子ちゃん」を、雑誌「りぼん」(集英社)に86年から連載。講談社漫画賞(少女部門)を受賞した。
 90年にはフジテレビ系でアニメ化されて社会現象に。自らが作詞して、B.B.クィーンズが歌ったテーマ曲「おどるポンポコリン」も同年、130万枚を超える大ヒットとなった。国民的なアニメになっており、放送は今後も続く。
 代表作はほかに「コジコジ」など。ユーモラスな語り口でエッセイストとしても活躍し、91年から刊行した「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」は3年連続で100万部を超えるヒットとなった。
さくらももこさんの経歴
1965年 静岡県清水市(現静岡市)生まれ
  84年 短大在学中、「りぼんオリジナル」で「教えてやるんだ ありがたく思え!」でデビュー
  86年 「りぼん」で「ちびまる子ちゃん」連載開始
  89年 「ちびまる子ちゃん」で講談社漫画賞少女部門受賞
  90年 「ちびまる子ちゃん」がフジテレビ系でアニメ化。作詞したテーマ曲「おどるポンポコリン」が日本レコード大賞
  91年 初エッセー「もものかんづめ」
  92年 エッセー「さるのこしかけ」
  93年 エッセー「たいのおかしら」
  94年 「コジコジ」連載開始。97年にアニメ化
2006年 「ちびまる子ちゃん」実写ドラマ化
  07年 「4コマちびまる子ちゃん」を全国11の新聞で連載開始
  15年 「まんが倶楽部」連載開始
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今の椿、岡田准一さんはどう思うかな?

2018年08月28日 23時14分58秒 | テレビ映画
椿の実がなっている。
岡田准一さんが出る映画、
自分で殺陣をつけたとのこと
殺陣士さんがつけていないとのこと
「散り椿」
三船敏郎や勝慎太郎を上回るとのこと
ぜひ、ミニイクゾ~
我庭の椿の実、でかいよ、で、パチリ
でも、比較物がないから分からないよね、直径4cmはあるかな?
近くに
実が落ちて数本幼木が生えているよ。

次はサザンカ(山茶花)
これまたかわいい
これは2㎝

これは1.5㎝
さらに小さい
いくつもなっている。


岡田さんの剣のお相手の西島秀俊さんも、これまたいい
やさしく、穏やかな、お方の剣さばき、これまた見たいね。
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津川さん、さようなら、「タバコが肺」をと思う私

2018年08月10日 23時41分13秒 | テレビ映画
津川雅彦、すさまじき名演 カットためらった行定勲監督
2018年8月10日01時03分

「鳩 Pigeon」の撮影現場での津川雅彦さん(右)と行定勲監督(C)2016 The Japan Foundation, All Rights Reserved.
 「狂った果実」の青年の純真から「ひとひらの雪」の中年の色気まで、幅広い人間のありようを表現してきた俳優の津川雅彦さんが78歳で亡くなった。2016年の東京国際映画祭で上映され、今年10月に一般公開される「鳩 Pigeon」の主役に津川さんを起用した行定勲監督が、現場での思い出などを踏まえて、名優を追悼する。
映画監督・行定勲(寄稿)
 「マルサの女」などの伊丹映画での理知的なのにパワフルで、人を食ったような癖のある人間臭さで観客を巻き込む、津川雅彦さんの凄(すご)みのある演技が好きだった。特に記憶に残っているのは故緒形拳さんとの壮絶な競演作「破獄」というテレビドラマだった。津川さん演じる刑務官の沈黙する眼差(まなざ)しで人間の恩愛を感じさせる演技が素晴らしかった。
 一昨年の3月、灼熱(しゃくねつ)の太陽がジリジリと照りつけるマレーシア・ペナン島で私は津川さんを撮っていた。南国で余生を過ごすために息子に移住させられた孤独な老人。信じているのは飼っている鳩(はと)だけ。津川さんはこの老人の淋(さび)しさには自分の本来の明るさが邪魔だと思い、スタッフや共演者とコミュニケーションを絶った。
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脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加

2018年07月21日 12時13分26秒 | テレビ映画
脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加
編集委員・石飛徳樹
2018年7月20日03時00分

脚本家の橋本忍さん=2018年4月(写真)
 「羅生門」「七人の侍」「日本沈没」「砂の器」など、映画史に残る名作、ヒット作を数多く手がけた脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)さんが19日午前9時26分、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。100歳だった。葬儀は近親者のみで営む。喪主は長女綾(あや)さん。
 兵庫県生まれ。会社勤めをしながら伊丹万作監督に学ぶ。1950年、芥川龍之介の小説を脚色した「羅生門」が黒澤明監督の手で映画化され、脚本家デビュー。この作品がベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を取り、注目を集めた。黒澤監督の脚本チームの一員となり、「生きる」「七人の侍」「蜘蛛(くもの)巣城(すじょう)」「隠し砦(とりで)の三悪人」など計8本の黒澤作品に参加した。
 骨太のエンターテインメントを得意とし、「張込(はりこ)み」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「ゼロの焦点」など松本清張の社会派推理小説の脚色は十八番だった。
 映画製作会社の橋本プロダクションを設立し、製作者としての第1作は清張の長編を自ら脚色した「砂の器」(74年、野村芳太郎監督)に。続く第2作「八甲田山」(77年、森谷司郎監督)とともに、当時の大作ブームの流れに乗って大ヒットを記録した。
 テレビでも、戦時下の庶民の苦しみを描いたドラマ「私は貝になりたい」が芸術祭賞を受け、自身の脚本・監督で映画化もされた。
 他の脚本の代表作に、63年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得した小林正樹監督の「切腹」、山本薩夫監督の「白い巨塔」、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」、森谷監督の「日本沈没」など。
 著書に黒澤監督との仕事を中心につづった自伝「複眼の映像 私と黒澤明」がある。(編集委員・石飛徳樹)
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