日々

穏やかな日々を

私(岩田健太郎さん)は島根県松江市に3つある進学校の1つに通っていた

2013年01月29日 23時48分39秒 | 
分断より融合、威張るより謙虚に-岩田健太郎・神戸大学感染治療学分野教授に聞く◆Vol.2
物分かりの悪い患者を診る医師になる

2013年1月29日 聞き手・まとめ:島田 昇


2013年に向けた言葉として岩田健太郎氏は「Dilemmaに耐えよ!」と記した。

――ご自身のキャリア形成について教えてください。研修先を医局の外に求め、米国、中国と渡り歩き、亀田総合病院、現在の神戸大学に至っています。

 僕は子どもの頃から、「分断」よりも「融合」を好む傾向がありました。例えば、理系と文系、男性と女性のような分け方ではなく、「分断するのではなく統合する」「違いを見るのではなくて同一性を見る」というところに、直感的に興味を持っていたのです。

 大人になってからこの直感を整理すると、世の中に根本的な違いなどはなく、ただ、「視点が違う」と考えていたのだと思います。例えば、あるお店の料理が美味しいか普通かの評価は、食べた人の見方の問題で、絶対的な違いではない。数字は客観的な違いと受け取られがちですが、内閣支持率が65%あるとして、この数字が高いか低いかは、主観です。さらに内閣支持率が60%になったとして、これを「支持率が低くなった」「支持率に大した変化はない」と考えるのも主観のなせる技と言えるでしょう。西欧諸国の人たちから見れば、日本人と中国人と韓国人の違いなんて、「それほど大した差はない」「一緒みたいなものだ」と感じる人がほとんどでしょう。

 私は島根県松江市に3つある進学校の1つに通っていたのですが、あの頃はまさに受験戦争と呼べるほど偏差値至上主義で、「今回の模試の平均点は市内の他校より良かった」「今回は他校より悪かった」とやっているのを見て、僕ははっきり言って「くだらないな、バカじゃないかこの人たちは」とずっと思っていました。「人口10万人程度の田舎町で平均点を競い合って何になるのか」と。その頃から細かいことを気にすることが卑しいことであるかのように思っていました。そういう細かな違いを執拗に気にする人は、怒りや劣等感、劣等感の裏返しの優越感などを内包させていることが多い。この種の卑しさはさまざまな場所にあふれていて、医療界でもありとあらゆる場面にあって、出身大学の偏差値、開業医と勤務医、博士号の有無など、そういうどうでもいいことで「ああだこうだ」と言っているんです。

 理系とか文系とか、そういう区別がおかしいなと思っていて、ここからは僕自身がバカだったというか「若気の至り」なのですけれど、当時、自然科学も社会科学も両方勉強できるのは医学部だと思い、それで医師の道を志しました。医師という職業に憧れは全くなく、ただ学問がしたいとの理由だけで、当初は基礎医学者になりたいとずっと思っていました。臨床医になるつもりなど、全くありませんでした。それでも医学部に入ってエイズの患者さんと出会って、そのサークルに入るなどしているうちに「ヒューマンなものも大事だ」と感じる萌芽を得たりしましたが、それでも基礎医学者になろうと思い、基礎医学者になるためにできるだけ短時間で臨床医学を学ぶことを考えて、それならばできるだけ厳しく教えてくれるところということで、沖縄県立中部病院を研修先に選びました。おそらく、中部病院史上、最も動機が不純な研修医だったのではないでしょうか(笑)。

 今思えば当然ですが、中部病院は思った以上に研修がしんどくて大変でした。とうとう「これ以上は耐えられない」と思っていた時に、米国の臨床留学プログラムがあることを知って渡米することに決めました。「米国の最新医学を学ぶ」だったり、「日本の医学はこのままでは駄目だ」だったりと、ポジティブかネガティブかいずれかの強烈なモチベーションに後押しされて渡米する若い医師がほとんどの中で、「とりあえず、ここにいたくないから米国だろうがどこでもいいから逃げ出したい」という気持ちで米国留学を決めた医師もまた、少ないのではないでしょうか。本当に若気の至りでした。

 米国をグローバルスタンダードと見てどっぷりと米国に浸かり、米国に対してものすごい大きな愛情か、その裏返しの大きな憎悪を抱く研修医がほとんどの中で、私は「米国は世界の異端児だ」と斜めに見て、米国の医療に接してきました。今でも世界の異端児だと思っていますよ、米国は。それでも5年、「米国とその他の国」というような区別をすることなく、米国の医療のいいところも悪いところも理解しながら感染症を学んできました。学生の時から、「世界のどこにいっても通用する人間になりたい」との思いが強かったため、感染症は先進国でも途上国でも、都会でも田舎でも役に立つ分野で、老いも若きも男も女も感染症になります。内科系、外科系、メジャー、マイナー、関係ありません。そういう「横の広がり」があるんです、感染症には。また、小さいところではウイルス学、分子生物学みたいなのから、大きなところでは公衆衛生、哲学、倫理学、政治にまで感染症は関与する。そういう「縦の広がり」もあります。感染症屋はある意味、ジェネラリスト以上にジェネラルな視点が必要です。こういうのが、まさに私が興味を持つ融合に合致する分野だったのです。

米国は世界の異端児
良し悪しを理解しながら学んだ

――日本に戻ってからはどうでしたか。

 当初、日本の医療は楽しそうではなく、「帰りたくないな」という思いが強かった。現場の医師からは不平不満しか聞こえてこないし、労働環境もよくなく、つらい上に楽しくなさそうという印象だった。そんな中でたまたま亀田総合病院からお声がけいただいたのですが、亀田は例外で、楽しそうないい病院の雰囲気があったので帰国することに決めました。

――指導医としての哲学、感染症への情熱などをお聞きすると、医学生時代の医師や医療に対する考え方とかなり落差があると思います。何か考え方が変わるきっかけなどがあったのですか。

 行き詰まったのです、「これじゃあ駄目だ」と。基礎医学者になろうと思っていたけれど、ズルズルと臨床をやっていて、米国で臨床をやっていると、「自分は米国の最先端で臨床をやっている」、「自分はこれだけ立派なんだ」というゆがんだ自負心が湧いていた時期があったのです。しかし、時の経過と経験の積み重ねとともに、そういうものが全く役に立たないという気づきに至りました。よく考えれば、米国にいることで医師として特別なことができるわけではないのです。それはただのおごりだったため、行き詰まったのです。そのときは人間関係もうまくいかなくなりました。

 米国では肩肘張って生き馬の目を射抜く覚悟でやっていて、さまざまな議論に参加して、米国人の真似事で一生懸命になって議論の中で主義主張をしたものです。それが米国的であると信じて。でも、そんなもの、全くアメリカ的でも何でもない。米国人だろうが日本人だろうが、本当に頭のいい奴は、そういう僕らみたいな凡人がゴチャゴチャ議論していると、後ろで黙って議論に加わらず聞いていて、一番大事なところを最後にズバっと言って去っていく感じなのですよ。

 行き詰って、患者を救うとはどういうことなのかも分からなくなった。例えば、生存率が5年上がったとして、それが何になるのか。患者はもっといろんなことに悩んでいて、お金に困っている患者に医者がお金を貸すわけにもいかないし、孤独に悩む患者の友だちになってあげることもできない。同じようにパートナーを失った人、仕事を失った人など、医療なんて、人の悩みのほんの一部でしかない。ですから、実は医者ができることはほんの少しのことで、そういう己の無力さを認識し、謙虚にならないといけないと思ったのです。

――謙虚になったことで、きちんとした哲学が芽生えたと。

 「きちんとした哲学」というのもよく分かりませんが、医師って、威張りすぎなのです。自分たちのお陰で世間が成り立っていると考えがちですが、24時間、医療や病気のことばかり考えている人というのは少ないですし、もしそういう人がいるとしたら、それはそれで不健全ですよ。そういう「病気のことばかり考えている」患者さんはどことなく不幸な顔をしています。そういう患者さんが、少しでも医療や病気のことを考えなくてもいいようにすることが僕らの本来の仕事であるのに、「もっと患者は勉強して賢い患者になれ」などと言っている。つまり、もっと一日のうちに病気のことを考えろと脅迫しているわけです。しかし、医師は自分たちが「脅迫している」だなんて考えない。まじめな医師ほどそうは考えない。でも、僕らは知らず知らず、自分たち医師を中心に何でも考えがちになっているのです。医療の世界は広大なるグレーゾーンの世界です。押しても駄目だし、引いても駄目だし、こうしたジレンマは本当に難しいとは思うのですが、やはり、自分たちの論理だけで考えてはいけないと思います。細々と謙虚にやっていくことが大事です。

人の幸福を支援するのが医師
優先すべきは正しさではない

 多くの真面目な医者は、正しさを振りかざし、例えば、タバコは体に良くないと言って、まるで喫煙者を人生の落伍者のように追い込んでいく。正しさを振りかざすことで人を不幸にしてしまっている。これでは、その正しさは本末転倒になってしまう。人間の幸福のためにちょっとでもお手伝いをすることが僕らの本来の仕事なのに。「他人の幸福」よりも、「自分たちの正しさ」を優先してしまうのです。物分かりのいい患者なんて、誰が診ても同じですからね。何もかも医師の論理で考えることなく、脅迫することなしに、「物分かりの悪い患者」に対して、自分の頭で考えて、どう診ていくのかを悩み、解決策を導き出すこと――。それこそが、医師の仕事だと僕は思いたいのです。

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Dr.岩田健太郎さん

2013年01月29日 23時09分11秒 | 
10人の「医師作家」が語る2013年の医療

「指導にメリットない」なんて心が貧しい-岩田健太郎・神戸大学感染治療学分野教授に聞く◆Vol.1
『スーパー指導術』の極意は贈与の本質の理解

2013年1月25日  聞き手 島田昇

 神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野教授で、同大大学院医学研究科教授(微生物感染症学講座感染治療学分野)、同大学医学部附属病院感染症内科診療科長兼国際診療部長の岩田健太郎氏は昨年、指導医が研修医に教えるため、また、研修医が指導医から教わることを想定した指南書『Dr.岩田健太郎のスーパー指導術 ~ 劇的に効果が出る“教えるコツ"“教わるコツ"』を上梓した。臨床研修の場で「指導医にメリットがない」と指摘する声に対し、岩田氏は「指導にメリットがないなんて、もったいない。指導にはメリットがたくさん。贈与の精神の本質を理解していない」と一蹴する。岩田氏が考える贈与の精神、医師の教育について聞いた(2012年12月28日にインタビュー。計2回の連載)。


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『スーパー指導術』
岩田健太郎氏に聞く
Vol.1◆「指導にメリットない」なんて心が貧しい
Vol.2◆分断より融合、威張るより謙虚に

「指導にメリットがないなんて、もったいない。指導にはメリットがたくさん。贈与の精神の本質を理解していない」と語る岩田健太郎氏

――執筆の経緯について教えてください。

 亀田総合病院に勤務していた頃、「コーチング」に興味を持ち始め、半年間の研修を受けてビジネス・コーチの資格を取得しました。その後、コーチングの技術を臨床医学に活用する内容の連載を雑誌に掲載し、DVDも作りました。連載が終わってからしばらく経ち、連載の内容をまとめて本にしたいと思って内容を見直したのですが、一言で言うとバタ臭くて、「この内容ではダメだな」と思うようになっていました。それで当時の原稿をかなり書き直し、まとめたのが本書になります。

――どうしてダメだと思ったのですか。

 教育も流行り廃りがあって、「ゆとり」か「詰め込み」という二元論的な考え方があるけれど、二者択一ではなく、「ゆとり」も「詰め込み」もどちらも大事なことです。例えば、適度なストレスは人生に張りをもたらすけれど、ストレスばかりでは参ってしまう。こんな当たり前のことすら吟味できていないと感じることが、世の中には多々見受けられますが、僕もコーチングについては当初、自分で十分に吟味できていなかった。「正しい」と「間違っている」という二元論で議論しがちで、まあ、どちらかというとアメリカチックで、だからバタ臭く感じたのですね。

 コーチングを現場で活用しながら自分で吟味していくと、使えるところと使えないところが見えてくる。どういう時にコーチングを使うのか、その押し引きの加減やタイミングも大切です。その辺りを十分に吟味して分かってきたことは、米国から入ってきたコーチングというツールは、日本で昔からやっていることだったりすることも多いんです。

 例えば、コーチングの有名なコンセプトの1つに「ペーシング」がありますが、そもそも日本人は相手の顔色や出方を伺いながらこちらの出方を決めていくという傾向があります。米国人のように、相手よりも自分の言動を優先するというスタイルは、日本人は伝統的に得意ではない。その他にもテンポのいい会話や相手の発言の繰り返しによる確認なども、日本の古典落語や漫才の世界で確認できます。コーチングは米国から輸入してきた目新しい概念でもなく、日本人がそのまま着こなすべきものでもないと分かってきました。つまり、米国流を意識して、肩肘張りすぎていたのです。

――米国流を意識し、権威に感じる人は多いと思います。

 偉い人が言っているから正しい、米国流だから取り入れるべきと考えることは好ましくないと思います。そういう絶対的なものなどあるはずありませんし。特に、教育はトライ・アンド・エラーでしかありません。「間違えてはならない」との無謬性に捕らわれすぎなのか、何かと言えば、偉い人が言うことを引用したり、米国ではスタンダートだと語ったり、ある意味で安易に権威付けする人を多々見かけます。そういう人は大抵、そもそも間違いがあったとしても権威を傘に間違いを認めようとしないから、事実をねじ曲げ、おかしな方向に向かってしまう。そういう無謬性の行き着く先にあるのは、ちょっと臨床研修の場面とは離れますが、教育現場におけるいじめの隠蔽でしょう。「いじめは良くない」というスローガンは100%正しいけれど、現実にいじめはあります。その現実と向き合い、トライ・アンド・エラーすべきところに、肩肘張って凝り固まった悪良識を振りかざすから、「いじめはあってはならない→ないはずだ→ない」という歪んだロジックの変遷がおきます。いじめの隠蔽問題が発生する土壌が醸成されてしまうのです。

 僕が本の中で言いたかったのは、偉い人が言っているからといってただそれを真似ねるだけでは駄目で、自分の頭で吟味すべきだということです。指導医なら教える研修医を、研修医なら教わる指導医の人柄をきちんと見て、その場のシチュエーションや文脈を分析し、自分の頭を悩ませることでしか、きちんとした学びはできないということを言っています。そういう複雑な思考は自分の頭で考えざるを得ないし、本書で書かれていることをそのまままねていては駄目だということを、本書を通じて言っています。

偉人の言動をまねるだけでは駄目
自分で吟味しないと学びはない

――若い医師らの人気が高いと聞いていますが、そういう「自分の頭で吟味せよ」というメッセージなどが受け入れられているのでしょうか。

 そういうことは考えたこともないですね、人気を得ようと考えた時点で人気は得られないと思うし、そもそも若い医師からの人気などに興味もないし、媚を売るつもりもない。学生や研修医に対しても、叱るべきところは全力で叱っていて、「こんな言い方すると嫌われるんじゃないか」とは考えるべきではないと思っています。

 叱ることはものすごいエネルギーがいることですが、そこでサボってしまってはいけません。叱ることをサボることは簡単で、研修医なんて短期間の付き合いなのだから、叱るべき場面を容易に「見なかったこと」にできます。「愛情の反対は無関心」という言葉はまさにその通りだと思いますが、見なかったことにする、無視するということは、研修医に対して一番残酷な仕打ちだと思いますね。駄目な研修医ほどきちんと教えないといけない。「自分の科に来ない」という理由で研修医を無視する指導医も中にはいるそうですが、誰のための指導医なのかを、考え直さなければならないでしょう。それが指導医の利益のための指導であったら、なお最悪です。指導医は、研修医が成長するための一種のツールとして存在するのですから。大事なことは、研修医が10年後、20年後にどんな医師になっているかで、研修中に指導医の言うことをよく聞く(けれども自分で考えたり判断できない)使いっ走りみたいな研修医が望ましいのではないのです。

――指導医にメリットがないとの指摘もあります。

 そんなことはありません。「指導」とは贈り物なので。贈り物をすること自体にメリットがあるのです。クリスマスプレゼントって、もらうよりもあげる方が楽しくないですか。自分が贈り物をしたい人のために、あれこれ考えて、それを喜んでもらえると、うれしいじゃないですか。贈与というのは、もらった人ではなく、贈った人がリッチになるものなのです。教育とはまさに贈与そのもので、与えれば与えるほどリッチになる。与えるために思考し、勉強し、それを何度も繰り返すことで、自身の血肉になる。自分自身を伸ばすという意味だけで見ても、贈与は人をとてもリッチにします。

 確かに、指導医講習会などをすると、「メリットがない」と指摘する人もいます。しかし、そういう人は全く贈与の「意味」をご理解されていないのだと思います。教育の一番リッチな部分を取りこぼしている。例えて言うと、お酒の味を楽しまずに、一気飲みするようなものです。全くもったいない話です。

――制度や仕組みでメリットを担保する必要はないでしょうか。

 そういう視点も必要でしょう。ただ、制度で全てが変わるわけではありません。そんなことを考えるのは官僚だけで十分です。例えば、16時間やらなければならない指導医講習会について「苦痛だ」「苦行だ」「軟禁だ」などと散々に悪口を言われています。制度が提供できるのはそういうものです。ちなみに厚生労働省は講習会の内容やデリバリーの仕方にはほとんど無頓着です。そこは僕らが工夫して「面白く」するのです。「神戸大の指導医講習会に出て良かった!」と言われるために、どれだけ楽しいものにできるかを考える。楽しさは伝染するので、楽しい講習会をやれば、指導医も楽しいと思い、そんな指導医に教わる研修医も楽しいと思えるようになります。教育とは、伝染するものですから。

 障壁を取っ払うことも必要ですね。僕がやっているのは、必要のない仕事を減らすことです。時間的にも体力的にも余裕がない人が指導をするのは難しいので、要らない書類や会議を減らすなどして、できる限り教えるための時間を捻出しています。

 もちろん、金銭的なインセンティブを付けてもいいとは思います。ただ、金銭的なインセンティブが人間を動かす動機になるという心理学的なデータは乏しいのです。むしろ、金銭が発生すると、金銭が出ないと何もしないという話になってしまう。ですから、そうした二次的な動機よりも、教えること、そのために勉強するという一次的な楽しさを伝えていかないと、本質的な問題解決にはなりません。お金はその後についてくる「おまけ」みたいなものです。例えば、日本人の子どもの勉強時間が少ないのは、「勉強をするといい大学に行ける」「勉強をするといい会社に入れる」と二次的な動機を一番に掲げて教育をしてきたことの帰結だと思います。長引く不況でいい大学に行っても就職も確定されなければ、勉強の意欲はすぐになくなってしまいます。二次的な利得ばかり考えて親が先生が「勉強しろ」というからそうなるのです。「勉強って楽しいだろ」という教え手と楽しい、という学習者の関係が最も大事なのです。

 医療も問題の構造は同じで、一次的なことは患者を救うことです。それが二次的な金銭のことにばかりに目が行くと、「医者になれば金持ちになれる」というところばかりに目が行き、「効率良く患者をさばくにはどうすればいいのか」が優先されてしまう。医療と教育はリンクしているところもあって、贈与の精神を持って、一次的な意義を第一に考えて行動できるようにならないと、二次的な意義にばかり目が行き、精神的に貧しくなってしまい、精神的に貧しい人たちばかりだから楽しくないし、楽しくないことが患者も含めて関係している人たちに伝染していくのです。金銭的なものを否定するわけではないけれど、あくまで主従が逆転することがあってはいけません。

――2013年、医師の教育について何を注目していますか。

 もっと楽しくやれるといいと思います。例えば、逆境って楽しいじゃないですか。ひっくり返す楽しみがあるわけですから。開拓者魂と呼んでもいいですが、問題がたくさんあってそれを良くするというのは、自分たちのよくしたいという魂を鼓舞するのですから、いいことだと思うのです。

 問題点があることが問題ではないと思う。大事なことは、問題点を直視して、認識して、分析して、それに立ち向かおうと思わないことが一番の問題なのです。そりゃ、大学病院は臨床では評判がよろしくないですよ。でも、「うちは大学病院ですからできないのですよね」とそこで立ち止まり、思考停止になってしまうようなところが、一番よくないのです。視線を低くして、足元ばかり見て、病床稼働率がどうのこうのとやるのではなくて、「こういう医療を提供したい」「こういう病院にしたい」というビッグピクチャーが必要だと思うのです。そういうことを言うと、必ず「夢物語だ」と批判する人が出てくるのですが、いいじゃないですか、夢物語を語ったって。できないと思った時点で、人はできなくなってしまう。「できるところから始めよう」と考えた時点で、そこに新しい何かを生み出す冒険はなくなり、冒険ではないから魂を鼓舞する冒険心が削がれ、面白くなく、楽しくなく、それが関係者に伝染してしまう。それが一番の問題点です。

――先生のビッグピクチャーは何ですか。

 神戸大学病院を日本で一番いい病院にしたい。世界のどんな人が見ても、「この病院はいい病院だ」と言えるようにすることが、僕の今のミッションだと思っています。目の前にある今は、ビッグピクチャーに向かっている今だからこそ、その今を一生懸命に生きようと思えるのです。

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「たばこ吸いたい」脳の仕組み解明

2013年01月29日 22時33分58秒 | タバコ
「たばこ吸いたい」脳の仕組み解明…理研
読売新聞 1月29日(火) 配信


 「たばこを吸いたい」という欲求は、脳の二つの部位が連携して生じることを、理化学研究所分子イメージング科学研究センター(神戸市)などが突き止め、28日発表した。米科学アカデミー紀要(電子版)に近く掲載される。禁煙や薬物依存の新しい治療法開発などにつながりそうだ。

 たばこを吸う習慣がある旅客機の客室乗務員は、着陸が近付くと、飛行時間と無関係に喫煙の欲求が強まることが知られていたが、こうした現象が、脳のどのような仕組みで起きるのかは不明だった。

 同センターの林拓也・副チームリーダーらは、喫煙者10人に、▽すぐ喫煙できる▽4時間喫煙できない--という条件で他人が喫煙している映像を見せ、吸いたい気持ちの強さを点数化してもらった。さらに脳の活動の様子を、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で画像化して解析した。

 その結果、喫煙の欲求が強まると、こめかみの奥にある「眼窩(がんか)前頭皮質」が活性化。すぐ喫煙できる条件では、左前頭部にある「背外側前頭前野」も活性化したが、この部位に磁気を当てて働きを抑えると、こめかみの奥の活動も下がり、喫煙の欲求が抑えられたという。

 林さんは「左前頭部で『吸えそうだ』という状況判断を行い、こめかみの奥で『吸いたい』という欲求が湧き起こるのだろう。ニコチン依存の強さの評価や、他の薬物依存の研究にも役立つだろう」と話している。

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育児はこの年でも思考錯誤

2013年01月29日 16時10分19秒 | 
庭の水仙が1個開きました。
よい香りです。
でも
まだまだ寒いので他は硬い蕾のまま
追肥等やりたいのですが・・・・・・・・
二の足踏んでいます。

孫のずぼん2枚のほころびと上着のボタンつけをして
やや肩こりで、今休憩中。

テレビで子どもたちのいじめの報道をみると
これからの孫たちのことが心配になります。
1歳児と4歳児は結構ハデバデしい喧嘩をします。

この子たちの腕足を使った喧嘩は本能のようにも思え
特に1歳児の怒り方は強いです。
4歳児が急におもちゃをとったりするとガイに怒ります。
4歳児は邪魔された経験はなく、自分の思い通りの遊びをしていたので
妹の扱いも分からないですね。
これから上手に遊べるように声をかけることも必要とも思いますが
あまり、制止ばかりもいけませんし
なるべく見守る状態を維持しなくてはとも思いますが・・・・・・
難しいです。
私婆が「嬉しい時」にちょっとたたいたりつついたりすると
4歳児は不快な表情をするので安易にしないように気を使っています。
でも、タッチといって手とたたき合ったり
ギュッといって抱きしめたりはとてもよろこびます。

育児はまるで初体験のように感じる私ですが
みなそれぞれ個性が違うからでしょうか?

我が子の時はどうしてたんだろうと思ったり
思考錯誤です。
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雪やこんこん

2013年01月28日 12時28分25秒 | 思い出
寒い日が続きます。


高い街灯が国鉄にあって
こうこうと光るその下で上をあおぎ
さんさんとふる雪を見ていた
雪は光に照らされて
暗い天から湧くがごとく絶えまなく
ふりそそいでみあげる私の顔にあたった
しっかり首に毛糸をまき帽子をかぶりあたたかいオーバーを着て
寒くはなかったが、
でも、デートの帰りでパンプスを履いていた娘の頃の私。
デートは幼馴染の女友達だから、ちっともどおってことないけれど、
昔はそんなふうに同性の友とデートといって映画など見たガールたちであった
異性間で映画など見る風習は普通のレディーにはなく
ましておぼこの私はそんな気さらさらなく
気の合う女子同士で大判焼き店や映画などがふれあいの場だったかな?

そんなことを思い出させる雪の降り方
一日中さんさんと降りやまない雪の一日

おおきな「だんべら」で風がなかったので
孫二人と家の前で雪を楽しんだ
みるみる隅に雪が溜まったので
4歳児はよろこんで雪をまるめて1歳児をおんぶする私に投げてきた
1歳児はきゃーきゃー喜んで背中でぴょんぴょんはねる・・・・・・

雪やこんこん
あられやこんこん
ふってはふってはまだふりやまぬ♪
・・・・・・・・・・の歌そっくりの雪状況でした。

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島根原発事故非難訓練

2013年01月26日 10時01分20秒 | 
土曜日なのに渋滞?と思いきや
パトカーの後ろにバスバスバス何台か連なって
丁度踏切をわたり、曲がる所で渋滞になっている。

何台か過ぎるとまたパトカー先頭でバスが続く・・・・・
バスの表示を読むと原子力避難訓練と張り紙が貼ってあり・・・・

え~~~~~~!!!
やだね~
やっぱ異常だね~
この平和な田園郊外の道にそのような重々しい行列・・・・・・・
家があっても帰れない今の東日本の原発事故の方々の状況の中
自分たちだって片句の原発がいつ事故るかもしれないのだ

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高い建物は嫌い

2013年01月25日 12時51分43秒 | 
我が事務所の近所に松江医療センターがあり
そこの空き地に土が盛られどんどん高くなって、山ができるの?って感じになっている。
トラック1台にショベルカー1台でこんなに早く土運びと整地ができるものかと思う。
いつかテレビでショベルカー1台は人間1日での50人分の仕事ができると聞いた。
いつからスタートしたかはっきり覚えていないけどまだ2カ月ぐらいしかたってはいないと思うに
人間何千人もの仕事をしたことになるのかな~~~~

それにしてもなにができるのか?
新しい建物が建つのか?
であれば、足場の悪い、ただ、泥を置いただけのところに高い建物を建てるかな~と心配もし
そんな高いものが建つなんていやだなとも思ったりしている。

高い建物は嫌いなんだ~TT~
特に松江宍道湖の際に立つ山陰合同銀行の、でくのボーのような高層ビル
宍道湖の穏やかな景観をいっぺんに壊してしまう抑圧的な太い棒状のビル
島根県立美術館が泣いているよね
自分の近目にそんな味もそっけもない物が建つなんてね
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孫のために「いじめ」を考える私婆育児担当者

2013年01月21日 15時20分40秒 | 
いじめ解決に精神科医ら専門チーム…長野
読売新聞 1月18日(金) 配信


 いじめ問題の解決を促すため、長野県教育委員会は2013年度、精神科医や臨床心理士などでつくる専門家チームを発足させる方針を決めた。

 チームは県内公立校のいじめの事案を検証し、関係者に対応を助言する。県教委がいじめを専門とする組織を作るのは初めて。

 新設するのは、「いじめ等学校問題解決支援チーム」で、精神科医や臨床心理士、弁護士ら5、6人で構成。会合を2か月ごとに開き、学校や被害に遭っている生徒、その保護者らの要望に応じ、解決が進んでいない事例の原因を分析した上で解決策を主に学校側に示す。

 自殺やけがを防ぐための注意点や、警察に相談すべきかどうかなども内容として想定している。生徒の身体に危険が及ぶなど緊急の場合はチームを直接、学校などに派遣する。当事者間での解決を目指し、チームは助言にとどめる。県教委は13年度の関連予算として96万円を要求している。

 これまでは、学校に臨床心理士らを派遣するスクールカウンセラー制度や、学校長による弁護士への法律相談制度などで対応してきたが、いじめ問題に特化して取り組む制度はなかった。

 県教委の調査では、12年度上半期(4-9月)に公立小中高校と特別支援学校で認知したいじめの件数は、前年度同期の約2・5倍の1554件。解決は各学校に委ねられてきたが、県教委は全国でいじめによる自殺などが相次いでいることを受け、対応強化が必要と判断した。

 県内では1992年に飯田高校で起きた生徒の刺殺事件の検証委員会の提言(2003年)を基に発足した「学校事故被害者等支援相談員」が学校で死傷事故が起きた場合に派遣される。これまで相談員の派遣対象となる死傷事故はなかったが、「いじめも命に関わる問題」(県教委)として、相談員として登録している専門家33人などにチームのメンバーを依頼する。

 県教委心の支援室は「精神医療や法律など専門的な見地から、いじめの解決を多面的に支援できるチームとしたい」としている。

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仕分け復活 (仕分けを考える私婆)

2013年01月21日 11時40分48秒 | 
「心のノート」配布復活 体力テストも全員に 文科省
2013.1.7 22:26
 文部科学省は7日、道徳の副教材「心のノート」を小中学生全員に配布する方針を固めた。民主党政権の事業仕分けで予算が削られ配布をやめたが、政権交代で復活する。平成24年度補正予算案に約6億円を盛り込む。

 重大な少年事件の発生などを受けて14年に作られた。小学校の低、中、高学年と中学校用の4種類で、思いやりや友情の大切さなどを伝える内容。22年度からはインターネット上で掲載していた。

 文科省は補正予算の成立後速やかに配布。25年度中には省内に専門家会議を設置して改訂版を作る考え。

 事業仕分けで別の調査との重複が指摘され、22年度から抽出方式となった全国体力テストも、25年度から小5と中2全員が受ける形に戻す方針。反復横跳びや50メートル走といった実技のほか、生活・運動習慣も聞く。


マニュアルがあるからOKとは思わないから、ないからといって出来ないとは思わないけど
作って安心といって心が離れるのも人間だし・・・・・・・・
子ばかりでなく親大人たちの心根も・・・・・・・・・

国の借金問題から入れば、国国といって予算合戦も増税になるから、
スリムにならないと子たち自身が困ることになるし
政治の選択は、不穏だね~TT~
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仕分けを考える私婆 「民主政権の事業仕分け廃止へ 」

2013年01月21日 10時30分27秒 | 
民主政権の事業仕分け廃止へ - 国内 1月15日(火)11時59分~21時59分


事業仕分けは廃止…「行革推進会議」月内発足 政府方針
  政府は14日、安倍晋三首相を議長とする「行政改革推進会議」を月内にも発足させる方針を固めた。東日本大震災前に小中学校の耐震補強予算を3分の1に削るなどした民主党政権の「事業仕分け」を廃止し、新たな省庁再々編の検討にも着手する。政府を挙げて行革を進めるため全閣僚が参加する意思決定機関「行政改革推進本部」(仮称)を内閣官房に設置する方向でも調整を進めている。(産経新聞)
[記事全文]

 行革推進会議は閣議決定を経て内閣府に設置する。第2次安倍政権は昨年12月に事業仕分けを行う「行政刷新会議」と、全閣僚が参加する「行政改革実行本部」を廃止した。

 国民に公開する形で行われた事業仕分けは、民間議員ら「仕分け人」の判断に事業の存廃が過度に左右され、政策上必要な事業まで削られたとの批判が強い。

 新設する行政改革推進会議では、民主党政権が実施した「事業仕分け」は廃止し、その効果や問題点を点検した上で、公務員の人件費削減や国有資産の売却などに本腰を入れる。

 政府内で行政改革機能を持っている既存の組織の集約も進める予定で、内閣府は行革推進会議に参加する民間有識者らの人選を急いでいる。

 このほか、1府12省庁の現在の体制をより機能的・効率的な形に改めるための省庁再々編も検討テーマに掲げる方針だ。

 省庁再編が実行に移されれば平成13年以来の大改革となる。


私婆の仕事も仕分けで縮小されて、年齢制限が出てきて解雇されたよ(-.-)
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仕分けについて考える私婆

2013年01月21日 10時23分45秒 | 
私たちは政治を変える「道具」を手に入れた!
加藤 秀樹 | 構想日本 代表

2012年11月9日 21時13分
来週末、再び政府の事業仕分けが行われる。マスメディアは「仕分け」は終わったみたいに言うことが多いが、私は仕分けの成果はこれからが本番だと思っている。

そもそも仕分けの成果とは何なのか。

無駄な事業を削ったり「埋蔵金」を掘り起こしたり。これは実は仕分け当日の成果だ。そして多くのマスメディアは、ここしか報道しない。しかし本当の“お楽しみ”はその先なのだ。

3年前の第1回仕分け以来、政府の行政刷新会議は“仕分けのしかけ”を行政機構の中に埋め込むことに力を注いできた。その成果の一つの例が、トンデモ復興予算が多く見つかったことだ。

なぜあれが見つかったのか。

それは、仕分けの3大要素、つまり

(1)国の事業の説明のフォーマット化(A4数枚に事業内容を定型化して説明)

(2)現場に詳しい行政外部の人が、「仕分け人」として行政の事業をチェック

(3)1、2の全面公開

が政府の仕事の流れの中に組み込まれたからだ。

(1)は「レビューシート」と呼ばれ、現在、国の約5000の事業すべてについて公開されている(各府省のホームページ参照)。これを見れば復興予算に限らず、税金の使われ方、成果、支払い先などが全てわかるようになった。

そして(1)~(3)の“仕分けのしかけ”が、この3年間ですべての府省の中に「行政事業レビュー」として組み込まれたのだ。

では、その結果出てくる仕分けの成果とは何だろうか。

第一に、これまであまり機能しなかった行政に対する正規のチェック機関(会計検査院、国会の決算・行政監視委員会など)が動き始めたことだ。

例えば会計検査院が指摘した税金のムダ使いの金額は、2008年までの10年間の平均が約680億円。これが、仕分けが始まった後の2009年から3年間の平均で約9340億円と10倍以上になっている。また、復興予算の報道を受けて、国会でこの問題が審議されたのは多くの人の記憶に新しい。

実は、衆議院の決算行政監視委員会は、1年前に国の4事業について仕分けを行い、文科大臣など5人の大臣に事業の改善に関する決議を送付している。これは与野党が合意して国会が本来の働きをしたわけで、画期的なことだった。この時もマスメディアの報道は小さかったが、一般傍聴者は2日間の開催中常時立ち見が出るなど、決算審議としては異例の熱気に包まれた。

第二に、事業の背後にある組織や制度の変革だ。仕分けの議論を実際に聞いてみると、事業だけでなく、医療制度、科学技術研究組織のあり方、地方交付税制度など、事業の背後にあるものに議論が及ぶことが多い。審議会など「内部」の抽象的な議論ではなく、現場の実情をふまえた「外部」の目が入ることによって、組織や制度などの「本丸」にメスが入れられる。

最後に、日本の政治全体の大変革への期待だ。解散だ、第三極だと言っても、政界の中から本当の変革の動きは出てきそうにない。政治家も政党も次の選挙のことを考えた途端、身動きがとれなくなる。

しかし今や、日本は世界に先駆けて、国の事業の詳細が誰の目にも届くしくみを手にした。しかもブログ、ツイッターの時代だ。少しでも多くの人が「レビューシート」を見て、ツイッターで感想をつぶやいてみよう。政策や政治に対して、デモに参加するよりもはるかに大勢の人が細やかな意思表示ができるのだ。復興予算の時以上に政治家も官僚も動かざるをえなくなる。

今や国民全員が政治の当事者になれる時代に私たちは生きているのである。

歴史はいつも周辺から変わると言う。その大変化の入口に私たちはいる。

私たちが手にした政治と世の中を変える“道具”を使わない手はない。


加藤 秀樹
構想日本 代表

大蔵省で、証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などに勤務した後、1997年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から立案・提言、そして実現するため、非営利独立のシンクタンク構想日本を設立。事業仕分けによる行革、政党ガバナンスの確立、教育行政や、医療制度改革などを提言。その実現に向けて各分野の変革者やNPOと連携し、縦横無尽の射程から日本の変革をめざす。

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体罰は暴力なり

2013年01月20日 00時51分09秒 | 
体罰顧問は土下座した…涙して擁護するOBもいる桜宮バスケ部顧問の「素顔」
産経新聞 1月19日(土)15時42分配信


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バスケ部主将が自殺した大阪市立桜宮高校。体罰を続けていた顧問を擁護する声が、教え子たちからはあがっている(写真:産経新聞)
 大阪市立桜宮高校(大阪市都島区)で、男子バスケットボール部主将だった男子生徒(17)が顧問(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題は、橋下徹市長が「体罰ではなく暴力」と怒りをあらわにし、同校の教員総入れ替え人事を市教委に迫る事態に発展している。だが、「体罰は愛情の裏返し」「マスコミは真実ではないことを書く」と涙を流して顧問を擁護するOBもいる。長年、黙認されてきた顧問による体罰は、教え子たちにとって単なる「暴力」だったのか、それとも「愛情ある指導」だったのか-。

【フォト】 教育の名を借りた“シゴキ” 体育会系で際立つ「教諭と生徒の主従関係」

 ■「暴力教師」納得できない

 「生徒が亡くなったので全面的に擁護はできない。でも、体罰の裏側には愛情があった。先生が暴力教師のように報道されていることに納得がいかない」

 約10年前に顧問から指導を受けていた同校OBの男性は現在の職場で取材に応じ、無念さをにじませた。

 顧問は体育系の大学を卒業後、平成6年4月に保健体育科教諭として採用され、同校のバスケ部顧問に就任した。平成15年以降、全国高校総体(インターハイ)に4度、同部を導き、新人大会中央大会(大阪府大会)でも20、21、23年度に優勝している。

 こうした実績から優秀な指導者として全国的にも知られ、16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチを務めたほか、大阪高校体育連盟バスケットボール専門部の技術委員長としても活動していた。

 同校を“常勝校”へと育て上げる中で、顧問は生徒にたびたび手をあげていたが、長年、部内や学校で問題になることはなかった。保護者の1人は「下級生は決してたたかず、上級生をたたいていた。気合をいれるためだと理解している」と話す。

 OBの1人も「先生にたたかれたときは、練習に身が入っていないなど自分自身に問題があった。先生からはフォローもあり、うまくいったときには『おめでとう』『ようやった』と声をかけてくれた」と振り返る。

 現役部員も顧問への尊敬の念を言葉にする。

 「先生はバスケの指導がズバ抜けていたが、高校生としてどうあるべきかを教えてくれた。それは人としての気遣い。道を聞かれたら教えるだけじゃなく、一緒についていってあげるとかを教えてくれるような人だった」

 ■「しかられ役」作り引き締め

 「試合前には選手のメンタル面にも気を配りたい。そこで重要になるのが、選手たちにかける言葉だと考えている」

 顧問は平成18年、バスケの専門誌に自身の指導法についてこう述べている。顧問は「勝利へ心ひとつに」というキーワードを挙げ、仲間のミスを全員でフォローすることを意識した練習に取り組み、チームの結束力を高めていることを明かしている。

 だが、専門誌では触れられていない指導法があった。OBによると、顧問は特定の生徒を「しかられ役」としてより一層厳しく接する手法で、チーム全体を引き締めていたという。

 自殺した2年の男子生徒は昨年9月、立候補する形で主将に就任。学校関係者によると、顧問は生徒に対し「主将はいやがることも率先してやるべきだ」など、主将としての理想像を生徒に対し繰り返し伝え、「リーダー」に関連する参考書なども買い与えていたという。

 体罰も生徒に集中していたとみられており、生徒が自殺数日前に顧問宛てに記した手紙はこのような趣旨の記載があった。

 「ほかの人が同じようなこと(ミス)をしているのに自分だけがしかられる」「たたかれ、つらい」

 12月24日夜に行われた生徒の通夜。唇が切れた生徒の遺体を前に、母親は顧問に「これは指導か、体罰か」と問いただした。顧問は消え入るような声で「体罰です」と数回繰り返した。

 顧問は立っていられない状態で、校長らが抱きかかえて退出しようとしたが、顧問はそれを振り払って土下座した。校長らも一緒に土下座した。

 ■「体罰が人格ゆがめた」

 市教委が生徒の自殺を公表した今月8日以降、メディアは市教委や学校関係者への取材に基づき、顧問の体罰を連日報道。市教委は同校バスケ部や、別の体罰が発覚したバレーボール部の無期限活動停止を決めた。

 「マスコミは先生やバスケ部の真実を知らないまま報道していて許せない」。こうした事態にOBの1人は大泣きしながら訴える。OBの中には、顧問に対する処分軽減を求める嘆願書提出を検討する動きも出ている。

 顧問に対して批判とともに広がる擁護の声。だが、教育評論家の尾木直樹氏は「体罰は法律違反。教育の場だけ認められるのはありえず、議論の余地がない」とした上で、「体罰をありがたがっている卒業生もいるようだが、それは、私は、人格をゆがめて卒業してしまっているのだと思う」と厳しい見方を示す。

 今回の自殺を受け、「部活動からの体罰一掃」を宣言している橋下市長もこう切り捨てた。

 「教員、生徒や保護者の意識の積み重ねでできた伝統が体罰を黙認して、生徒が命を落とした」

●体罰をめぐる問題について、ご意見、提言などをお寄せください

 住所、氏名、年齢、電話番号を明記。郵送の場合は〒556-8661(住所不要)産経新聞大阪社会部へ。ファクスは06・6633・9740 メールは iken@sankei.co.jp お問い合わせすることもあります。


私の意見は1月14日ブログに書いたけど
暴力はいかなる場所でも反対。
体罰はいかなる場合でもしてはいけないと孫との葛藤の中で思う。
体罰は弱者への暴力。
封建社会の産物、侍社会の産物、戦争体験の産物
海軍あがりの父の暴力は酷かった。
戦争こそ最大の暴力、戦争を容認してはいけない。
この世の悪は、力で・・・・・・・・・という現社会まで考えてしまう私婆。。。。。。。。。

国会の場所で政治家の暴力が近年見えないけど
以前は目を覆ったほど暴言暴力があった。
教員の生徒への性行為、暴力と共に憎き暴力行為だ。
愛があるからOKとは思わない、体罰も愛あればOKとは絶対に思えない。

大人の責任で子の自殺は絶対に発生させてはいけない。
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男女に吉報バイアグラ

2013年01月20日 00時14分44秒 | 仕事
バイアグラが白色脂肪細胞を褐色脂肪細胞に変換-マウス実験 ドイツ研究
QLifePro医療ニュース

シルデナフィルが脂肪細胞の変換に効果
バイアグラは勃起不全(ED)の治療薬だけではなく、不要な脂肪細胞を変換する効果があることがドイツ・ボン大学のマウスを使った研究で判明した。

研究結果は、学術雑誌「The Journal of the Federation of American Societies for Experimental Biology(FASEB)」に9日、発表された。

研究チームは、肥満マウスに7日間、バイアグラの作用物質である「シルデナフィル(sildenafil)」を投与。その結果、マウスの体重が減少。シルデナフィルは、下腹部やお尻、太もも、背中、腕の上部、内臓の回りなどに多く存在する白色脂肪細胞を褐色脂肪細胞に変換した。

さらに、ある特定の状況下では、肥満による合併症のリスクが低下することも分かった。

シルデナフィルの効果
シルデナフィルは、生体内で環状グアノシン一リン酸 (cGMP)の分解を行っている5型ホスホジエステラーゼ(PDE-5)の酵素活性を阻害する。これが陰茎周辺部のNO作動性神経に作用して血管を拡張させ、血流量が増えることによって機能すると考えられている。

また、陰茎に限らず脳を介した血管拡張を促進する作用がある。

(Wikipediaより引用)

ボン大学の薬理学・毒物学研究所のアレクサンダー・プァイファー博士は、長年、環状グアノシン一リン酸(cGMP)の効果について研究してきた。そこで、バイアグラに注目したという。

白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞
脂肪を蓄える方の脂肪細胞は「白色脂肪細胞」と呼ばれ、体温維持などを目的として脂肪を燃やす脂肪細胞は「褐色脂肪細胞」と呼ばれる。

褐色脂肪細胞は首の周り、脇の下、肩甲骨の周り、心臓、腎臓の周りの5か所に分布され、褐色脂肪細胞が多い人はエネルギー代謝が高く、太りにくいことになる。

白色脂肪細胞は、体内に入った余分なカロリーを中性脂肪の形で蓄積する働きがある。肥満に伴って大型化した白色脂肪細胞が増加すると、脂肪細胞の機能不全に陥る。

内臓のまわりに過剰蓄積すると、高血圧や糖尿病などの生活習慣病の発症につながり、脂質代謝異常や炎症などを引き起こすことがある。

今はまだ基礎研究の段階で、研究結果はマウス実験だけによるものである。ヒトの白色脂肪細胞を減少させる薬剤であるかどうかを導き出すには、まだ長い道のりが待っている。


肥満研究の発展を祈る
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思春期前の子どもは"親切な行為"をするとより幸せに感じる

2013年01月19日 23時54分25秒 | 
思春期前の子どもは"親切な行為"をするとより幸せに感じることが、米カリフォルニア大学リバーサイド校のKristin Layous氏らの研究で示唆された。研究論文は「PLOS ONE」12月26日号に掲載された。親切をした子どもは研究期間終了時までに幸せになったと報告しただけでなく、そうでない子どもに比べて仲間と仲良くしたいと思う可能性が高かった。この研究結果は9~12歳の男児および女児にあてはまる。

Layous氏らは、400人超の生徒を、人に親切な行為(誰かを抱きしめる、ランチを少しあげるなど)をするグループと、自分の好きな場所(ショッピングモールや運動施設、親戚の家など)について日記を書くグループに分けて検討した。

1カ月後に心理状態を報告させた結果、積極的に親切な行為をした子どもは相対的に幸せになったと答えた。また、両群とも幸福感の高まりを経験したが、親切をした群は学校の活動を共にしたい人としてクラスメートに選ばれる可能性がはるかに高かった。

Layous氏は、「今回の研究結果は、簡単で比較的短い社会的行動によってクラスメート同士の好感度を高めることができることを示唆している。仲間を受け入れやすくなることがいじめを減らすことにもつながる可能性がある。仲間の受け入れと多くの社会的、学術的な成果との関連性を考えれば、この結果は学校教育において重要な意味があると思われる」としている。


人のためになることをしよう
社会に役立つことをしよう
1日1善
人の喜ぶことをしよう
等々
小学校高学年でよく言われたね

お便所掃除を喜んでしよう
人の嫌がることは率先してしよう
等々

道徳教育と称して学校では敬遠されてきた昨今
親や社会は忘れないで子へ伝承していこう

記事を読んでそう思う

孫たちに今看護婦さんになってね
とよく言っている私婆
病気の人に優しくお世話しようね
等など
あきらめないでいい続けた方がいいね

娘にはよく言ってきたけど、看護師にはならなかったけど、とても、優しい子になったよ
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この世の人間たちの自制心

2013年01月19日 12時01分47秒 | 
担当職員への腹いせ=殺人容疑の介護福祉士―入所者焼死事件・広島
時事通信 1月19日(土)2時34分配信

 広島市東区の介護施設「ホスピス・ナーシングホーム『クリーム』」で昨年12月、入所者の加登久恵さん(85)が焼死した事件で、殺人容疑などで逮捕された介護福祉士入沢亜加音容疑者(21)が、加登さんに火を付けた理由について「(加登さんを担当していた)職員への腹いせの気持ちもあった」と供述していることが18日、捜査関係者への取材で分かった。
 入沢容疑者は「職場など人間関係のストレスで火を付けた」と話しているが、動機については「一言では言えない」と説明しており、県警はさらに詳しい動機や背景を調べている。
 捜査関係者によると、入沢容疑者は「(加登さんを担当していた)職員との関係に悩んでおり、腹いせのつもりもあった」としているが、「加登さんには恨みはなく、申し訳なかった」と供述しているという。


布団数カ所に放火=逮捕の介護福祉士、入所者死亡火災―広島
時事通信 1月18日(金)14時32分配信

 広島市東区の介護施設「ホスピス・ナーシングホーム『クリーム』」で昨年12月、入所者の加登久恵さん(85)が焼死した事件で、殺人容疑などで逮捕された介護福祉士入沢亜加音容疑者(21)が勤務中、介護用ベッドに寝ていた加登さんの掛け布団数カ所にライターで火をつけていたことが18日、捜査関係者への取材で分かった。
 入沢容疑者は放火を認める一方、「殺すつもりはなかった。職場など人間関係のストレスで火をつけた」と供述。加登さんに恨みはなかったと説明しているという。県警は数カ所に火をつけていることから、強い殺意があった可能性もあるとみて動機の解明を進めている。


なんというか
この世は地獄?

飲酒運転での事故死も
同じ地獄?

この世の人間たちの自制心は???????
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