日々

穏やかな日々を

日本での私の日常

2024年01月25日 20時42分15秒 | 戦い

戦争を起こす人は、悪魔

近日のテレビの放送で、有識者の方が言っていました。

昭和18年生まれの私は、戦争を知りませんでした。

世界史や日本史や社会科等でならっても、記憶に残っていませんでした。

戦争は、二度としないという平和憲法は知っていましたが、その文章も読んだことはありませんでした。

この間、テレビで文章を読みました。

政治家が大騒ぎをする内容には感じない、柔らかな文章でした。

この文章のどこを直したいと言っているのか? ???
ピントきませんでした。

今ごろになって、テレビの映像で、戦争の過去の一端を見て驚いています。

野山で死んでいく兵士、爆弾で飛ばされていく兵士や住民、子ども。

倒される建物、日常の生活。歴史文化、人間の善良な人々の壊滅。

人間、男どもの悪魔、女の沈黙、、、、、

昭和18年生まれの私は、貧乏を跳ね返すエネルギーを、昭和30年代から感じていました。

日本では、平和の中で、豊かになる働き者であれば、よかった。

そんな、日常の日々でした。

でも、政治には、不信感を抱き、失望していました。

なぜだったでしょうか?

 

 

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第一次世界大戦

2024年01月25日 20時20分34秒 | 戦い

第一次世界大戦

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第一次世界大戦の勃発
第一次世界大戦は20世紀の最初の大きな国際紛争でした。1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がその妻のソフィー大公妃と共にサラエボで暗殺されたことで対立が表面化し、1914年8月に戦闘の火蓋が切られ、その後複数の国々を巻き込んで4年間続いた大戦となりました。

第一次世界大戦の協商国と中央同盟国
第一次世界大戦中、協商国(連合国)--イギリス、フランス、セルビア、ロシア帝国(後にイタリア、ギリシャ、ポルトガル、ルーマニア、アメリカ合衆国が加盟)と中央同盟国--ドイツとオーストリア・ハンガリー(後にオスマントルコとブルガリアが加盟)が戦いました。

戦況の膠着
迅速で決定的な勝利を収めようと開戦直後に各国に見られた意気込みは、犠牲の大きい戦闘と塹壕戦という膠着状態に入って行き詰まると、しだいに立ち消えていきました。西部戦線の塹壕と防御設備の領域は北海からスイス国境までを含む最長で764 kmまで拡大し、北米と西ヨーロッパの戦闘員の大部分がこの戦いに従事しました。東部戦線の拡大は大規模な塹壕戦を防ぎましたが、衝突のスケールは西部と同様でした。激しい戦いはイタリア北部、バルカン半島、オスマントルコでも勃発しました。戦闘は海、そして初めて空中でも行われました。

米国の参戦
ドイツ軍がこれまでの方針を変更して無制限潜水艦作戦を開始したために、これまで孤立主義をとっていたアメリカが1917年4月に大戦参加の主力国家となったことで、戦況に決定的な転換をもたらしました。ジョンJ.パーシング大将に率いられたアメリカ遠征部隊(AEF)の新鋭部隊と資材は、ドイツの各港に対するこれまでにない堅固な封鎖とあいまって、戦局の変換をもたらし、協商国が優位な状況に立つようになりました。

ロシア革命
協商国が新たに獲得したこの優勢は、東部戦域での出来事により当初は相殺されました。協商国の主戦力であったロシアは、1917年初頭から混乱状態にありました。その年の2月、帝政政府の戦争管理のずさんさに不満を覚えた民衆が決起し、2月革命を起こしたのです。この革命により、当時の皇帝ニコライ2世はやむなく退位し、社会革命党のアレクサンドル・ケレンスキーが実権を握る自由主義派と社会主義派から成る臨時政府が設立されました。多元的民主主義のもたらしたこの一時的体制は混乱を期するもので、この年の夏の戦況の衰えが経済に及ぼす悪影響にさらに拍車がかかったことで、ロシアの労働者、兵士、水兵による武装デモが起こりました(7月事件)。

1917年10月24日から25日にかけて、ボルシェビキ(左翼社会主義者)はレーニンのもとで政府の主要建物を占拠し、当時のロシア政府の首都ペテログラード(現サンクトペテルブルク)の冬宮に突入しました。マルクス主義が成功を収めた世界史上初のクーデターであるこの10月革命は、無力な臨時政府を退陣させ、レーニンの指導のもとでソビエト社会主義共和国を樹立させることとなりました。この新しいソビエト国家による、社会、政治、経済、そして農地制度の急進的な改革は、戦後の西欧民主国政府の数々を不安に陥れ、ヨーロッパ全土における共産主義の蔓延を恐れた国々は、1920年代から1930年代にかけて右翼政府(アドルフ・ヒトラーのナチスドイツを含む)との歩み寄りや譲歩を積極的に行うようになりました。

しかし、ロシア革命がヨーロッパの戦場に与えた直接的な影響はロシア領地内での長期にわたる過酷な内戦(1917年〜1922年)であり、新設されたボルシェヴィキ政権は皇帝制のドイツと平和条約を別途で締結することを決意しました。ドイツの要求を巡って交渉は難航し、ドイツ軍は東部戦線で攻撃を開始。その結果、ブレスト・リトフスク条約が1918年3月6日に締結されました。

協商国の優勢、中央同盟国の降伏
1918年の冬の終わりに、ドイツ軍はボルシェヴィキのロシア軍を打ちのめし、夏にはパリへの進軍を図りましたが、協商国の陸軍がドイツ軍をマルヌ川で撃退しました。協商国軍は1918年の夏から秋にかけて、西武戦線でドイツ軍を着実に打破していきました(100日攻勢)。

中央同盟国はブルガリアが9月に、そしてオスマン帝国(トルコ)が10月に休戦したことを皮切りに、次々と休戦協定に調印していきました。11月3日には、イタリアのパドヴァ近くでオーストリア・ハンガリー軍が休戦協定に調印しました。ドイツでは、キール軍港での水兵の反乱をきっかけに、ドイツの海岸沿いの都市をはじめ、ハノーバーの主要地域、メインのフランクフルト、ミュンヘンで大衆の蜂起が広がっていきました。ロシア革命時のソビエト(評議会)を模して労働者や兵士から成る「議会」が設立され、バイエルンの独立社会民主党員(USPD)クルト・アイスナーのもとで、初の共和制議会(レーテ共和国)が設立されました。フリードリヒ・エーベルトの率いるドイツの強力な社会民主党(SPD)は、新たに設立された議会を不安定要素と見なし、治安を目指す議会改革を求めるドイツ国民の世論を擁護しました。

休戦
1918年11月9日、国内での騒乱やドイツ軍の指令層の離反という混乱の中、時の皇帝、ウィルヘルム2世はやむなく退位しました。同日、SPDの委任により、フィリップ・シャイデマンは当時の臨時内閣を率いていたフリードリヒ・エーベルトとともに共和国宣言を行いました。その2日後、カトリック中央党代表のマティアス・エルツベルガーに率いられたドイツ国代表は、コンピエーニュの森に到着し、フランス軍元帥で協商国軍の総司令官であったフェルディナン・フォッシュと会談して、列車の車内で休戦条約に調印しました。

1918年11月11日の午前11時、西部戦線での戦闘が停止されました。第一次大戦は終結しましたが、対立の国際的、政治的、経済的、社会的な分野に対する多大な影響がその後何十年も続いたのです。

第一次世界大戦による損失
第一次世界大戦は近代史で最も破壊的な戦争の1つでした。この戦争の結果、1,000万人近い兵士が戦死し、この数字はそれまでの100年間のすべての戦争における軍人の死者数を遥かに超えていました。死傷者の正確な数を把握するのは困難ですが、2,100万人に及ぶ人々が戦闘で負傷したと推定されています。

大量の死傷者が出た原因の1つは、機関銃や毒ガスのような新兵器の導入でした。これに加え、軍事的リーダーが新兵器増加による戦闘方法に戦術を対応させていけなかったことも大きな要因となっています。特に西部戦線での人員削減政策では、何十万人人もの兵士の命が犠牲になりました。1916年7月1日は一日で最大の人命が失われた日で、ソンムの英国軍だけで5万7,000人以上の戦死者を出しました。ドイツとロシアは軍人の死者数が最大で、それぞれ177万3,700人と170万人でした。フランスは動員兵力の16%を失いました。これは、動員された兵士の死亡率としては最も高いものでした。

どの国の政府も民間人の死傷者数を詳細に記録していませんが、学者たちはこの戦争の直接的被害と間接的被害によって多くて1,300万人に及ぶ非戦闘員が死亡したと断言しています。史上最も致命的なインフルエンザ「スペイン風邪」の大流行で、終戦が近づくにつれて軍人と民間人共に死亡率が急上昇しました。この戦争の影響で、ヨーロッパや小アジアで何百万人もの人々が住居を追われたり被災したりしました。財産や産業の損失は、戦闘が最も激しかったフランスとベルギーでは特に破滅的でした。

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侵略戦争の犠牲者数は本当か?

2024年01月25日 20時14分38秒 | 戦い

2004年11月4日(木)「しんぶん赤旗」

侵略戦争の犠牲者数は本当か?


 〈問い〉 青年との対話で「数千万人が太平洋戦争で死んだというのはウソ」といわれました。ネット上でもそんな書き込みがあります。犠牲者はどれくらい? それは何にもとづいているか? を教えてください。(長野・一読者)

 〈答え〉 1945年8月15日、天皇制政府は、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(63年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。

 戦後、日本政府は、一貫して、侵略戦争と認めることを拒否し、犠牲者数をなるべく過小に計算する見地で資料を作成し、戦争の惨害の本格的な資料を作成してきませんでした。前記の厚生省資料も、太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会の調査によって推計したものです。

 日本の侵略戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは公的発表にもとづくものです。

 中国1000万人以上(「中国の人権状況」中国国務院=ただし37年7月~45年8月まで。他に2000万人との報告もある)、べトナム200万人(独立宣言)、インドネシア400万人(サンフランシスコ講和会議での同国代表発言)、フィリピン111万1938人(対日賠償要求)、インド150万人(べンガル飢餓死者のみの推計、政府任命飢餓調査委員会)、ニュージーランド1万1625人(政府公表)、オーストラリア2万3365人(同)、そのほか泰緬(たいめん)鉄道建設に投入された労働者の各国死者7万4025人(英国調査)など。ミャンマーやシンガポール、朝鮮などをのぞいても、これら諸国の公的発表の死者数だけでも1872万から2872万人を数えます。さらに日本の植民地支配のもとにおかれた朝鮮では、36万4186人が軍人・軍属として戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者15万人(推定)、強制連行などによる死者・行方不明者をふくめ20万をこえる人びとが犠牲となりました。(喜)

 〔2004・11・4(木)〕

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ああ、爆弾で、死んでいった方々

2023年12月30日 01時23分17秒 | 戦い

ああ、爆弾で、死んでいった方々

いくら泣いても泣き切れない

瓦礫の下で息絶えた方々

爆弾で脳が飛んで行った方々

悲劇

この世の悲劇

どうして?

愚かで醜い人間の本能?

哀しんでも悲しんでも、容赦なく、爆弾は降る

ナチスのヒットラーは死に際で言った

100年もすれば、私のような人間が現れるだろうと、

まだ、78年しかたっていない、のに、この大量殺人者は

平気で人を殺す

「どうせ人は死ぬのだから」と兵士の母達に言った

「永遠の殺人鬼」

「自爆するテロ人間」

 

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家康の思い

2023年12月30日 01時04分47秒 | 戦い

お疲れさん

誰が何といおうと、お疲れさまでした。

今、地球は、戦争の真っただ中

平和信念への言葉

今、もっと、叫ぼう、日本人たち。

「戦いは、この世で最も愚かで、醜い、人の所業じゃ」

 

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イルミネーションは悲しい

2023年12月15日 10時40分42秒 | 戦い

イルミネーションが悲しい

戦で死した方々の悲しみを染めて

ただ灯されている

でも、それは、縮小しなければならない

死者へのいやみを感じてしまう

祈りを消し

悲しみを増やし

心を忘れ

戦を肯定する

イルミネーションは戦い

醜い光になって

心を震わす

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寒さに震える

2023年12月15日 10時19分28秒 | 戦い

ニュースが悲しい

皆殺しの現実

おろかでみにくい

人々は、耐える

人々は、失望

人々は、眠れない

人々は、怒りも忘れ

涙は、枯れ

寒さに震える

 

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息さえ途切れ途切れに

2023年11月07日 11時16分35秒 | 戦い

戦争で、殺された方々の、悲しみは、天をかけて、地球を覆っています。

雨となって、風となって、嵐を作って、叫んでいます。

「もう、戦争は止めて下さい。」

「私たちが死んだ意味には、不幸感しかありません。」

「殺した人が、どのような理由を言おうと、殺す道理はありません。」

地球のこの不幸感

救いようのない絶望感

胸がつぶれ、涙が乾き、息さえ途切れ途切れに

生きてる者を、屍にします。

戦争を止めて下さい。

 

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私欲の心、拉致

2023年10月27日 07時58分33秒 | 戦い

拉致

この、戦争

この、恐ろしさ

国の、決定

荒廃の心

私欲の心

拉致

この、戦争

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いずれ、戦争

2023年10月27日 07時26分51秒 | 戦い

可愛かわいい孫達が戦争でしんだら、婆も、すぐ側へ逝くでしょう。

それが、戦争、人類の滅亡なのです。

もう、生きたくなくなる。

それが、戦争。

殺戮の繰り返し、滅亡の姿。

猿の惑星❔

もっと、酷いでしょう。

月のような、無人❔

そうなる事でしょう。

いずれ、人は、死ぬ、惑星も死ぬ。

いずれ、いずれ。

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ロシア軍の死者、侵略開始以降「27万人超」…直近1日でも340人死亡とウクライナ軍発表

2023年09月30日 23時47分09秒 | 戦い

ロシア軍の死者、侵略開始以降「27万人超」…直近1日でも340人死亡とウクライナ軍発表

配信

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戦争が終わりますように

2023年05月09日 09時20分49秒 | 戦い

日々、祈ります。

戦争が終わりますように。

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日々、祈っています

2023年05月07日 18時05分11秒 | 戦い

どうかどうか、人間の愚かさを、終わりにして、戦争と原発を、終わりにしましょう。

未来の子たちの希望は、平和にしか、ありません。

このまま、地球を滅ぼさせてはいけません。

地球、誕生の時から、限りない噴火と地震、人間はこの地球とも戦って勝たねばなりません。

人間自ら、自滅してはいけません、地球が破裂するまで、生きながらえて。

あなたの、私の、子と孫たちの幸せは、永遠に。

人間は、絶対に自滅してはいけません。

戦争は自滅です、原発も自滅です。

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ヒトラーとスターリンの映画(後編)を見ている

2023年05月03日 14時18分46秒 | 戦い

今、ヒトラーとスターリンの映画(後編)を見ている。

初めての情報、前編は見てないけど、

民主主義と資本主義の主義を超えて、アメリカからのソビエト援助を希望する。

ソビエト軍とドイツ軍の戦い、ヒトラーとスターリンの戦い、

1943年7月25日にソビエトは勝利する。

なんと、私の誕生の二日後なり。

二人の独裁者の最後まで見ることができる。

人間の歴史のおぞましい事実だけど、それは、1人1人の人間の戦いにも通じている。

おぞましい、人間の、悪行。

 

 

 

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核兵器使用時の医療備えを

2023年04月17日 22時39分52秒 | 戦い

核兵器使用時の医療備えを 広島大、放射線災害シンポ

 2023年4月17日 (月)配信共同通信社
 

 広島大は16日、放射線災害への備えをテーマに広島市でシンポジウムを開いた。原爆放射線医科学研究所の田代聡(たしろ・さとし)教授は、核兵器が使われた場合に有効な治療や診断法がないとされる放射線の急性症状について「最新の技術を使い、新たな医療開発が必要だ」と訴えた。

 田代氏は、被爆後の数週間で発生する急性症状で、脱毛や皮下出血など特徴的な症状が現れ死亡する人も出ると指摘。「(核攻撃は)起きてほしくないが、何も準備しなくてよいということでもない。かつて原爆投下時に治療に当たった医師らが書き残した資料も活用すべきだ」と語った。

 田代氏は昨年11月、有志の研究者と核攻撃時を想定した医療開発について議論するワーキンググループをつくった。シンポジウムはオンラインを含め、約120人が参加した。

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