日々

穏やかな日々を

コンビニ弁当、今日のヒット

2013年06月28日 12時35分02秒 | 
コンビニ弁当、今日のヒット。

雑穀おにぎりセット=168円
からしマヨしたらば=105円

に加えて、いつものことだけど
減塩みそ汁(ローソン品物)に
「漁師のまかない汁」(地域のマーケット品物)の具を一つまみ入れて

昼弁とする。
お腹一杯なり!

デザートに(野菜代わりに)ブドウ(婆は初物)、やっと、一個100円ぐらいのもの4個入り398円がローソンにあったので買う。
それをすぐ食べようと思うも
お腹一杯で時間を少しずらすことにして

3時のおやつには
105円のローソンレジ回りに置いてあった山崎の豆大福つぶあん3個入りを買う

マーケットで同じ山崎のつぶあん大福が5ケ400円で売れていたので昨日は買おうと思って止めた
今日は同じ物が3ケで100円なのでつい買ってしまう。

以上
ローソンで買った4種類
まあまあヒットと思うことにする。
なぜなら、ブドウの味見をまだしていないから
これがおいしかったら
ヒットだね。

デザート用に買ったもののほとんどは家での孫の食べ物になってしまうが
それも考えて、甘すぎる高カロリーのケーキ物は高いし、お土産にはやめている。
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ひさびさのローソン弁当、ラッキー

2013年06月27日 10時26分16秒 | 
今日のローソン弁当
久々のヒット

桃1個199円=和歌山県産かつらぎの桃
ゲンコツメンチカツ=150円
お手軽ネバネバそば=330円
合計679円

この食事のラッキーと思わせたのは 「桃」
桃はあたりはずれがあって
いくら高いものを買っても
必ずしもおいしいとは限らない
だから、あまりおいしいものでなかったとしても
まあ、しかたないか、と思ってきた、
ところが今度は一口かじりついたら
おいしい!!!
というテレビ見たいに声が出た
ラッキーとまずここで思って
それから後のそばもゲンコツメンチも定番
まあおいしいというランク

桃がキーワード
おいしくて後の食品もみんなラッキーと思わせてしまうほどの威力があった
甘さといいジューシーさといい申し分のない

600円でバランスの良い自然食材の昼定食屋さんがあり
コーヒーも出してくれるので、時間がある時は
大体そこ「さいか亭」に行くのだが
最近人気でお客さんも多く
やや、時間がない時はコーヒーが出るまで待てなくなる。
また、かなりお元気過ぎる「婆ママ」たちが大声でしゃべるので
いかに婆なるわたしでも耳を覆いたくなるほどやかましい
だから、最近行かなくなって
ローソン軽食を食べている。
午後からの仕事の関係上、おにぎり+野菜、味噌汁だったり
サンドイッチ+クリームスープ+みかんだったりしていた。
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おいしいみかん

2013年06月22日 23時27分49秒 | 
最近温室みかんの温州みかんが目につく
高いので、またまずいだろうとおもっているので
買う気はなかったが、孫のため、買ってみた。
それも、ローソンで、値引きになっている ヤツ だ。
それが、なんと、おいしい。
「なになに」と「手間暇かけて」作ったと記述があり
一個100円近い、4個398円が150円マイナスの248円に
1個100円が62円となっているので買う気になった。
さかりの冬みかんよりずっとおいしい。
上品な甘みと薄皮の薄さで幼子のお腹にもやさしい・・・・・
なんと買ったら家族がこぞって食べる食べる、おいしさ.......
まあ、こんな、夏の梅雨のさかりに
こたつで食べていたみかんが食べれるなんてなんて幸せとは思うものの
それだけの経費を使ったのか?
時期外れの冷気が必要と書いてあった。。。。。。。

手間暇ありがとうございました。
398円とあれば、400円と置き換えて高いか安いか判断するけれども
かわいい小みかんが100円とはやはり高いというイメージはぬぐえない
400円の8等分切りのスイカを買うか、ちいさいみかん4個にするか
まだ、1個200円の島根ブドウよりいいかも

しかし、食べ物は、おなかいっぱい食べさせてやりたい婆
かぎりなく、安い物を買う
100g98円の豚肉、鶏肉。
100円台の野菜、
魚も1ひき100円台のもの、ひとり、1匹は当てたい婆
しかし、ずんどいけないときは、1個16円の卵になってしまう、まいいか献立もOKだ

婆はここのところ煎茶の量がぐっと減って、水かお湯になっている
また、体重増加が5キロもあったこともあって
昼の炭水化物を減らした、経済的にもOK
結果体重も1キロ↓となり
お腹まわりもややしまってきて
胸式呼吸の効果かな?^^)

おいしいみかん
明日も家族一人一個はあるよ(爆々)
我が家の家族は4人なり
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「ばばご」(婆子)になってしまった

2013年06月21日 11時37分24秒 | 
2歳児は完全に「ばばご」(婆子)になってしまった
そうならないように願っていたがいたしかたなし

この間

5歳児のお姉ちゃんがママのお部屋から起きてきて
別部屋に入り婆なる私に甘えてきた
そしたら、ずっと、婆のとなりで寝ている
2歳なる妹が、まだ眠くて婆の手をさわって「うつら」しているのに
姉の気配を感じて
「だめ、ちか(2歳児の名前)のおばあちゃん・・・・・」
と言って
お姉ちゃんが婆にひっついてきたことを制止するのだ

婆も眠い状態にいたが、2歳児のこの言葉、反応に驚いて、目が覚めてしまった

ママの取り合いならいいけど
よく兄弟(姉妹)で目にすることだけど
婆の取り合いは聞いたことがない
そこで
やや
ほくそ笑む婆であり
やや
やれやれと思う私であり
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梅雨の中の人生

2013年06月20日 15時34分08秒 | 
一筋の飛行機雲が梅雨空を貫ける
やがて広がって羽二重のごとく流れ
うろこぐもとなって消えていった

あれよあれよの朝の空に
晴れ行く梅雨間のすがすがしさ

アジサイはみずみずしく
クチナシは濃い葉の上にひかり
草むらのカエルの卵
地上の泡も白く映える


今日も雨
宍道湖の雨雲は強雨を降らす
雨音が薄い我が胸板を叩く

娘やその子たちの人生は
みずみずしくもぷよぷよなるがゆえ
我が婆の胸は痛む

梅雨蛍飛ぶ様を
今年は何とか見たくなって
小山付近を散策する
そんな時間が今日はとれるかな?

孫たちの笑顔だけは絶やしたくない
生意気な5歳の様は
婆をへこますけど
アイスクリームで釣ってほくそ笑んでおれば
今日の一日は安堵の中で閉じ
燕飛ぶ空の
暗くともいさぎよく
これからの人生行けそうな気がして

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人生、迎合だけは嫌だった・・・・・・・・

2013年06月19日 11時31分23秒 | 
迎合する(げいごうする)
へつらう ・ おもねる ・ チヤホヤする ・ もてはやす ・ (~の)鼻息をうかがう ・ もみ手(すり手)で(売り込む) ・ (~に)取り入る ・ シッポを振る ・ (権力者に)色目を使う ・ 媚を売る ・ ご用学者 ・ 曲学阿世 ・ ご機嫌を取り結ぶ ・ (~の)尻馬に乗る ・ (いい格好をしようと)先走る

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男尊女卑だから起きた!すべての男に謝ってもらいたい婆なり

2013年06月19日 11時14分44秒 | 
元民主党長老  外国で女遊びした議員に慰安婦語る資格なし
NEWS ポストセブン 6月19日(水)7時6分配信

 日本政治の現状を憂い、村上正邦氏(元自民)、矢野絢也氏(元公明)、平野貞夫氏(元民主)、筆坂秀世氏(元共産)という4人の“賢人”が集まった。長年の経験としがらみのない立場で、橋下徹・大阪市長の発言で話題になった従軍慰安婦などの問題について意見をぶつけ合った。

矢野:今の政治家は事なかれ主義者なんだ。(橋下徹・大阪市長のような)少々粗っぽいのが出たほうがいい。

平野:いずれにせよ、日本の指導者は慰安婦問題について慎重に発言しないとダメですよ。戦後でも企業慰安婦問題があります。東南アジアに進出した企業が現地の女性を慰安婦と同じようにしていた。だから戦争中の話だけではない。

村上:男と女がいる限り、戦争がある限り、これは古くて新しい問題ですよ。

平野:政治家は簡単にさわっちゃいけない話なんですよ。ひとつ暴露すると、私が政治家になる前に国会事務局で働いていた頃、国会対策は外国に連れて行って女を抱かせる仕事だった。朝食のときに「今晩は平野くんに金もたせて解放してやれ」というのが暗号の指令。誰を連れて行ったか、名前はいえませんが、政治家のなかには慰安婦問題を語る資格のない人が少なからずいますよ。

村上:私も国対やったけど、一回もそういうことはなかったな。しかし、話に聞いたことはある。Nとか、Wとか(一同爆笑)。自慢話を何度も聞かされた。

平野:乱暴なことやっているんですよ、日本の国会議員は! 語る資格なし。

筆坂:ただ、橋下は慰安婦問題が、実は対米問題であるということを明らかにはしましたね。安倍さんはそれがわかっていて、河野談話を修正しなかった。

村上:しないんだよ!

筆坂:米国は慰安婦問題に非常に敏感で、下院の本会議で非難決議を議決している。日本は北朝鮮と対峙している状況で韓国を怒らせ、米国から冷たい目で見られ、孤立に追い込まれかねない。

村上:橋下は維新じゃなく「新撰組」なんです。明治維新は幕府を打倒して新しい日本の夜明けを作ったが、橋下や石原もそれを目指しながら、やっていることは幕府たる自民党と同じ波長の浪人。しかももう内ゲバが始まってる。橋下はさしずめ芹沢鴨(※注)だな。

筆坂:殺されてしまうじゃない(笑い)。

【※注】幕末の水戸藩浪士。新撰組(壬生浪士組)の初代筆頭局長を務めたが、1863年9月に暗殺された。実行犯は土方歳三ら新撰組の同志だったといわれている

【むらかみ・まさくに】1932年生まれ。1980年に参議院議員初当選。自民党国対委員長、労働大臣、参議院自民党幹事長、参議院議員会長を歴任した。

【やの・じゅんや】1932年生まれ。公明党立党に参加し、1967年に衆議院議員に初当選。公明党書記長、委員長、最高顧問を歴任。

【ふでさか・ひでよ】1948年生まれ。日本共産党入党後、1995年に参議院議員初当選。党中央委員会常任幹部会委員、書記長代行などを務めた。

【ひらの・さだお】1935年生まれ。衆議院事務局に務めた後、1992年に参議院議員初当選。自民党、新進党、自由党、民主党を渡り歩いた。


※週刊ポスト2013年6月28日号
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体重増加について

2013年06月15日 22時43分30秒 | 私自身や健康
体重増加について
44キロが40キロになって
また増加して45キロになって
やや驚いたが、考えてみれば
44が45になった、1キロ増えただけだから
そう驚くことはなかったね
やや安心
なぜ痩せてなぜ太ったかは、少し前、記事に書いたので、見てくださいね

孫が9時半に寝ると
まだ眠気の来ない婆私なので
起きてパソコンを開く

しばらくメールをチェックしてブログ書きに入る

と今
何とすぐ眠気きたる

ラッキー!!!!!

Mさま
おやすみなさ~い
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やる気が起きないという広告

2013年06月15日 16時45分43秒 | 仕事
最近やる気が起きないという広告がやたら↑↑↑↑目につく

まさに自分がそうで
そうである自分を隠していたことに気づく
やる気が起きないというか、なんか、みな今仕事がつまらなく思えて
雑草取りがしたいとか
おいしいもの作りたいとか
まあまあそんなことを無理やり思っていたような・・・・・・・・・・・・・
ところが、仕事のパンフをみると、あら、面白いわとか、うん、なるほどとか思えるようになっている


自分に
気づく
そしてそれほどまでにつまらなく、やる気なくなっていたのかと・・・・・・・・・・・・・・

後輩の保健師のすばらしい方と電話でお話しができて(愚痴が言えて)
「よし分かった、自分からも、言っとくから」
という、返事をもらえたからかな?

考えてみれば、壁にぶちあたって、どうしていいか分からない日々が続くと
憂鬱になっていたかも・・・・・・・・・・・?
そこで、いつものように、友と話せたら、さっさと解決へのアドバイスとか支援をもらって
すーと気が晴れていた
この度はずーと話さず、一人もんもんと資料めくりをし
行きづまっていたかな?

月曜日の会議の進捗の音頭をとらなければならない立場の私だから
後輩たちがさっさと資料を提供してくれないので
先に進まない状況にあった。

行政のメンバーの上司をその友はしっていて
指導的立場でもあるので
一言声がけをしてくれることになり
私は後輩に具体的な情報提供の内容を言えばこと済むことに

ふんづまりの解消とあいなった。

その会は糖尿病の会
保健所長さんの出席で
今年度の具体的な事業実践検討会であって
具体的なものを出さねばならないのであり
ぼんやりぼーーーではすまされなかったのでありました。

その会はあさっての月曜日の午後なのであります。

具体的な策がイメージできるようになると
やる気なさが晴れてまあまあ発言できるような状態
憂鬱であることは「分かりません」ということさえ抵抗があり
きっと沈黙の時間ばかりがその場を線量したことでしょう。

しかし
やる気はまだ↴↴だけど
きっと、他者の言葉を受け止める自分にだけは回復したかな?

そこまで落ち込んでいたとはね!




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大島優子のスピーチ力

2013年06月15日 13時55分50秒 | 
テリー伊藤絶賛 AKB48総選挙での大島優子のスピーチ力分析
NEWS ポストセブン 6月15日(土)7時6分配信


AKB48選抜総選挙で見せた大島優子のスピーチ力
 指原莉乃(20才)が1位となり盛り上がりを見せた第5回AKB48選抜総選挙。毎回、メンバーのスピーチも話題になるが、今回の総選挙で目立ったのは惜しくも2位となった大島優子(24才)のスピーチだ。「涙のひとつも出てこない、この感覚」との言葉から始め「(指原は)私の壁をするっとぬけていった」「(指原センターで)どんなコミカルグループになるのか」と次々と繰り出す巧みな表現で、会場を笑いに包んだ。テリー伊藤も「芸能人としての“身体能力”は抜群」と絶賛したほど。大島のスピーチ力を、スピーチトレーナーで大阪工業大学客員教授の高津和彦さんが分析した。

 * * *
 自分が予期していなかった結果が出たときに、その事実をどうとらえてどう表現するのかというのはたいへん難しく、スピーチ力が問われる場面です。

 大島さんは、“涙のひとつも出てこない、この感覚”という第一声でファンの心をとらえましたよね。一般的には皮肉になるような内容ですが、1位になった指原さんが“いじられキャラ”ということから見事な“つかみ”になっています。

 今回のように、勝負に敗れた場合、負けた人のスピーチは大きくふたつに分けられます。ひとつは素直に結果を認めて“おめでとう”と勝者を祝福する。もうひとつは祝福はせずに“おかしい”“納得できない”と、その結果に反発するケースです。
 
 2位になった大島さんのケースはどうでしょうか。先ほどあげた“涙のひとつも出てこない”というコメントや“おなか抱えて笑ってしまう”というのは、後者のケースと言えます。指原さんに“おめでとう”とはひと言も言っていません。そして、反発の気持ちを最初から最後まで、嫌みに聞こえないように笑顔のまま表現し続けているところが、絶妙です。しかも、笑いをとりながら、というのはなかなかできることではありません。

 スピーチをするときにもっとも重要な落ち着きというポイントも、彼女にはありました。“壁をするっと抜けていった”というのは、準備して出てきたコメントではないでしょうから、表現力の巧みさや彼女の頭の回転の速さを感じられます。これはそもそも心が落ち着いていないと出てこない言葉です。しかも、コメントとコメントの間にしっかりと“間”を置いて話しているので、聞いているほうも聞きやすく、その結果笑いも起こった。

 自信をもって話すということもスピーチではすごく大事です。彼女は自分の結果について“偉業”という言葉を使っています。2回目は言い直したわけですが、負けた人がなかなか自分に対して偉業とは言えません。普通は“自分はよくやったと思う”“一生懸命がんばった”というありきたりの表現になってしまいますが、それを“偉業”というピンポイントの漢語をもって言い切ったのは、自分に自信があるからでしょう。

 勝者を祝福するスピーチに比べて、反発の気持ちを表現するスピーチは、なかなか難しいものです。ウソであっても、“よくやった”“おめでとう”という言葉で勝者を讃えがちですが、彼女は終始、落ち着いて、しかも指原さんのキャラクターを生かして笑いも取りながら、反発の気持ちを最後まで表現し切り、会場の注目を一気に集めた。まさに100点のスピーチをしたと言えるでしょう。
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想いの迷走

2013年06月15日 11時17分13秒 | 思い出
「これは、あじさい、クチナシによく似ている」

物事を考える時
特にレジメや報告書等の作成の時
脳がすぐブドウ糖不足になるようで
なにかをもぐもぐしないといけない私がいる
ということを理由に
今もお菓子を食べ
しばらく食べると
そろそろ止めなきゃあと禁止令が耳元でささやき
お菓子をつまんでは元に返すという所作を繰り返す
となると
書類作成継続ができなくなって
時計を見
あーーーもうこんな時間か~と
手を休める
頭も休めて
ブログに関心が移る

結果、今の私・・・・・・・・・・
チョメチョメとキ―をたたく(爆)

雨雨しとしと
暗い道端にクチナシが白い

むかしむかし
夫の実家に大きく広がったクチナシの木があって
隣に池があり
義母とならんでクチナシの木をバックに
池の鯉を見ながら写真を撮ってくれたおだやかな今日この頃を思い出す。
むかしむかし、私の青春時代、21歳の頃
義母と撮ったのはそれだけで時にアルバムをめくって見ながら思い出している。
もう、アルバムをめくらなくても
脳裏に焼き付いていてその光景は容易に思い出すことができる。
義母は高血圧性脳症で腎障害の脳症もあり
義父と孫(女の子)しか分からなくなって
夫は病院に面会に行ってもつまらないのか
見まいにはめったに行かず
ある国会議員の支援で走り回ってもいたので
とうとう自分の母の死に目にも会えなかったし
電話しようにも連絡など付く状況でもなく
自分の方から電話することもなく
薄情な息子だなと私は感じて
自分の息子にはこんな風になってもらいたくないなと思ったりした。
義母は54歳で逝った
私は第二子を産んで同じ病院に入院中だったので
ショッチュウ病室を訪れていたが、もちろん息子の嫁とは知らず、
生れたての赤子を連れていっても誰の息子で自分の孫だなんて分かず・・・・・・・・・・・

そんな義母のまだスマートな穏やかな顔を思い出す、クチナシの花だった~♪(歌も思い出したり(^.^)

梅雨は適度な雨なら いい
長雨はまずい
暑い日差しを厚い雲がさえぎって
しばしの心地いい湿り気をもらって、癒される。

もうすぐ誕生日、70歳になる。
でも世間では63歳と思わせようと作戦をたて
70歳は隠そうと思っている(どこまでできるか疑問・・・)

ブログ書きながらの休憩終了、久々に想いの迷走(^^)
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太った感 やれやれ

2013年06月14日 09時01分32秒 | 私自身や健康
太った感あり
重たい感あり
食べ過ぎと
運動不足は定番
婆の孫もりが一段落した数ヶ月前から
ふっくら感が元に戻って
今、さらに、1kgオーバー
44キロが孫の0歳児から1歳までで4キロダウン
おんぶにだっこの日々であり
筋トレと称するほど、筋肉を使った
それが、孫も重たくなって10kgを超えるころから
抱っこもおんぶも減らせて
今12kgの2歳児をおんぶすることはほとんどなくなった
時に甘えて、だっこだっこというので
時にだっこ時に逃げて
結果、筋トレがなくなって
5kg増
おやおや、このあたりで、カロリー↓↓にせねばね。
しかし、下半身はよくもまあフクヨカニなることよね~
5キロ近い増ならね~
どんなに鈍感な私でも気づくよね~
やれやれ(-.-)

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この不思議な生き物

2013年06月13日 23時23分28秒 | 

この不思議な生き物よ
いずこ

私の海よ
いずこ

父よ
いずこ
母よ
いずこ


なつかしき生き物よ
いずこ

涙の波
高く低くうねって
いずこ
たずね歩き
探し歩き
ひたされ
浮かび上がった私よ
いずこ

鳴り響く太鼓
波の音に負けるな
お前の鼓動
我が鼓動よ

少年のまなこ
海色の深さが
あこがれの色か
純真さか
我がまなこ
かなし
うねりに負けて
流す涙よ
あふれ出て来たれ

さよならの海
明日の海
過去の海
あまりに深き紺色に負けてうつ伏せに泣く

時として同じ
海の中に潜って
海藻の中を這い
ひとかきをして
数百メートルも泳ぎ
すいすいとなんかきしても疲れず
何キロも進み
快感に酔い
浮かんで空を見る
海にいる私
空の下にいる私

海よ
不思議な生き物よ
私のもの
とらないで
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胸式呼吸を復活

2013年06月11日 10時07分54秒 | 私自身や健康
胸張り筋があることを忘れていた
もうだいぶん前から胸式呼吸はさよならして
腹式呼吸になっていたから
胸をふくらますってすっかり忘れていた

友のスタイルがあんまりよくて
どうしたらあんなふうにお腹がへこむのだろうといろいろやっているうち
胸を張ると同時にお腹がへこむことに気付いた

むかしむかし
乙女だったころ
胸式呼吸で腹式呼吸なんてできなかったけど
今疲れると
極端に腹式を意識して呼吸をしている
と、全身にいきわたる酸素があって
蘇っていく(笑)
胸式は疲れるとできなくなっていた

今頑張って胸式呼吸を復活
やや、お腹へこみに役に立っている
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日本のプリンスと外務省入りする才女 運命の「出会い」

2013年06月10日 20時52分52秒 | 

【皇太子ご夫妻ご成婚20年記念特集】(2)

 昭和61年10月18日、東京・元赤坂の東宮御所では、スペインのエレナ王女を招いてレセプションが行われていた。まだ、立太子の礼の前で「浩宮徳仁(なるひと)さま」と呼ばれていた皇太子さまは、そこで小和田雅子さん、後の皇太子妃雅子さまと出会われた。当時、皇太子さま26歳、雅子さまは22歳。外務省幹部だった父親、小和田恒(ひさし)さん(80)のご令嬢として出席されていたのだ。

 日本のプリンスと、米ハーバード大学を卒業し外務省入りする才女。おふたりはまだこのとき、その後の運命を知られる術もなかった。緊張気味にあいさつされる雅子さまに、皇太子さまは穏やかに話をされ、会話は少しずつ弾んだ。

 「非常に強いというか、いい印象を受けました。まず、控えめでいらっしゃるんだけれども、自分の思っていることをはっきりとおっしゃって、それでいて、非常に聡明(そうめい)である」「お互いに心が通じ合うというような、そういう感じを強く持ちました」

 わずか2、3分程度の時間だったが、皇太子さまは、この際のことを、平成5年のご婚約会見で、こう振り返られている。雅子さまも「とても気さくで、かつすごく配慮のある方」と感じていたと、やはりご婚約会見で明かされている。
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