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2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

つがる市・亀ヶ岡遺跡/資料室

2023-07-08 23:35:54 | 秋田古代史

一昨日の青森日帰りで、最大の目的地、高山稲荷神社を見て、少し時間があったので、すぐ近くにあると地図にあった亀ヶ岡遺跡資料室に向かいました。

歴史的遺跡や鉱山などで、資料館の類がある場所では、まず最初に資料館に立ち寄り、どこが見学のポイントか、どういういきさつがあって出来たのか、などを見てから現地の遺跡や坑道などに入るようにしています。

今回亀ヶ岡遺跡にした理由は、近かったこともありますが、縄文時代をお勉強していたら、亀ヶ岡文化と呼ばれ、亀ヶ岡土器と称されるものも縄文後期以降の代表的な土器とされており、その時代ではかなり知られた存在だったことは感じ取っていたのですが、その詳細は不勉強だったので、現地の資料館で何か勉強にならないかと思ったからです。

道にあった看板を頼りに「縄文館」なる建物に向かいました。建物の正式名称は農業者トレーニングセンター。かなり年季のある代表的な公共施設の建物の一室が関係資料を展示した「木造亀ヶ岡考古資料室」になっていました。入館料200円。

室内には出土品の一部が展示してあったりと、至って普通の資料室。知りたかったのは、どうしてここだったのかとか、亀ヶ岡遺跡がどうしてそれだけ知られるようになったのか、などと云うもう少し広い視点に立った話はほとんどなし。残念ながら土器の派遣を見ても、よくわからないのは勉強不足なのでしょう。

集落に出た先、県道沿いに実際の亀ヶ岡遺跡がありました。記念の石像があり、案内看板などもありましたが、遺跡は当然埋め直されており、余程想像力がある方でないと、わからない状態。それは2年ほど前に秋田県南の遺跡跡を廻った時にも感じたことでした。それよりも一番感じたことは、その場所。

すぐ東側に津軽平野が広がり、紀元前4000年頃にあった縄文海進でこの平野部分は古十三湊と呼ばれる浅い内湾が、五所川原から五能線沿いまで広がっていて、この遺跡のすぐ目の前も海だったということ。亀ヶ岡遺跡のすぐ近くには貝塚も発見されており、陸の物も海の物も入手しやすく、生活環境としてはいい所だったのだろうと云うことは想像しやすい場所でした。

以前、古代史に着手した時、三内丸山遺跡に行く前に少しは勉強していった方が、より楽しめる、と思って始めましたが、ここにきてそんなことを再び痛感しました。


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