フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月30日(月) 晴れ

2023-01-31 13:04:05 | Weblog

8時15分、起床。

パン、スープ(ミネストローネ)、ソーセージ、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『舞いあがれ!』。今週のテーマは「親子の心」となっている。舞と母親の関係はいまさら問題にすることはないように思うので、悠人と母親(亡くなった父親)、貴司と両親、久留美と父親の関係がとりあげられるのだろうと思う。本線である航空機の部品(ボルト)の件はたぶん大きな問題は発生しないように思う(そうしないと「親子の心」の方に集中できないだろう)。

『村上RADIO』をタイムフリーで聴きながら、昨日のブログを書く。今回のテーマは「1980年代、ヒットソング・オンパレード」。村上春樹は1980年代の初めまでジャズ喫茶をやっいたが、それをやめて作家活動に専念するようになった。その反動でしばらくジャズは聴かなくなり、もっぱらポップスやクラシックを聴くようになったそうである。今日の最後に流れた曲が小泉今日子の「夜明けのミュー」だったのはご愛敬。

明日の演習「現代人と孤独」で発表予定の3名の学生のレポートに目を通す。

2時半ごろ、昼食を食べに外出。

年が明けてからまだ「燈日」に顔を出していないので、月が替わってしまう前に行こうと思う。

隣駅の矢口渡で下車。

「リヨン モアール」で朝食用のパンを買う。もし「燈日」が満席で入れなかったとしても、矢口渡に来る意味はこのパン屋にある。

「燈日」に到着。4つあるテーブル席は埋まっていたが、カウンター席が空いていた。

今月の燈日定食は、豚肉生姜焼き定食と鯖の龍田揚げ餡掛け定食。前者を注文。

豚肉生姜焼きは定食の王道である。写真ではコンパクトに見えるが、肉が幾層にも重なっており、十分な量である。

食後にアイスカフェラテを注文し、持参した『茨木のり子の家』(平凡社)に目を通す。

茨木のり子は「わたしが一番きれいだったとき」などで知られる詩人で、2006年に亡くなっているが、彼女が住んでいた東京都保土谷市東伏見の家はいまも彼女の甥っ子(宮崎治)が住んでいる。本書はその家の写真と彼女の詩と生原稿が載っている。巻末に宮崎のエッセーも。

「エントランスから臨む山小屋風のデザインは今見ても新鮮だし、内装には独特の落ち着きがある。武蔵野の雑木林に佇むこの住居も茨木のり子の作品の一つと言えなくもない。(中略)煙草の脂で変色した壁紙やファブリックには、長年暮らした余韻が今も色濃く残存している。」

玄関。

居間。「食卓に珈琲の匂い流れ」という詩はここで生まれたのだろう。

食卓に珈琲の匂い流れ

ふとつぶやいたひとりごと
あら 映画の台詞だったかしら
なにかの一行だったかしら
それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか
豆から挽きたてのキリマンジェロ
今さらながらにふりかえる
米も煙草も配給の
住まいは農家の二階 下では鶏がさわいでいた
さらがら難民のようだった新婚時代
インスタントのネスカフェを飲んだのはいつだったか
みんな貧しくて
それなのに
シンポジウムだサークルだと沸きたっていた
やっと珈琲らしい珈琲がのめる時代
一滴一滴したたり落ちる液体の香り

静かな
日曜日の朝
食卓に珈琲の匂い流れ・・・
とつぶやいてみたい人々は
世界中で
さらにさらに増えつづける

書斎。

「道づれ」の生原稿(最初の部分)

 あなたが逝った五月
 一月あとの六月に
 金子光晴さんが逝きました
 健脚の金子さんはきっと追いついたでしょう
 「やァ、先生!」
 ポンとあなたの肩をたたき

1時間ほど滞在して店を出る。

帰宅して「パーカー/大学生の日常」というYouTubeを観る。明日の演習の発表で取り上げる学生がいるので観ておこうと。理系のぼっち大学生の日常が配信されている。

夕食はブロッコリーとシイタケとマヨネーズのレンジ蒸し、鶏胸肉のチーズ挟み焼き、白菜の漬物、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『星降る夜に』第2話(録画)を観る。第3話だっけと勘違いするほど展開が早い。

アマゾンプのプライムビデオで『ゴッズ・オウン・カントリー』というイギリスの映画を観る(330円でレンタル)。明日の演習の発表で取り上げる学生がいるので観ておこうと。1時間40分というほどよい尺。ヨークシャーの自然が美しい。

風呂から出て、レビューシートのチェック。

1時、就寝。