フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月1日(水) 晴れ

2020-04-02 22:12:20 | Weblog

10時、起床。

今日から4月。新しい年度が始まった。書斎のカレンダーをめくる。

昨日、大学に出たとき、研究室の卓上カレンダーもめくっておいた。一方は「熊」、他方は「スプーン・ナイフ・フォーク」。「4月」との関連を連想することはなかなか難しい。いつものことである。

熊が冬眠から目覚めるのが4月、ということかもしれない。

「フォーク(ソング)の日」というのがあって、それが4月9日である、ということなのかもしれない・・・ないな。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

食事を終えて、食器を片づけようとしたときに、悲劇は起こった。カップを床に落としてしまったのである。昨日、研究室でノートパソコンを床に落としたときは小さな破損で済んだが、今回は見事なまでに木端微塵となった。床に散乱した破片を拾い集める。焼き場で骨を拾って骨壺に入れるときのことを思い出した。

「形あるものはいつか壊れる」そう子どもの頃から言われて育った。お世話になりました。

遅めの昼食を「ティースプーン」でテイクアウトするために外に出る。生垣代わりのアカメ(赤芽)が例年より早く赤い葉を出している。

風が強いので旗は出ていないが、営業してます。

今日のシマダさん。リトアニアリネンを身に付けていらっしゃる。

ごろっと新ジャガパン、苺あんバターサンドウィッチ、チョコレートブラウニー、バナナパウンドケーキ、ティンブラ・ティーバッグを購入。

ごろっと新ジャガパンは新作である。こういうときでも新メニューを考えるところが素敵です。

帰宅して、ごろっと新ジャガパンを食べる。

名前の通りだ。

今日の苺あんバターサンドは苺が2つ入っている!(値段は同じで、大盤振る舞いだ)

ティンブラ・ティーバッグ10個で800円のお得価格だ(通常は1200円)。

夕食はピーマンの肉詰め、マッシュルームとパプリカと玉ねぎと玉子の炒め、蕪と油揚げの味噌汁、ごはん。

ピーマンの肉詰めは醤油で食べる派。

妻は食後にチョコレートブラウニーを食べたが、私はバナナパウンドケーキは明日食べよう。

「一世帯にマスク2枚配布」の件が話題になっている。私は使い捨てタイプのマスクを使っているが、家の中を探したら、使い捨てでないタイプのマスクも数枚あった。妻が数年間にサーズが流行したときに購入したものだ。

なるほど、注意書きのところに、小さい文字で、「洗濯は、他のものと別にして、水で軽く押し洗いしてください。(素材の性質上、縮むことがあります)その際、フィルターの効果が若干低減することがあります」と書かれている。

使い捨てタイプも押し洗いして天日干しすれば、最低でももう1回くらい使えるのではないだろうか。とにかくいまマスクは手に入らない(エタノール消毒液はたまに手に入るが、マスクは全然だ)。洗って再利用するマスクにも、「電車にマスクなしで乗って人から睨まれる」ことを回避する機能はあるだろう。ウィルスも怖いが、他者からの視線も怖い。昔「人を見たらドロボーと思え」と教えられたが、それが「人を見たらウィルスと思え」に代わったようである。

今日のハイライトはここからだ。

午後11時頃だったろうか、妻が飼い猫のハルの挙動がおかしいという。そわそわしながら、おしっこをちょっとずつもらして歩き回っている。しかも血尿だ。そわそわしているのは、尿意を感じているが、ちゃんとおしっこができないためのように思われる。考えられるのは膀胱炎か、結石か、あるいは腎臓そのもの病変である。かかりつけの病院からもらったチラシに載っている夜間救急専門の病院に電話してみる。症状を話すと、来ていただいた方がよいでしょうということになった。場所は世田谷区の深沢である(大田区じゃないのか!)。環八でいけばそんなに遠くないが、うちに車はない。

ハルをキャリーバッグに入れて、駅まで歩き、そこからタクシーに乗って行く。運転手さんはいい方だった。おそらく運転手さんにとっても私はよい客だったと思う。駅で待っていても、ほとんどの客はワンメーターくらいの距離で、私のように5000円クラスの客は最近はめったにないそうだから。病院の待合室には2、3組の人がいた。ほどなくして診察室に呼ばれた。私のことを「お父さん」と呼ぶ。小児科のようである。なるほど「ペットは家族」の時代であることを実感した。

医師は複数いて、全員、夜間救急の専門家で、非常に対応が迅速である。これまでかかりつけの病院ではどんな治療を受けていたのかを、妻とラインの電話(スピーカー)を使って聴取。そして膀胱の膨らみ具体をエコーで診て、続いて内視鏡で膀胱の中を洗浄し(血のカスのようなものが浮遊していてそれが詰まった可能性がある)、尿の中に大腸菌のいることが確認され(膀胱炎の疑いが強い)、抗生物質の注射と水分の皮下注射(一種の点滴)が施された。腎臓そのもの機能障害の可能性も否定はできないが、ぐったりはしていないし、自分で食事や水も飲めるようなので、大丈夫でしょうということになった。

診療が終わったのは午前2時近かった。病院でタクシーを呼んでもらい(10分ほどで来た)、帰りは来たときよりも早かったが、家に着いたのは3時近かった。帰りの運転手さんもいい方だった。病院への支払いは23650円(内訳で一番大きいのは夜間診療料で8800円)。タクシー往復代を入れて全部で35000円ほどかかった。ペット保険には入っていない。

ハルはわが家に帰って来たのと、溜まっていた尿を全部出してもらって落ち着いたようで、私が手のひらで受けた水道水をたくさん飲んだ。

風呂を浴びて、今日の日記を付けて、4時、就寝。


3月31日(火) 曇り

2020-04-02 03:55:45 | Weblog

9時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

午後から大学へ。ポケットには携帯用の消毒液(ジェルタイプ)。

桜の花は来年も咲く。確かにそうだが、今年の「桜」は今年だけのものである。仮に同じだとしても、桜を見る「私」は今年と来年で同じ「私」ではない。今年の「私」が今年の「桜」を見ている。それは一回性の現象である。そして「人生」とはそうしたことの総体である。

コンビニのイートインもなくなった。

電車はガラガラ・・・というわけではなくて、蒲田始発の電車なのである。でも、そうでない電車も空いてはいる。

電車の中でワセダムードルの簡易ガイドに目を通す。早稲田に着くまでの間に読み終わり、理解した。だがこれはあくまでもさまざまな機能の中の一部(従来のコースナビの「お知らせ」「資料のアップ」「レポートの提出」などに相当する機能)で、とりあえず最低限使えるようになっていないとならないシンプルな機能である。

素朴な疑問は、なぜこれまで使ってきた(教員も新2年生以上の学生も使い慣れている)コースナビをもう一年使わないのか(元々今年はコースナビからムードルへの移行期で、一年間は両方使えることになっている)。新1年生に1年間で使えなくなるコースナビを学習してもらうことの無駄よりも、教員と新2年生以上の学生がここ一ヶ月でムードルを学習することの大変さの方がはるかに大きいと思うのだが。

だがトップダウンで通知が来た方針を末端の教員があれこれ言っても覆ることはあるまい。

馬場下の交差点の鯛焼き屋でお八つの鯛焼きを1個買う。亡くなった私の母は、こういう場合、1個買うということが絶対にできない人だった。「そんな恥ずかしいこと・・・」と思っていたのだろう。息子の私はそれが抵抗なく出来る。それだけ社会の個人化が進んだということである。

スロープの上の桜はいよいよ見頃である。

研究室の前の廊下の窓から見る大島桜も見頃である。

昼食は蒲田駅で買った崎陽軒のシュウマイ弁当。それほど遅い時間に買ったわけではないが、最後の一個だった。お店の人によると、最近、お弁当がよく出るそうで、職場用にまとめ買いしていく客もいるそうである。客が来なくなった飲食店もテイクアウトに重点をシフトすることを考えているようである。

MM準備室へ行って、ムードルを使ったディスカッション(「フォーラム」機能)や双方向ライブ配信(「コラボレーション」機能)について相談する。同じ動画配信でもライブではなく、オンデマンドの動画コンテンツを作ってやる場合は、ユーチューブ等の外部動画配信サイトにリンクする必要がある。それって、もしかして、ユーチューバ―になるってことですか?! まさかこの歳でユーチューバ―としてデビューするとは思わなかったな。

お八つの時間。

研究室で使っているノートパソコンを自宅に持ち帰ることにする。今日来たのはそのためもあった。ところがケースに入れて持ち運ぼうとしてときに誤って床に落下させていまった。一瞬、青くなったが、上蓋の左下隅がちょっと欠けただけで(セメダインで修復できそうだ)、ディスプレーや本体機能に支障はなかった。

しかし、これがきっかけでもあったかのように、今日はあれこれの悪い知らせがメールで届くことになった。カレンダーを見て気づいたが、今日は仏滅である。そういうことか。

帰宅すると、夕刊の一面に「富士山降灰 首都圏マヒ」というギョッとする見出しの記事。読んでみると、国の中央防災会議の作業部会が富士山で大規模な噴火が起きた場合をシミュレーションした結果の報告書の内容であった。報告書というのは一般に年度末に出るものだが、この内容をわざわざ新聞の一面にこの社会不安の高まっている時期に出す必要があるのだろうか。大新聞社としての見識を疑う。「不要」ではがいが、「不急」である。

夕食はタラのムニエル野菜あんかけ、アボカドサラダ、めかぶ、柚子大根、ごはん。

デザートは苺。

今日のことを4月始まりの日記帳の最後のページに書き込んだ。明日からは2020年度の日記帳になる。

2018年度、2019年度、2020年度の日記帳。

さらに2017年度の日記帳も加えて、親亀ー子亀ー孫亀、曾孫亀方式だ。

ほぼ日手帳カズンを使い始めたのは2010年から(左から右へ並べた)。ちょうど10年続いたわけだ。

2010年はとくに厚くはならなかった。2011年は少し厚味が増した。2012年もさらに厚みがましたが、本格的に膨張したのは2013年である。以後、2014年以降はほぼ同じような厚味で続いている。よく製本が崩れないものだと感心する。

厚くなるのはいろいろなもの(写真、印字したメール、葉書、チケットの半券など)を貼りつけるからだ。コラージュ法と読んでいる。日記を書くというよりも、日記を編集するという感覚だろうか。

日記を付けることは一日を振り返ることだ。「その日」と少しの距離を置いて、半分他人事のように振り返る。とくに最近のような不安定な日々の中ではそれは大切なスタンスのように思える。

2時半、就寝。