フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月22日(日) 雨のち曇り

2014-06-23 12:08:42 | Weblog

     9時、起床。

     今日は日本女子大学で開催中の関東社会学会大会のテーマ部会B「自己/語り/物語の社会学・再考」を聴きに行く予定。

     部会は午後3時45分からだが、早めに家を出る。

     「SKIPA」で朝食兼昼食をとるつもりでいたら、満席状態だったので、隣の「トンボロ」に入る。

 

     「SKIPA」と「トンボロ」は姉妹店、いや、親子店である。名刺のデザインは「トンボロ」のマスターによる。

     設計士をされていたマスターは絵心があって、店内にはマスターの描いた絵がそこここに飾られている。 

     「神楽坂奇譚」という7枚セットの絵葉書(700円)も販売されている。

     コーヒーとトーストを注文。

     お隣の「SKIPA」にアイスチャイを出前してもらう。のんちゃんに句会が8月10日に変更になった旨を伝える。

     赤城坂を下って、有楽町線の江戸川橋駅に向かう。 

     部会の開始時間までにはまだ余裕があるので、「Amitie」に寄って行く。

     この店の女性パティシエが作るケーキの美点の1つは、大きさが小ぶりなので食事の後でも躊躇なく食べられ、かつ価格設定が低いことである。

     6月の週末限定のリュバーブ・フランボワーズというタルトとコーヒーを注文する。

     江戸川橋駅から有楽町線に乗って、1つ隣の護国寺駅で降り、不忍通りを10分ほど歩くと、日本女子大学の裏門に着く。 

     テーマ部会B「自己/語り/物語の社会学・再考」 

       報告者1 野口裕二(東京学芸大大学)「自己論とナラティヴ・アプローチ」

       報告者2 鷹田佳典(早稲田大学)「Middle way」を行きつつ―リアリストとアンチリアリストの狭間で」

       討論者 浅野智彦(東京学芸大学)

       司会者 中村英代(日本大学)

     個別の報告の内容の紹介は割愛するが、今回の部会で、私としては野口さんが報告の課題の1つに設定していた「物語的自己と多元的自己」の問題に関心があった。物語的自己とは、自分の人生の物語を語るという行為を通じて人は自己を構築しているという考え方である。一方、多元的自己とは、従来のアイデンティティ論を批判する形で台頭してきた概念で、人は自己のさまざまな社会的側面(役割)を統合しなくても、バラバラのままで、あるいは緩やかなつながりのままで、自己として存在できるし、むしろそうした形態の自己の在り方は現代の社会状況には適合的であるという考え方である。

     野口さんは物語的自己と多元的自己とは矛盾せず、両立可能であると述べた。たぶんそうなのだろうと思うが、それを言うためには、もう少し緻密な議論が必要であると思ったので、次のような質問をした。

     「物語的自己においてはストーリーの一貫性ということが大切で、語る時点(現在)からこれまでの人生を振り返って、重要ないくつかのライフイベントをとりあげて、それを主観的な因果の連鎖でつなぎ合わせて語って、それが自分だけでなく聞き手にとっても納得できる(了解可能性)ものである必要があるわけです。ところが、多元的自己の場合は、ばらばらの、あるいは統合の弱い複数の自己を想定するわけですから、自己物語も複数存在することになります。この物語の複数性という問題は、アイデンティティ論に依拠した従来の生活史研究にもありましたが、その場合は、物語る複数の時点間における物語の非一貫性ということであり、時点Aで語られた物語と時点Bで語られた物語が食い違っていても、「それぞれの時点ではどちらも主観的事実である」ということで処理されてきました(どちらが妥当な物語であるかを問題にする必要はないとする)。しかし、多元的自己の考え方を導入した場合は、1つの時点において複数の自己物語が併存するわけなので、それらの間の食い違い(非一貫性)ということが問題になってきます。もちろん食い違わない場合もあるでしょう。たとえばある学者が自分のこれまでの読書遍歴(本をモチーフとした学業・職業経歴)を語る一方で、自分のこれまでの女性遍歴(親密な関係性の経歴)を語るというような場合は、両者は相互補完的な関係にあります。しかし、実際には、複数の自己がそれぞれの守備範囲を越境して語り出すということはしばしばあるわけで、そうすると、一人の人間に一時点で相容れないような複数の人生物語が存在するという事態が生じます。こういう場合、ストーリーの一貫性を重視する物語的自己論はどういうことになるのでしょうか。」

     野口さんの回答は、「物語的自己と多元的自己は矛盾せず、両立可能であると述べたのは、そういう場合もあるということで、常にそうであるわけではなく、矛盾することも両立不可能である場合もあると思います」というものだったが、私としてはこの回答は不十分なのものだった。矛盾する場合にどうするのかということが問題であるからである。人間が矛盾をはらんだ存在であることは認めるとしても、そうした存在論的矛盾を分析する理論にも矛盾があってよいということにはならない。多元的自己と多元的自己論は同じではない。とはいっても、私にも経験があるが、理論的な質問に対してその場で即答するというのは、よほど「待ってました」という質問でない限りは、十全な回答を用意することは難しい。なので、それ以上の質問はしなかったが、私としては物語的自己論に多元的自己の概念を組み込んだバージョンアップ版(物語的多元的自己論)の可能性について議論がしたかった。

     部会は6時に終わった。

     来たときと同じ道を護国寺駅まで歩く。

     来るときは急いでいて気付かなかったが、「オルゴールの小さな博物館」というのがあって、閉館のお知らせが出ていた。すでに内部は空っぽになっているが、オルゴールと一緒に展示されていたと思われる人形たちが残っていた。

     閉館前に一度、来てみたかった。オルゴールの音色を聴いてみたかった。

     地下鉄で有楽町まで出て、そこで京浜東北線に乗り換えて帰ってくる。

     夕食は餃子と蒸した鶏のササミ。 

     久しぶりに卯の花(おから)も食べた。

     デザートは「あるす」でいただいた枇杷。

     『ルーズヴェルト・ゲーム』の最終回をリアルタイムで観る。こてこてのサクセス&ハッピーエンドだったが、娯楽ドラマなのでこれでよい。欲を言えば、沖原と美里の恋の行方についても描いてほしかった。