陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

488.東郷平八郎元帥海軍大将(28)東郷大将は「乃木さんは死ぬだろう」と考えた

2015年07月31日 | 東郷平八郎元帥
 「東郷平八郎元帥の晩年」(佐藤国雄・朝日新聞社)によると、英国ジョージ五世の戴冠式は明治四十四年六月二十二日午前七時四十分から、ウェストミンスター寺院で行われた。

 戴冠式の後、東郷大将と乃木大将は、馬車で宿舎のホテルに帰ったが、途中群衆に囲まれ、「ヒーロー」「オオ、トーゴ―」などと叫び、帽子を振り、ハンカチを振って、群衆が歓呼した。

 翌二十三日のグレー外相主催の晩さん会にも、東郷大将と乃木大将は特別に招待され、多数の出席者から歓迎され、人気の的だった。

 だが、東郷大将に向かって、ものを聞くのは、あたかも鎌倉の大仏に向かって聞くようなもので、無口の日本人の中でも、彼はその最たるものだった。

 ところが、六月三十日、東郷大将が四十年前に学んだ帆船ウースター号を訪れた後、プリンスホテルで開かれた旧友やOBによるウースター協会の歓迎晩さん会の席で、東郷大将は、珍しく長い演説を、しかも英語でやってのけた。演説の内容は次の通り(要旨抜粋)。

 「閣下ならびに諸君、ウースターは私にとって、この上なく懐かしい名です。ウースターは過去四十年間、私がいつも忘れることが出来なかったものです。…(略)…そして懐かしい諸君とお目にかかることが出来たのは、私にとって愉快の極みです」

 「…(略)…ここに私たちの全てを結びつける一つの共通の絆があります。すなわち、ウースターがこれです。(拍手)私は今夕ここで諸君にお目にかかって、ちょうど青年時代の親友に際会再会したような気がして、わたしの感想は、知らず知らず過去をたどり、ここにおられる若干の諸君と共にウースターの甲板上で、結索節のやり方を習った当時のことを思い出させます。(拍手)」

 「同時に私の記憶の中に、スミス大佐の温容が思い起こされます。教師の中で最も親切で最も仁慈な方でした。最近の戦争中、彼は度々私に親切な手紙をくれました。第二の故郷である英国からのこの手紙は、私に対し実に多大の慰めと激励を与えてくれました。…(略)…」

 「スミス夫人と再会できたことを喜ぶと共に、スミス大佐が私の英国に来るのを待たずに逝去され、私に与えられた過去の温情に対し、親しくお目にかかってお礼を申し上げる機会がなくなったことを、極めて残念に思います。…(略)…ウースター協会よ。ねがわくは永久に栄えあれ!」。

 大拍手だった。翌日の新聞は、東郷大将の演説を「天下の奇跡」と伝えた。しかし、英国陸軍の重鎮で沈黙将軍として知られる、キチナー元帥は、東郷大将に次のように言った。「お気を付けなさらないと、“沈黙提督”の名にかかわりますぞ」。

 英国での戴冠式行事が終わると、東郷大将はアメリカ経由で帰国することにした。だが、乃木大将はヨーロッパを視察して帰ることにした。

 この時、乃木大将は「ついでに、ロシアの片田舎でひっそり暮らしている、敵将ステッセル将軍を慰めてやってから帰りたいのだが、どうだろう」と東郷大将に相談した。

 東郷大将は、思案していたが、「それは止められたほうがよかろう。御身にはせっかくのご親切であるが、先方にとっては、かえって、それが苦痛となるかも知れないから」と言った。

 乃木大将は、日露戦争でお互い悪戦苦闘して共に戦って敗れた敵将を、一目会って、慰めてやりたいという気持であった。

 だが、ロシア国民はまだ日露戦争の屈辱を忘れてはいない。ステッセル将軍は、その天王山の旅順攻防戦で乃木大将に敗れた将軍だ。そのステッセルに勝者の乃木大将が会いに行けば、ステッセル将軍に恥をかかせることになる。

 このような判断から、東郷大将は、乃木大将を引き止めたのだが、それでも、なお、乃木大将は、ステッセル将軍に会いに行く決意を撤回しなかった。だが、さらに思案の末、最終的に、東郷大将の忠告に従ったと言われている。

 明治四十五年七月三十日午前零時四十三分、明治天皇は崩御された。九月十三日、明治天皇の御大喪が終わったその夜、午後八時頃に、乃木希典大将と静子夫人は、殉死を遂げた。

 御大喪に際して、東郷大将は霊柩供奉の役を仰せつかった。東郷大将と乃木大将が最後に逢ったのは九月十三日の午前中、殯宮を排して退ってきた折りだった。

 お互いに忙しい身なので長い話も交わさなかったが、東郷大将は乃木大将を一目見た瞬間に、乃木大将の決意を読み取った。いや、そうではない。東郷大将が乃木大将の心を悟ったのはそのずっと以前だから、この瞬間に確信したと言った方が良い。

 明治天皇が崩御されたとき、東郷大将は「乃木さんは死ぬだろう」と考えた。その考えが間違っていなかったことを、東郷大将はこの瞬間に知ったのだ。

 だが、そのことについて東郷大将は一言も触れなかった。肝胆相照らし、尊敬する良き友の最期を本人の望むがままに、立派なものにしてやりたいと思っていた。

 「お役目ご苦労様です」「閣下こそ、ご苦労様です」。二人は同じように挨拶した。そして「いろいろと御配慮ありがとう存じます」と乃木大将が言うと、「こちらこそ、ではお静かに……」と東郷大将は答えた。

 そう言って別れた二人だが、二人の心はしっかりと通じ合っていた。十三日の夜、東郷大将は他の供奉員とともに霊轜を守護し、宮城を後に青山葬場殿に行った。