陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

227.山下奉文陸軍大将(7) 今度は山下中将が巨眼をむいて山本大将に迫った

2010年07月30日 | 山下奉文陸軍大将
 山下中将が、マレー、シンガポール攻略を担当する第二十五軍司令官に正式に任命されたのは、東京に着いた翌日、昭和十六年十一月九日だった(発令電報は十一月六日)。

 十一月十日、陸軍大学校で、すでに策定されていた陸海軍中央協定に基づき、山本五十六連合艦隊司令長官(海兵三二・海大一四)と寺内寿一南方軍総司令官(陸士一一・陸大二一)との間に、最終的な協定覚書が作成された。

 この日は、マレー作戦の第二十五軍司令官・山下奉文中将(陸士一八・陸大二八恩賜)を始め、フィリピン攻略担当の第十四軍司令官・本間雅晴中将(陸士一九・陸大二七恩賜)、ジャワ攻略担当の第十六軍司令官・今村均中将(陸士一九・陸大二七首席)、その他関係指揮官、幕僚も参集した。

 打ち合わせ終了後、正午から杉山元参謀総長(陸士一二・陸大二二)、永野修身軍令部総長(海兵二八恩賜・海大八)以下陸海軍幹部をまじえて、昼食会が開かれた。

 山下中将が席に着くと、右側の椅子があいている。誰が来るのかと思っていると、来たのは山本五十六海軍大将だった。

 「これは閣下」「お元気で、このたびは・・・・」と簡単な挨拶が済むと、早速、山本大将は山下中将に話しかけてきた。

 話題はドイツ視察団の際の見聞から、山下中将の職務が極めて頻繁に変わることに及び、山本大将は、「これでは閣下も困るし、職務自体にもマイナスである」と同情の念を表した後、山下中将を直視して次のように質問した。

 「今回の御任務、まことにご苦労ですが、閣下の確信はいかがです?」

 細いが鋭い山本大将の眼だった。その眼を山下中将もぎろりと見返して、得意の反問戦法を試みた。

 「いや、閣下のほうこそ、いかがですか?」

 すると山本大将は次のように答えた。

 「閣下、自分は半生をこの作戦(ハワイ空襲)に傾けてきました。必ず成功させます」

 そのあと、山本大将は、茶碗を右手に握ると、今一度、山下中将にマレー作戦に対する抱負を尋ねた。山下中将は次のように述べた。

 「問題は陸地に足をかけることにあると考えます。この方面については、両三年前から全ての記録をあさりつくしているので、事情はわかります。相手はインド人を交えた軍隊なので、始末はしやすい。上陸さえすれば必ず成功します。しかし、この点(上陸)は、当方としてはどうにもなりません」

 今度は山下中将が巨眼をむいて山本大将に迫った。「上陸船団の護衛に当たる海軍の南遣艦隊の劣勢」について、ただしたのである。

 山本大将は、ちょっと口ごもったが、すぐ山下中将を正視すると次のように率直に答えた。

 「お説の通り、その方面は海軍として、少し力不足の感があります。しかし、重点(ハワイ空襲)に徹する以上、やむを得ません」

 山下中将は、破顔してうなずいた。山本大将は山下中将より一歳年長で、そして一階級上である。その山本大将が素直に、辛抱をお願いする、との意を込めて答えた。この山本大将の態度は、何より率直さを好む山下中将を喜ばせた。

 山下中将は「なあに、開戦までは向うから手出しするとは思いません。成功しますよ」と言った。

 すると山本大将は「そう。連中にすれば、少しおどかせばこちらは引っ込むと思っているでしょう。上陸作戦も成功を信じております」と答えた。

 山下中将は「上陸すれば、必ず成功します。たとえ、山田長政になっても、必ずシンガポールはおとしてごらんにいれます」と言った。二人は最後には、快く笑い、お互いに成功を祈って別れた。

 昭和十六年十一月十五日、山下中将は第二十五軍司令官としてサイゴンに着任した。山下中将は早速南遣艦隊司令長官・小沢治三郎中将(海兵三七・海大一九)と会見して、上陸援護に関する陸海協定問題に取り組んだ。

 小沢中将は快く全力を挙げて上陸援護に当たる旨を答え、第三飛行集団長・菅原道大中将(陸士二一・陸大三一)もまた、損害をかえりみず上陸日日没までの上空警戒実施を承知した。