陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

550.源田実海軍大佐(10)柴田大尉は「戦闘機無用論」に反対し、源田大尉と激烈に争った

2016年10月07日 | 源田実海軍大佐
 中央当局の腹案の説明に対し、空技廠からは別に異見はなかった。横空の意見を求められた際、大西大佐は、「横空の所見は源田大尉をして述べさせます」と、源田大尉を指定した。源田大尉は次のような意見を述べた。

 「三菱九試単戦が速力や上昇力等、数字で現すことのできる性能について、画期的であることに異存はない。しかし、戦闘機は、上昇力や速力のみによって戦闘するのではない」

 「なるほど、爆撃機や雷撃機を攻撃する場合には、速力、上昇力は最大の要素となるのであるが、対戦闘機戦闘においては必ずしもそうではない。格闘機性能、すなわち旋回性能や微妙な操縦性が重要な要素となるのである」

 「私の考えるところ、単葉機は空戦性能があまりよくない。中島九試単戦はその一例である。三菱戦については実験未済であるが、どうも九五式艦戦の方が優秀なのではないかと思う。従って、今ここで、九五式艦戦を廃止し、三菱戦一本に絞ることは反対である」。

 源田大尉の発言に続いて、大西大佐は次のように述べた。

 「横空の意見は、唯今源田大尉の述べた通りである。中央当局は単に机上の論に頼ることなく、もっと実際に身をもって飛ぶ人の意見を尊重して方針を定められたい」。

 この日の会議は結論を得ることなく、後日に持ち越すことになった。源田大尉ら横空の実験担当者は、その翌日から、三菱九試単戦の空戦実験に取り掛かった。それまでに、射撃や航法、離着陸等の実用実験は終わっていて、いずれも三菱戦の優位を示していた。

 空戦実験の結果は、源田大尉らの予想外のものであった。格闘戦に関する限り、九五式艦戦の優位は動かないと見ていたのであるが、三菱戦と九五式艦戦対決の結果は、問題なく三菱戦に凱歌が挙った。

 先般、陸軍との共同演習で、無類の強さを示した九五式艦戦であったが、三菱九試単戦には敵すべくもなかった。

 約一週間の実験で結論を得たのち、源田大尉らは再び空技廠の会議に臨んだ。劈頭、源田大尉は次のように述べた。

 「先般の会議の席上、私は九五式艦戦が格闘戦に関して優位を持っているであろうと述べたのであるが、その後、実験の結果、三菱九試単戦は、格闘技戦においても射撃性能においても、九五式艦戦に勝っていることが判明した」

 「この飛行機は、私たちが持っている戦闘機の概念を越えたもので、全く画期的な戦闘機である。私は改めて、私の前言を取り消し、不明を謝します」。

 会議終了後、海軍は三菱単戦に“GO AHEAD”(前進)の決定をした。後に九六式艦上戦闘機として日中戦争の当初、大陸の空で縦横の活躍をなし、また有名な零式艦上戦闘機の前身をなしたのは、この三菱九試単戦だった。

 会議が終了した後、横空の士官室に戻り、教頭たる大西大佐の前で、源田大尉は、「私の意見が誤っていたために、教頭はじめ、横空の面目を失墜し、申し訳ありません」と謝った。

 すると、大西大佐は、源田大尉に向かって、次の様に話した。

 「源田、お前は何を言っているんだ。我々は、正しいことを、正しく認めることが大切なのだ。何が国家の為になり、何が国家の発展に役立つのか、それを標準としてものを考え、行動を律すべきである」

 「お前が本日の会議で言ったことは、あれで良いのだ。横空の面目など問題ではない。そんな面目などに、こだわる奴が、うようよしているから、航空の進歩が思うように運ばないのだ。我々は、国家の為に有利となれば、無節操、無定見と罵られようと、毫も意に介すべきでない」。

 源田大尉は、大西大佐の、この言葉ほど、胸を打ったものはなかった。「この人は全く底の知れない人だ」とも思った。大西大佐は、源田大尉の兵術思想、人生観に大きな影響を与えた。

 昭和十年十一月から十一年十一月まで、柴田武雄大尉は、横須賀海軍航空隊戦闘機分隊長だった。柴田大尉は「戦闘機無用論」に反対し、源田大尉と激烈に争った。

 「源田実論」(柴田武雄・思兼書房)によると、「戦闘機無用論」を主唱したのは、戦闘機パイロットであった源田実と小園安名(鹿児島・海兵五一・第一二航空隊飛行隊長・空母「鳳翔」飛行長・中佐・台南航空隊副長兼飛行長・第二五一航空隊副長兼飛行長・第二五一航空隊司令・第三〇二海軍航空隊司令・兼横須賀鎮守府参謀・大佐・兼第三艦隊参謀・終戦・厚木航空隊事件・軍法会議で無期禁錮刑・赦免)であると記している。