軍令部が戦艦大和を建造することを決定した昭和10年頃、大西大佐は軍令部の第二部に座り込み、部長の古賀峯一少将に食い下がったことがある。
「今日、戦艦を新造することは、自動車の時代に八頭建ての馬車を作るようなものだ。だいいち、税金を納める国民に申し訳が立つまい」と主張した。
古賀少将は「大国の皇帝ともなれば、新しい八頭建ての馬車一台も必要だろう」と応酬した。
大西大佐は「それなら四頭建ての建ての馬車一台にしたらどうですか。大和、武蔵の一方を廃して、かつその排水量を五万トン以下にすれば、その余力で空母三隻ができるのです」と熱烈に提言した。
だが古賀少将はそれでも首を縦に振らなかった。
「丸別冊・回想の将軍・提督」(潮書房)に元第二十六航空戦隊先任参謀・海軍中佐の吉岡忠一氏(海兵五十七期)が「日本の敗戦を予言した大西瀧治郎中将」と題して寄稿している。
昭和12年4月9日、吉岡大尉は横須賀海軍航空隊高等科飛行学生に選ばれ、航空戦術を勉強していた。
そこへ突然、大西瀧治郎航空本部総務部長から電話があり、「明日10日午後、話したいことがあるから、君のクラスの飛行機の者数名と東京芝水交社に来てくれ。こちらは、海軍大学の安延多計夫(海兵五十一期)と源田実(海兵五十二期)を呼んでおく」と呼び出しが掛かった。
4月10日、吉岡大尉ら八名は水交社に集まった。大西大佐は出席者を鋭い眼で睨むように話し始めた。
「わが国の想定敵国は米国である。わが海軍の作戦思想は『逸を以て労を迎え討つ』との邀撃作戦で、明治三十八年日本海海戦いらい昭和十二年現時点まで、まったく変わっていない」
「この時期に軍令部や海軍省の偉い方が、大学出(海軍大学校出身者)の兵隊さんたちの意見により密かに排水量七万トンの大和、武蔵の建造を計画し、いよいよ予算を取り実行に移そうと言っている」
「私は大至急この計画を中止するように意見具申する。これが日本のためにいちばん大事なことと信ずる。国のために命を張ってやる」
「大和、武蔵はまったく無用の長物だ。ウドの大木だ。一隻の建造費は二億円かかる。二隻で約四億円だ。四億円あれば何ができるか。鹿屋の飛行場、あの大飛行場をつくるのに五百万円かかる。難攻不落の対空防御砲火を設備して約一千万円」
「二億円あれば二十箇所の飛行場ができる。あと二億円あれば新鋭の戦闘機と爆撃機を各飛行場に展開できる」
「今、無用の不沈戦艦を建造するのをやめて、航空軍備の充実に努めることをやらなければ、米国との戦争は必ず負ける」
大西大佐はそう言って話を締めくくった。吉岡大尉ら一同は感謝感激して解散した。
ところが十日後、吉岡大尉は突然、横須賀航空隊司令・杉山俊亮少将(海兵三十五期)から呼び出しを受けた。そして厳重注意を受けた。
「軍令部総長の宮殿下の厳命である。今後、海軍軍備の問題を口にしないように。君は惜しい人間である。しかし、この問題を口にするようなことがあったら、海軍をやめてもらう。ほかの者にも君から伝えておくように」
「今日、戦艦を新造することは、自動車の時代に八頭建ての馬車を作るようなものだ。だいいち、税金を納める国民に申し訳が立つまい」と主張した。
古賀少将は「大国の皇帝ともなれば、新しい八頭建ての馬車一台も必要だろう」と応酬した。
大西大佐は「それなら四頭建ての建ての馬車一台にしたらどうですか。大和、武蔵の一方を廃して、かつその排水量を五万トン以下にすれば、その余力で空母三隻ができるのです」と熱烈に提言した。
だが古賀少将はそれでも首を縦に振らなかった。
「丸別冊・回想の将軍・提督」(潮書房)に元第二十六航空戦隊先任参謀・海軍中佐の吉岡忠一氏(海兵五十七期)が「日本の敗戦を予言した大西瀧治郎中将」と題して寄稿している。
昭和12年4月9日、吉岡大尉は横須賀海軍航空隊高等科飛行学生に選ばれ、航空戦術を勉強していた。
そこへ突然、大西瀧治郎航空本部総務部長から電話があり、「明日10日午後、話したいことがあるから、君のクラスの飛行機の者数名と東京芝水交社に来てくれ。こちらは、海軍大学の安延多計夫(海兵五十一期)と源田実(海兵五十二期)を呼んでおく」と呼び出しが掛かった。
4月10日、吉岡大尉ら八名は水交社に集まった。大西大佐は出席者を鋭い眼で睨むように話し始めた。
「わが国の想定敵国は米国である。わが海軍の作戦思想は『逸を以て労を迎え討つ』との邀撃作戦で、明治三十八年日本海海戦いらい昭和十二年現時点まで、まったく変わっていない」
「この時期に軍令部や海軍省の偉い方が、大学出(海軍大学校出身者)の兵隊さんたちの意見により密かに排水量七万トンの大和、武蔵の建造を計画し、いよいよ予算を取り実行に移そうと言っている」
「私は大至急この計画を中止するように意見具申する。これが日本のためにいちばん大事なことと信ずる。国のために命を張ってやる」
「大和、武蔵はまったく無用の長物だ。ウドの大木だ。一隻の建造費は二億円かかる。二隻で約四億円だ。四億円あれば何ができるか。鹿屋の飛行場、あの大飛行場をつくるのに五百万円かかる。難攻不落の対空防御砲火を設備して約一千万円」
「二億円あれば二十箇所の飛行場ができる。あと二億円あれば新鋭の戦闘機と爆撃機を各飛行場に展開できる」
「今、無用の不沈戦艦を建造するのをやめて、航空軍備の充実に努めることをやらなければ、米国との戦争は必ず負ける」
大西大佐はそう言って話を締めくくった。吉岡大尉ら一同は感謝感激して解散した。
ところが十日後、吉岡大尉は突然、横須賀航空隊司令・杉山俊亮少将(海兵三十五期)から呼び出しを受けた。そして厳重注意を受けた。
「軍令部総長の宮殿下の厳命である。今後、海軍軍備の問題を口にしないように。君は惜しい人間である。しかし、この問題を口にするようなことがあったら、海軍をやめてもらう。ほかの者にも君から伝えておくように」