陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

411.板倉光馬海軍少佐(11)三人の将星の前で級友たちは借りてきた猫のようにかしこまっていた

2014年02月06日 | 板倉光馬海軍少佐
 そのとき、奥まった数奇屋造りの離れから、にぎやかな嬌声が聞こえた。おそらく偉方とは思ったが、板倉少尉は当たって砕けろとばかり、ガラリと襖を開けた。

 その途端、「何者だッ!」と、いきなり怒鳴りつけられた。板倉少尉は今更逃げ出すわけにもゆかず、腹をすえて部屋に入ると、ごつい顔をした、いが栗頭が睨み付けていた。
 
見たことのある顔だったが、板倉少尉は思い出せなかった。「『青葉』の航海士、板倉少尉であります」と言うと、「何しに来たッ!」と、いが栗頭。

 その怒声で板倉少尉は思い出した。戦艦「山城」(三九一五〇トン)の艦橋で参謀長を叱した、南雲忠一(なぐも・ちゅういち)少将(山形・海兵三六・海大一八・軍令部一部二課長・戦艦「山城」艦長・少将・第一水雷戦隊司令官・水雷学校長。第三戦隊司令官・中将・海軍大学校長・第一航空艦隊司令長官・第三艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・第一艦隊司令長官・中部太平洋方面艦隊司令長官・戦死・大将・功一級)だった。

 板倉少尉が「クラス会にエスがおりませんので、暫時、拝借したいなと思いまして、参上いたしました」と言うと、南雲少将は「クラス会だと……何人だ」と言った。

 板倉少尉が「九名であります」と答えると、南雲少将はとたんに表情をやわらげて、「ところで、俺はなんだと思うか?」と訊いた。

 板倉少尉は、南雲少将が戦艦「山城」艦長から、第一水雷戦隊司令官に栄転したことを、官報で知っていたので、「一水戦の司令官とお見受けします」と答えた。

 すると、南雲少将は「ウン、よく当てた。俺のとなりは……」とさらに訊ねた。おっとりとした、恰幅のよい大人がニヤニヤしていた。

 真ん中にいるので一番先任であろうと、板倉少尉は思ったが、若ぶりの童顔だったので、「旗艦の艦長ではありませんか……」と答えた。

 「貴様はなかなか眼が高い。その次は」と南雲少将。頭髪をのばし、白(はくせき)の細面に眼鏡がよく似合う。どことなく気品があり、物腰がおだやかだったので、板倉少尉は「先任参謀と思います」と答えた。

 その途端に、三人が吹き出した。エスまでが袂を口に当てて、笑いをこらえていた。

 
 破顔哄笑のあと、おっとりした大人が、連合艦隊の参謀長・野村直邦(のむら・なおくに)少将(鹿児島・海兵三五・海大一八次席・ロンドン軍縮会議随員・空母「加賀」艦長・海軍潜水学校長・少将・連合艦隊参謀長・軍令部第三部長・在中華民国大使館附武官・中将・第三遣支艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・大将・海軍大臣・海上護衛総隊司令長官)と分かった。

 また、眼鏡をかけた貴公子は、第一潜水戦隊司令官・小松輝久(こまつ・てるひさ)少将(東京・海兵三七・海大二〇・巡洋艦「那智」艦長・海軍大学校教官・少将・第一潜水戦隊司令官・潜水学校長・海軍大学校教頭・中将・第一遣支艦隊司令長官・第六艦隊司令長官・海軍兵学校長・予備役・正三位・勲一等・侯爵)だった。

 板倉少尉がびっくり仰天していると、ご機嫌ななめの南雲司令官が「貴様が気に入った。エスを貸す代わりに、クラスの者を全部連れて来い」と言った。

 早速、板倉少尉は行燈部屋に帰り、一部始終を話し級友たちを連れてきた。「おい、大丈夫か、そんなところに行って……」。三人の将星の前で、級友たちみんな、借りてきた猫のようにかしこまっていた。

 「今夜は無礼講だ。遠慮せずに飲め……おい、お前は若い者を見ると、すぐに目じりを下げる。早く酌をせんか」と、ひとり南雲司令官だけがはしゃいでいた。

 野村参謀長もまけていなかった。「近頃の若い者はおとなしすぎる……」と、酒をついで回りながら、怪気炎をあげていた。

 ひとり、小松司令官だけが、席にあって静かに杯をふくんでいたので、板倉少尉が重ねて非礼を詫びたところ、「君たちのような元気のある若者が、潜水艦に来るようになるといいがねェ……」と、しんみり述懐した。

 小松少将は、北白川宮輝久王として、金枝玉葉の身だったが、臣籍に降下し、「進んで潜水艦に身を投じたのは、潜水艦に人なきを憂いたからだ」と聞かされた板倉少尉は、グーと胸が締め付けられた。

 板倉少尉が潜水艦志望に踏み切ったのは、この時だった。

 重巡洋艦「青葉」での一年間、艦長・平岡粂一大佐のすすめで、板倉少尉は第一次世界大戦で活躍したUボートの研究に打ち込んだ。