そのとき、奥まった数奇屋造りの離れから、にぎやかな嬌声が聞こえた。おそらく偉方とは思ったが、板倉少尉は当たって砕けろとばかり、ガラリと襖を開けた。
その途端、「何者だッ!」と、いきなり怒鳴りつけられた。板倉少尉は今更逃げ出すわけにもゆかず、腹をすえて部屋に入ると、ごつい顔をした、いが栗頭が睨み付けていた。
見たことのある顔だったが、板倉少尉は思い出せなかった。「『青葉』の航海士、板倉少尉であります」と言うと、「何しに来たッ!」と、いが栗頭。
その怒声で板倉少尉は思い出した。戦艦「山城」(三九一五〇トン)の艦橋で参謀長を叱した、南雲忠一(なぐも・ちゅういち)少将(山形・海兵三六・海大一八・軍令部一部二課長・戦艦「山城」艦長・少将・第一水雷戦隊司令官・水雷学校長。第三戦隊司令官・中将・海軍大学校長・第一航空艦隊司令長官・第三艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・第一艦隊司令長官・中部太平洋方面艦隊司令長官・戦死・大将・功一級)だった。
板倉少尉が「クラス会にエスがおりませんので、暫時、拝借したいなと思いまして、参上いたしました」と言うと、南雲少将は「クラス会だと……何人だ」と言った。
板倉少尉が「九名であります」と答えると、南雲少将はとたんに表情をやわらげて、「ところで、俺はなんだと思うか?」と訊いた。
板倉少尉は、南雲少将が戦艦「山城」艦長から、第一水雷戦隊司令官に栄転したことを、官報で知っていたので、「一水戦の司令官とお見受けします」と答えた。
すると、南雲少将は「ウン、よく当てた。俺のとなりは……」とさらに訊ねた。おっとりとした、恰幅のよい大人がニヤニヤしていた。
真ん中にいるので一番先任であろうと、板倉少尉は思ったが、若ぶりの童顔だったので、「旗艦の艦長ではありませんか……」と答えた。
「貴様はなかなか眼が高い。その次は」と南雲少将。頭髪をのばし、白(はくせき)の細面に眼鏡がよく似合う。どことなく気品があり、物腰がおだやかだったので、板倉少尉は「先任参謀と思います」と答えた。
その途端に、三人が吹き出した。エスまでが袂を口に当てて、笑いをこらえていた。
破顔哄笑のあと、おっとりした大人が、連合艦隊の参謀長・野村直邦(のむら・なおくに)少将(鹿児島・海兵三五・海大一八次席・ロンドン軍縮会議随員・空母「加賀」艦長・海軍潜水学校長・少将・連合艦隊参謀長・軍令部第三部長・在中華民国大使館附武官・中将・第三遣支艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・大将・海軍大臣・海上護衛総隊司令長官)と分かった。
また、眼鏡をかけた貴公子は、第一潜水戦隊司令官・小松輝久(こまつ・てるひさ)少将(東京・海兵三七・海大二〇・巡洋艦「那智」艦長・海軍大学校教官・少将・第一潜水戦隊司令官・潜水学校長・海軍大学校教頭・中将・第一遣支艦隊司令長官・第六艦隊司令長官・海軍兵学校長・予備役・正三位・勲一等・侯爵)だった。
板倉少尉がびっくり仰天していると、ご機嫌ななめの南雲司令官が「貴様が気に入った。エスを貸す代わりに、クラスの者を全部連れて来い」と言った。
早速、板倉少尉は行燈部屋に帰り、一部始終を話し級友たちを連れてきた。「おい、大丈夫か、そんなところに行って……」。三人の将星の前で、級友たちみんな、借りてきた猫のようにかしこまっていた。
「今夜は無礼講だ。遠慮せずに飲め……おい、お前は若い者を見ると、すぐに目じりを下げる。早く酌をせんか」と、ひとり南雲司令官だけがはしゃいでいた。
野村参謀長もまけていなかった。「近頃の若い者はおとなしすぎる……」と、酒をついで回りながら、怪気炎をあげていた。
ひとり、小松司令官だけが、席にあって静かに杯をふくんでいたので、板倉少尉が重ねて非礼を詫びたところ、「君たちのような元気のある若者が、潜水艦に来るようになるといいがねェ……」と、しんみり述懐した。
小松少将は、北白川宮輝久王として、金枝玉葉の身だったが、臣籍に降下し、「進んで潜水艦に身を投じたのは、潜水艦に人なきを憂いたからだ」と聞かされた板倉少尉は、グーと胸が締め付けられた。
板倉少尉が潜水艦志望に踏み切ったのは、この時だった。
重巡洋艦「青葉」での一年間、艦長・平岡粂一大佐のすすめで、板倉少尉は第一次世界大戦で活躍したUボートの研究に打ち込んだ。
その途端、「何者だッ!」と、いきなり怒鳴りつけられた。板倉少尉は今更逃げ出すわけにもゆかず、腹をすえて部屋に入ると、ごつい顔をした、いが栗頭が睨み付けていた。
見たことのある顔だったが、板倉少尉は思い出せなかった。「『青葉』の航海士、板倉少尉であります」と言うと、「何しに来たッ!」と、いが栗頭。
その怒声で板倉少尉は思い出した。戦艦「山城」(三九一五〇トン)の艦橋で参謀長を叱した、南雲忠一(なぐも・ちゅういち)少将(山形・海兵三六・海大一八・軍令部一部二課長・戦艦「山城」艦長・少将・第一水雷戦隊司令官・水雷学校長。第三戦隊司令官・中将・海軍大学校長・第一航空艦隊司令長官・第三艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・第一艦隊司令長官・中部太平洋方面艦隊司令長官・戦死・大将・功一級)だった。
板倉少尉が「クラス会にエスがおりませんので、暫時、拝借したいなと思いまして、参上いたしました」と言うと、南雲少将は「クラス会だと……何人だ」と言った。
板倉少尉が「九名であります」と答えると、南雲少将はとたんに表情をやわらげて、「ところで、俺はなんだと思うか?」と訊いた。
板倉少尉は、南雲少将が戦艦「山城」艦長から、第一水雷戦隊司令官に栄転したことを、官報で知っていたので、「一水戦の司令官とお見受けします」と答えた。
すると、南雲少将は「ウン、よく当てた。俺のとなりは……」とさらに訊ねた。おっとりとした、恰幅のよい大人がニヤニヤしていた。
真ん中にいるので一番先任であろうと、板倉少尉は思ったが、若ぶりの童顔だったので、「旗艦の艦長ではありませんか……」と答えた。
「貴様はなかなか眼が高い。その次は」と南雲少将。頭髪をのばし、白(はくせき)の細面に眼鏡がよく似合う。どことなく気品があり、物腰がおだやかだったので、板倉少尉は「先任参謀と思います」と答えた。
その途端に、三人が吹き出した。エスまでが袂を口に当てて、笑いをこらえていた。
破顔哄笑のあと、おっとりした大人が、連合艦隊の参謀長・野村直邦(のむら・なおくに)少将(鹿児島・海兵三五・海大一八次席・ロンドン軍縮会議随員・空母「加賀」艦長・海軍潜水学校長・少将・連合艦隊参謀長・軍令部第三部長・在中華民国大使館附武官・中将・第三遣支艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・大将・海軍大臣・海上護衛総隊司令長官)と分かった。
また、眼鏡をかけた貴公子は、第一潜水戦隊司令官・小松輝久(こまつ・てるひさ)少将(東京・海兵三七・海大二〇・巡洋艦「那智」艦長・海軍大学校教官・少将・第一潜水戦隊司令官・潜水学校長・海軍大学校教頭・中将・第一遣支艦隊司令長官・第六艦隊司令長官・海軍兵学校長・予備役・正三位・勲一等・侯爵)だった。
板倉少尉がびっくり仰天していると、ご機嫌ななめの南雲司令官が「貴様が気に入った。エスを貸す代わりに、クラスの者を全部連れて来い」と言った。
早速、板倉少尉は行燈部屋に帰り、一部始終を話し級友たちを連れてきた。「おい、大丈夫か、そんなところに行って……」。三人の将星の前で、級友たちみんな、借りてきた猫のようにかしこまっていた。
「今夜は無礼講だ。遠慮せずに飲め……おい、お前は若い者を見ると、すぐに目じりを下げる。早く酌をせんか」と、ひとり南雲司令官だけがはしゃいでいた。
野村参謀長もまけていなかった。「近頃の若い者はおとなしすぎる……」と、酒をついで回りながら、怪気炎をあげていた。
ひとり、小松司令官だけが、席にあって静かに杯をふくんでいたので、板倉少尉が重ねて非礼を詫びたところ、「君たちのような元気のある若者が、潜水艦に来るようになるといいがねェ……」と、しんみり述懐した。
小松少将は、北白川宮輝久王として、金枝玉葉の身だったが、臣籍に降下し、「進んで潜水艦に身を投じたのは、潜水艦に人なきを憂いたからだ」と聞かされた板倉少尉は、グーと胸が締め付けられた。
板倉少尉が潜水艦志望に踏み切ったのは、この時だった。
重巡洋艦「青葉」での一年間、艦長・平岡粂一大佐のすすめで、板倉少尉は第一次世界大戦で活躍したUボートの研究に打ち込んだ。