陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

507.永田鉄山陸軍中将(7)世界情勢の変化に、硬直した軍の上層部は対応できていない

2015年12月11日 | 永田鉄山陸軍中将
 「バーデン・バーデンの密約」が行われた、大正十年十月二十七日の時点で、永田鉄山少佐はスイス公使館附武官、小畑敏四郎少佐はロシア大使館附武官、岡村寧次少佐は欧州に出張中だった。会談の具体的内容の概略は次のようなものだった。

 まず、長州軍閥の打破であった。明治以来、日本陸軍は、山縣有朋ら長州閥により人事が行われて来た。この長州閥の構造を破壊しないと強力な国防国家は構築できない。

 次に、第一次世界大戦の結果、戦争はもはや軍事的戦略だけでは勝てず、国家総力戦の様相を示していた。陸軍としては、国家総動員体制構築のためどのように改革していくべきか。

 また、ソビエト共産主義国家の脅威である。軍事大国となったソビエトは、仮想敵国としても、その計り知れない軍事力にどう立ち向かうのか。

 この様な世界情勢の変化に、硬直した軍の上層部は対応できていない現状から、自分たちが結束し、思い切った陸軍の軍制改革を実現する。

 以上であるが、この「バーデン・バーデンの密約」について、当事者の一人である岡村寧次元陸軍大将は、その成り行きを、日記に次のように記している。

 「小畑と共に、午後十時五十分、バーデン・バーデン着。永田と堅き握手をなし、三人共に同一ホテルに投宿。快談一時に及び、隣室より小言を言われて就寝す。二十八日には付近を逍遥見物したが、夕食後、永田と飲みつつ三更帰泊就寝。翌二十九日、袂をわかちて小畑と共にベルリンに帰る」。

 さらに、「昭和陸軍秘史」(中村菊男・番町書房)によると、岡村寧次元陸軍大将は戦後、著者の中村菊男氏(慶応大学法学部教授・法学博士)との対談で、「バーデン・バーデンの密約」の中身について、また、統制派軍閥の発生と発展について、次のように証言している(要旨抜粋)。

 大正十年に南ドイツのバーデン・バーデンで、永田鉄山と小畑敏四郎と私とが革命のノロシをあげたというようなことが書いてある。それは大げさで、そのときは満州問題なんかという他国のことはいっさい考えませんで、陸軍の革新ということを三人で考えたのです。

 その時は本気になりました。その革新という意味は、正直に言って、第一は人事がそのことは閥なんですね。一種の長州閥で専断の人事をやってるのと、もう一つは、軍が統帥権によって、国民と離れておった。

 これを国民と共にという方向に変えなければいかん、三人で決心してやろうと言ったことは事実です。ヨーロッパに行ってその軍事状況を見たものですから。三人とも少佐時代で、これが始まりなんです。

 陸士同期生は、我々三人と、次の人々ですが、これはよほど後になってからです。

 小笠原数夫(福岡・陸大二八・関東軍飛行集団長・中将・陸軍航空本部総務部長)。

 磯谷廉介(兵庫・陸大二七・参謀本部第二部長・支那大使館附武官・陸軍省軍務局長・中将・関東軍参謀長)。

 板垣征四郎(岩手・陸大二八・関東軍参謀長・中将・第五師団長・陸軍大臣・大将・朝鮮軍司令官・第七方面軍司令官・A級戦犯で死刑)。

 土肥原賢二(岡山・陸大二四・奉天特務機関長・中将・第一四師団長・陸軍士官学校長・大将・東部軍司令官・第七方面軍司令官・教育総監・第一総軍司令官・A級戦犯で死刑)。

 黒木親慶(宮崎・陸大二四・士官学校教官・ロシア駐在・少佐・シベリア出兵で反革命派のセミョーノフ軍の顧問を務めたが、陸軍中央がセミョーノフ支援を中止したため解任、帰国・退役・三六倶楽部会長)、小野弘毅(歩兵第二一連隊長・歩兵第四連隊長・少将)。

 我々同期だけではいかんからというので、ちょうどライプチヒに留学しておった東條英機(岩手・陸士一七・陸大二七・陸軍省軍事調査部長・関東憲兵隊司令官・中将・関東軍参謀長・陸軍次官・陸軍航空総監兼陸軍航空本部長・陸軍大臣・大将・首相・兼参謀総長・A級戦犯で死刑)のところに私が行って説いて、まず、十六期、十七期で始まったわけです。

 それで、「自分より上の期の者でも加担してくれる人がいるよ」ということになって、十四期の小川恒三郎(新潟・陸士一四・陸大二三・歩兵第一旅団長・参謀本部第四部長・墜死・中将進級)、十五期の河本大作(兵庫・陸士一五・陸大二六・参謀本部支那課支那班長・歩兵大佐・関東軍高級参謀・第九師団司令部附・停職・予備役・満鉄理事・満州炭坑株式会社理事長・満州重工業理事・山西産業社長)、山岡重厚(高知・陸士一五・陸大二五・陸軍省軍務局長・陸軍省整備局長・中将・第九師団長・予備役・第一〇九師団長・善通寺師管区司令官)にも入ってもらった。