真人は「前原先生この度深く思い立たれる事あって、兄様をお招きになります。兄さんに由って軍に光輝を添えようと思し召します。一度萩へお越し下さることはできませんか」と、長いヒゲを捻りながら言った。
乃木少佐は「乃公(わし)は連隊長じゃ。天皇陛下の軍人じゃ。そのつもりで物を言え」と言った。
真人は「前原先生の思し召しも陛下にお叛きなさるお心はございません。ただ、君側に蔓(はびこ)る奸賊を誅伐して国運の進歩を謀ろうと……」と言った。
乃木少佐は「貴様、前原さんの企てに同意したか、まずそれを聞こう」と尋ねた。すると真人は熱心に次のように説き立てた。
「私は前原先生の御主意を正当と認めます。前原先生忠義のお精神には誰一人感激せぬ者はありません。私は一命を捧げて先生幕下に加わります。玉木のお父様は自ら進んでお味方はなさらんでしょうが、私や門人衆が前原先生のお側へ参るのをお引止めにはなりません」
「兄さんも覚悟して下さい。兄さんは正義に強いお方です。一人の弟を見殺しになさる事はないでしょう。玉木のお父様とは莫逆(ばくぎゃく=逆らうことのない)の交際を持っていらっしゃる前原先生を猛火の中へお捨てなさる事はないでしょう」。
乃木少佐は黙って聞いていたが「乃木家は神聖じゃ。前原さんの企ては反逆じゃ。反逆に大義名分は無い」と言った。
真人は「兄さんはお味方なさらんのですか」と尋ねた。これに対して、乃木少佐は重々しく次のように答えた。
「私は陸軍歩兵少佐じゃ。陛下の軍人じゃ。連隊旗を守護する連隊長じゃ。これを見よ、ここに連隊旗がある。これに軍人の精神が籠もっている」
「連隊旗授与の際は之を持って国家を守護せよとの御諚(ごじょう=主君の命令)が下る。如何なる事情があっても、叛逆に与することが国家守護の大精神に添うとは思わぬ」。
当時の連隊旗は連隊長の官舎に守護されていた。連隊長の書院の床の間には必ず連隊旗が置かれてあった。「死を持って守護すべし」との精神は常に連隊長の念頭を去らなかったのである。
乃木少佐は、その神聖な連隊旗の前に於いて、弟の真人を説諭するのであった。
真人は「然し兄さん、政治の中心が腐れては軍旗を神聖に保護する事もできません。前原先生の企ては叛逆じゃないのです。国家の為に君側の奸を除き死を以って忠義の精神を貫こうと為さるのです」と応じた。
乃木少佐は「乃公は取らぬ。お前も近江源氏の血を享けている大義名分を以って生命を為された玉木先生までを叛逆の渦中に入れるのは善くない。よく考えろ、大事なところだ。東京にはお父様もお母様も在らせられる」と諭した。
真人は「お父様にもお母様にもお暇乞いをして参りました。私の心は揺るぎません。私には考える余地を持ちません」ときっぱりと言った。
乃木少佐は「じゃ、どうしても叛逆人になるか」と問うた。
真人は「前原先生の御主意に由って動きます」と答えた。
乃木少佐は「乃公は軍人だ。陛下の御命令に由る外一寸も動かん。誰の言う事も聞かん」と断言した。
兄弟の議論は容易に決しなかった。午前十一時頃から始まって、午後三時頃に終わった。次の間には乃木少佐の命を受けた部下の二人の尉官が固唾を飲んで聞いていた。
兄弟は相持して下らぬ結果、一時は刺し違えて死ぬような事がありはせぬかとまで危ぶまれた。
そのうちに、乃木少佐が「じゃ、立派に死ね」と言った。
続いて真人が「見事に死にます。仮令(たとい)賊名は受くるとも、一たんの約束を反古にする事はできません」と慄う声で答えた。
乃木少佐は「乃公は軍人として勤むべき事を勤める。するとこれが永別じゃ」と言った。
真人は、しばらくして「再びお目に掛かりません。先生の御命令に由る外は二度と小倉の地を踏みません」と言った。
乃木少佐は「乃公(わし)は連隊長じゃ。天皇陛下の軍人じゃ。そのつもりで物を言え」と言った。
真人は「前原先生の思し召しも陛下にお叛きなさるお心はございません。ただ、君側に蔓(はびこ)る奸賊を誅伐して国運の進歩を謀ろうと……」と言った。
乃木少佐は「貴様、前原さんの企てに同意したか、まずそれを聞こう」と尋ねた。すると真人は熱心に次のように説き立てた。
「私は前原先生の御主意を正当と認めます。前原先生忠義のお精神には誰一人感激せぬ者はありません。私は一命を捧げて先生幕下に加わります。玉木のお父様は自ら進んでお味方はなさらんでしょうが、私や門人衆が前原先生のお側へ参るのをお引止めにはなりません」
「兄さんも覚悟して下さい。兄さんは正義に強いお方です。一人の弟を見殺しになさる事はないでしょう。玉木のお父様とは莫逆(ばくぎゃく=逆らうことのない)の交際を持っていらっしゃる前原先生を猛火の中へお捨てなさる事はないでしょう」。
乃木少佐は黙って聞いていたが「乃木家は神聖じゃ。前原さんの企ては反逆じゃ。反逆に大義名分は無い」と言った。
真人は「兄さんはお味方なさらんのですか」と尋ねた。これに対して、乃木少佐は重々しく次のように答えた。
「私は陸軍歩兵少佐じゃ。陛下の軍人じゃ。連隊旗を守護する連隊長じゃ。これを見よ、ここに連隊旗がある。これに軍人の精神が籠もっている」
「連隊旗授与の際は之を持って国家を守護せよとの御諚(ごじょう=主君の命令)が下る。如何なる事情があっても、叛逆に与することが国家守護の大精神に添うとは思わぬ」。
当時の連隊旗は連隊長の官舎に守護されていた。連隊長の書院の床の間には必ず連隊旗が置かれてあった。「死を持って守護すべし」との精神は常に連隊長の念頭を去らなかったのである。
乃木少佐は、その神聖な連隊旗の前に於いて、弟の真人を説諭するのであった。
真人は「然し兄さん、政治の中心が腐れては軍旗を神聖に保護する事もできません。前原先生の企ては叛逆じゃないのです。国家の為に君側の奸を除き死を以って忠義の精神を貫こうと為さるのです」と応じた。
乃木少佐は「乃公は取らぬ。お前も近江源氏の血を享けている大義名分を以って生命を為された玉木先生までを叛逆の渦中に入れるのは善くない。よく考えろ、大事なところだ。東京にはお父様もお母様も在らせられる」と諭した。
真人は「お父様にもお母様にもお暇乞いをして参りました。私の心は揺るぎません。私には考える余地を持ちません」ときっぱりと言った。
乃木少佐は「じゃ、どうしても叛逆人になるか」と問うた。
真人は「前原先生の御主意に由って動きます」と答えた。
乃木少佐は「乃公は軍人だ。陛下の御命令に由る外一寸も動かん。誰の言う事も聞かん」と断言した。
兄弟の議論は容易に決しなかった。午前十一時頃から始まって、午後三時頃に終わった。次の間には乃木少佐の命を受けた部下の二人の尉官が固唾を飲んで聞いていた。
兄弟は相持して下らぬ結果、一時は刺し違えて死ぬような事がありはせぬかとまで危ぶまれた。
そのうちに、乃木少佐が「じゃ、立派に死ね」と言った。
続いて真人が「見事に死にます。仮令(たとい)賊名は受くるとも、一たんの約束を反古にする事はできません」と慄う声で答えた。
乃木少佐は「乃公は軍人として勤むべき事を勤める。するとこれが永別じゃ」と言った。
真人は、しばらくして「再びお目に掛かりません。先生の御命令に由る外は二度と小倉の地を踏みません」と言った。