陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

730.野村吉三郎海軍大将(30)アメリカ政府は海軍軍縮と太平洋・極東問題についての会議開催を日本に申し入れてきた

2020年03月20日 | 野村吉三郎海軍大将
 そういう状況から大正十年七月、アメリカ政府は海軍軍縮と太平洋・極東問題についての会議開催を日本に申し入れてきた。

 参加国は、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアとその関係諸国だった。

 日本は、他の諸問題は別として、海軍軍縮に関する限りは内心考慮しつつあった矢先だから、直ちに参加を受諾した。

 大正十年十一月十二日から大正十一年二月六日まで、アメリカのワシントンD.C.で国際軍縮会議が開催された。ワシントン会議である。

 参加国は、日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、中華民国、オランダ、ベルギー、ポルトガルの九か国だった。

 当時のアメリカ大統領は、ウォレン・ハーディング(オハイオ州コルシカ<父は博士で教師のち新聞社経営・母は医師>オハイオセントラル大学卒・新聞「マリオン・デイリー・スター」経営・オハイオ州議会議員・オハイオ州副知事・上院議員・アメリカ合衆国大統領・スキャンダル勃発・大統領として全国遊説中に一九二三年<大正十二年>八月二日食中毒・肺炎・脳梗塞で死去・享年五十七歳)だった。

 日本の首相は、高橋是清(たかはし・これきよ・東京<父は幕府御用絵師>・高橋覚治<仙台藩足軽>の養子となる・ヘボン塾<現・明治学院大学>卒・藩命でアメリカ留学・奴隷となる・文部省入省・大学予備門講師・共立学校<現・開成中学校・高校>校長・農商務省特許局初代局長・ペルーで銀鉱事業に失敗・帰国後ホームレスになる・日本銀行・日本銀行副総裁・貴族院議員・日本銀行総裁・大蔵大臣・立憲政友会入党・第二十代内閣総理大臣・農商務大臣・政界引退・大蔵大臣・昭和十一年二月二十六日二・二六事件で暗殺される・享年八十三歳・子爵・正二位・大勲位菊花大綬章・フランスレジオンドヌール勲章グランクロワ等)だった。

 日本は、ワシントン会議全権に、海軍大臣・加藤友三郎大将と、次の三人を任命した。

 貴族院議長・徳川家達(とくがわ・いえさと)公爵(東京<父は徳川慶頼=第十四代将軍徳川家茂の将軍後見職>明治維新・駿府藩主七〇万石・従四位左近衛権少将・従三位左近衛権中将・静岡潘知事・イギリスのイートンカレッジ留学・帰国後近衛泰子と結婚・公爵・貴族院議員・貴族院議長・ワシントン会議全権・恩賜財団済生会会長・明治神宮奉賛会会長・日本蹴球協会名誉会長・第六代日本赤十字社社長・第十二回オリンピック東京大会組織委員会委員長・昭和十五年六月五日死去・享年七十六歳・公爵・従一位・大勲位菊花大綬章)。

 駐米大使・幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう<父は豪農>第三高等中学校卒・首席・東京帝国大学法科大学卒・農商務省入省・外務省・仁川・ロンドン等の領事館勤務・ワシントン・ロンドン大使館参事官・オランダ公使・外務次官・駐米大使・ワシントン会議全権・外務大臣・幣原外交を貫く・満州事変の収拾に失敗・政界引退・内閣総理大臣臨時代理・終戦・内閣総理大臣・吉田内閣国務大臣・民主自由党・衆議院議長・昭和二十六年三月十日議長在任中に心筋梗塞で死去・享年七十八歳・従一位・勲一等旭日桐花大綬章・フランスレジオンドヌール勲章グランクロワ等)。

 外務次官・埴原正直(はにはら・まさなお・山梨・東京専門学校卒・東洋経済新報社・「外交時報」刊行・外務省入省・中国・アモイ領事館補・駐サンフランシスコ総領事・通商局長・政務局長・外務次官・ワシントン会議全権・駐米大使・昭和九年十二月二十日死去・享年五十八歳・正三位・旭日中綬章・ローマ教皇庁サンシルペストル勲章グランクロア)。

 随員は次の通り(肩書は随員任命前のもの)。

 法制局長官・横田千之助、法学博士・立作太郎、外務参事官・林毅陸、外務省欧米局長・松平恒雄、在アメリカ大使館一等書記官・出淵勝次、外務官僚・有田八郎、在アメリカ大使館一等書記官・佐分利貞男、外務省情報部第一課長・高尾亨。

 陸海軍の随員は次の通り。

 海軍大学校校長・加藤寛治(かとう・ひろはる)海軍中将(福井・海兵一八期・首席・在英国大使館附武官・大佐・海軍兵学校教頭・巡洋戦艦「筑波」艦長・巡洋戦艦「伊吹」艦長・第二艦隊参謀長心得・巡洋戦艦「比叡」艦長・少将・海軍砲術学校校長・第五戦隊司令官・横須賀鎮守府参謀長・欧米各国出張・海軍大学校校長・中将・ワシントン会議主席随員・軍令部次長・第二艦隊司令長官・横須賀鎮守府司令長官・連合艦隊司令長官・大将・軍令部長・軍事参議官・議定官・昭和十四年二月九日脳出血で死去・享年六十九歳・正二位・勲一等旭日大綬章・フランスレジオンドヌール勲章グラントフィシェ等)。