「縦横談か・・・ハッハッ!」。山下少将は肥満した身体をゆすぶって言った。「特別これという話も無いがね・・・ニ、三日前、相沢三郎中佐(陸士二二)のところへ、面会に行ってきたよ」。
「相沢中佐は元気でしたか」と青年将校が問うと、山下少将は次のように答えた。
「元気だ。奴ももう悟り済まして、参禅を地で行っているような気持ちでいるようだ。オレは別に何も言うことはないから、禅も武士道も帰すところは同じだから、武士道を守らにゃいかん、と話した」
「相沢は喜んでね・・・・あの兇行の日に、廊下でオレから『静かにせにゃいかん』と言われたことを、しきりに感謝していた。オレの声が耳に入ったんで、自分は落ち着きを取り戻し、神気に打たれたような爽やかな気分になりました、と何度も繰り返してたよ」
これは山下少将の自慢話だったが、青年将校たちは、生真面目な顔つきで拝聴した。山下少将は続けた。
「そういったところが、いかにも相沢でね・・・・オレが帰ろうとしたら、閣下、と呼び止められてね・・・国家非常の際ですから、どうか閣下も御国のために確りやって下さい! オレは気合をかけられて、帰ってきた」
和やかな笑いが、まき起こった。山下少将は若い者らの笑いを、気持ちよさそうに見やっていたが、やがて目をすぼめるようにして、左右を見回し、「あれだってね・・・・・大きな声がしたそうだね」と前置きしてから、軍刀の柄を両手で握って刺す真似をして「相沢がやったとき、ギャーッ! と、実に大きな悲鳴をあげたそうだよ」と言った。
ギャーッ! と、悲鳴をあげたのは軍務局長・永田鉄山陸軍少将(陸士一六首席・陸大二三次席)のことだった。だが、青年将校たちは、今度は誰も笑わなかった。ただ、目を見張っているだけだった。山下少将は薄笑いをぎこちなく引っ込めた。
話が「十一月事件」にふれた。「アノ事件では、永田は小細工をやりすぎたよ」と山下少将は言い、次のように話を続けた。
「大体、おかしいじゃないか。士官候補生を逮捕するのに、生徒隊長や学校長は何も知らないで、軍務局長と陸軍次官だけでやっておる・・・・あれはいかん。小細工はいかんよ、大鉈で行かにゃ!」
やっぱりそうか、村中や磯部が躍起になっている通り、やはり永田の策謀で、辻政信大尉は永田に踊らされてやったのだな、と、そんな表情が青年将校たちの顔に浮かんだ。
話は次第に現在の時局問題にふれてきた。青年将校たちは山下少将が陸軍省の調査部長として、どのような認識を持っているか知ろうとして熱心に耳を傾けた。だが、山下少将の話はのらりくらりとして、核心を外れ、つかみ所が無かった。
とうとう安藤大尉が「岡田啓介総理(海兵一五・海大二)はどうですか」と質問した。すると山下少将は、大きな二重まぶたの目を、ピカリと光らせて、「岡田なんか、ぶった斬るんだ!」と声に力を入れて言った。
山下邸からの帰途、青年将校たちは話し合った。新井勲中尉(陸士四三)が「安藤さん、山下閣下は、岡田はぶった斬るんだ・・・といいましたね?」「うん、言った」「あれは一体どういう意味なんですか」「どういう意味か・・・・俺にもよく分からん」「ほんとに、ぶった斬れ、というんでしょうか」「さあ?」安藤大尉は首をひねって、あとは重苦しく押し黙った。
だが、この「岡田なんか、ぶった斬るんだ!」の一言が、青年将校たちを二・二六事件に突っ走らせたという人々もいる。だが、青年将校たちはそれほど単純ではない。上層部へのつながりができたと力強く思った程度であろう。
「日本を震撼させた四日間」(新井勲・文春文庫)によると、このときの山下少将訪問の感想を、新井勲中尉は次のように述べている。
「山下の語る所はまことにつまらぬものばかりであった。ほかの者は知らぬが、実は、私としては非常に失望した。今迄軍の中央部には、政府よりも何よりも期待と尊敬とをもっていたものだが、その脳味噌のカラッポを見せ付けられたからだ」
だが、山下少将の青年将校に対する扇動は、二・二六事件の発生を考えると、あまりに重大すぎた。特に、天皇陛下の怒りは頂点に達したと言われている。
「評伝・真崎甚三郎」(田崎末松・芙蓉書房)によると、山下工作で最も象徴的だったのが、二月十三日の会見だった。この日山下邸を訪れたのは、安藤輝三大尉(陸士三八)と、野中四郎大尉(陸士三六)だった。
二人は「蹶起趣意書」を携行していた。山下少将が現れると、「閣下、蹶起趣意書であります」と、テーブルの上に広げた。
山下少将は無言で一読したが、やがて筆をとると、数箇所添削した。野中大尉と安藤大尉は息をのんで山下少将を凝視した。
「相沢中佐は元気でしたか」と青年将校が問うと、山下少将は次のように答えた。
「元気だ。奴ももう悟り済まして、参禅を地で行っているような気持ちでいるようだ。オレは別に何も言うことはないから、禅も武士道も帰すところは同じだから、武士道を守らにゃいかん、と話した」
「相沢は喜んでね・・・・あの兇行の日に、廊下でオレから『静かにせにゃいかん』と言われたことを、しきりに感謝していた。オレの声が耳に入ったんで、自分は落ち着きを取り戻し、神気に打たれたような爽やかな気分になりました、と何度も繰り返してたよ」
これは山下少将の自慢話だったが、青年将校たちは、生真面目な顔つきで拝聴した。山下少将は続けた。
「そういったところが、いかにも相沢でね・・・・オレが帰ろうとしたら、閣下、と呼び止められてね・・・国家非常の際ですから、どうか閣下も御国のために確りやって下さい! オレは気合をかけられて、帰ってきた」
和やかな笑いが、まき起こった。山下少将は若い者らの笑いを、気持ちよさそうに見やっていたが、やがて目をすぼめるようにして、左右を見回し、「あれだってね・・・・・大きな声がしたそうだね」と前置きしてから、軍刀の柄を両手で握って刺す真似をして「相沢がやったとき、ギャーッ! と、実に大きな悲鳴をあげたそうだよ」と言った。
ギャーッ! と、悲鳴をあげたのは軍務局長・永田鉄山陸軍少将(陸士一六首席・陸大二三次席)のことだった。だが、青年将校たちは、今度は誰も笑わなかった。ただ、目を見張っているだけだった。山下少将は薄笑いをぎこちなく引っ込めた。
話が「十一月事件」にふれた。「アノ事件では、永田は小細工をやりすぎたよ」と山下少将は言い、次のように話を続けた。
「大体、おかしいじゃないか。士官候補生を逮捕するのに、生徒隊長や学校長は何も知らないで、軍務局長と陸軍次官だけでやっておる・・・・あれはいかん。小細工はいかんよ、大鉈で行かにゃ!」
やっぱりそうか、村中や磯部が躍起になっている通り、やはり永田の策謀で、辻政信大尉は永田に踊らされてやったのだな、と、そんな表情が青年将校たちの顔に浮かんだ。
話は次第に現在の時局問題にふれてきた。青年将校たちは山下少将が陸軍省の調査部長として、どのような認識を持っているか知ろうとして熱心に耳を傾けた。だが、山下少将の話はのらりくらりとして、核心を外れ、つかみ所が無かった。
とうとう安藤大尉が「岡田啓介総理(海兵一五・海大二)はどうですか」と質問した。すると山下少将は、大きな二重まぶたの目を、ピカリと光らせて、「岡田なんか、ぶった斬るんだ!」と声に力を入れて言った。
山下邸からの帰途、青年将校たちは話し合った。新井勲中尉(陸士四三)が「安藤さん、山下閣下は、岡田はぶった斬るんだ・・・といいましたね?」「うん、言った」「あれは一体どういう意味なんですか」「どういう意味か・・・・俺にもよく分からん」「ほんとに、ぶった斬れ、というんでしょうか」「さあ?」安藤大尉は首をひねって、あとは重苦しく押し黙った。
だが、この「岡田なんか、ぶった斬るんだ!」の一言が、青年将校たちを二・二六事件に突っ走らせたという人々もいる。だが、青年将校たちはそれほど単純ではない。上層部へのつながりができたと力強く思った程度であろう。
「日本を震撼させた四日間」(新井勲・文春文庫)によると、このときの山下少将訪問の感想を、新井勲中尉は次のように述べている。
「山下の語る所はまことにつまらぬものばかりであった。ほかの者は知らぬが、実は、私としては非常に失望した。今迄軍の中央部には、政府よりも何よりも期待と尊敬とをもっていたものだが、その脳味噌のカラッポを見せ付けられたからだ」
だが、山下少将の青年将校に対する扇動は、二・二六事件の発生を考えると、あまりに重大すぎた。特に、天皇陛下の怒りは頂点に達したと言われている。
「評伝・真崎甚三郎」(田崎末松・芙蓉書房)によると、山下工作で最も象徴的だったのが、二月十三日の会見だった。この日山下邸を訪れたのは、安藤輝三大尉(陸士三八)と、野中四郎大尉(陸士三六)だった。
二人は「蹶起趣意書」を携行していた。山下少将が現れると、「閣下、蹶起趣意書であります」と、テーブルの上に広げた。
山下少将は無言で一読したが、やがて筆をとると、数箇所添削した。野中大尉と安藤大尉は息をのんで山下少将を凝視した。