OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

先生、ありがとう!

2008-12-29 18:44:39 | Weblog
昨日、交通ルールの話をしましたが・・・今日、面接のあった会社の近くの横断歩道では、歩行者用信号機に電光掲示板が付いていて、青信号の横で「青になってから渡ってください」って光ってました。おいおい(^^;。

そして、その面接ですが・・・ありゃ、駄目だろうな・・・かなり見込み薄な感じです(^^;。かなりシッカリとした専門知識や経験を欲しがっているようで・・・ちょっと無理かなっと思います。こちらは、いくらでも努力しますけどね。調べて書くの好きですし・・・特に新しい分野の事柄を調べるの好きですから。もちろん、理系の専門書や技術系のマニュアル本になると、ずぶの素人には絶対無理・・・付け焼刃の努力で補えるようなものじゃないんですが・・・そうじゃないものなら、たいていは大丈夫ですが・・・出版社の担当さんにしてみれば、それを信じて発注するのは冒険ですものね。だから、たぶん無理です。

ちょっと大きな仕事だったので、受注できたら、3ヵ月ほどは新規の仕事はとらずに、仕事量を調整しなきゃなって思ってたんですが、どうやら、その必要はないようなので・・・新年からの仕事、ぼちぼち見つけていかなくちゃ干上がっちゃいますぜ(^^;。

というわけで、今日は、面接に行く道すがらに見たものから、ちょいと話題を拾ってみます。

電車から、車窓の風景を見ていて気付いたんですが・・・最近の家の屋根の瓦の色って、ほとんど濃淡なく同じ色なんですね。

時々、お話していると思いますが、わたしの小学五年&六年の時の担任の先生が、かなり変わった授業をする方だったんですよ。普通の授業も、ちゃんとしていらしたと思うんですが、ほとんど記憶がありません(爆)。覚えているのは、音楽と図工と体育。たとえば、音楽では、ヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』とか、ヘンデルの『メサイヤ』のハレルヤコーラスを、かなり本格的に歌いましたし、体育ではクラス全員が跳び箱で倒立前転ができるようになるまで指導されていました。しかも、決してスパルタではなく・・・いつのまにか、子どもたちも先生のペースに引き込まれて、それが当たり前みたいに、楽しくやっていたと思います。

で、ある日の図画工作の授業のことなんですが・・・先生が「今日はお寺に行って絵を描くぞ!」と、わたしたちを学校の近くのお寺に連れて行きました。そして「さぁ!お寺の屋根を描きなさい」と言ったんです。そして、さらに先生は言いました「よ~く見てみろよ。屋根の色は、灰色一色じゃないぞ。瓦の色は、一枚一枚違うだろ。それを良く見て描くんだぞ」。そう言われて見たお寺の屋根は、ほんとうに色んなタイプの灰色の瓦で埋め尽くされていました。子どもたちは「おお~!!」って感心しながら、それを写生しました。みんなの絵が仕上がったとき、先生は、その絵を全て学校の廊下にズラリと張り出したんですが、それはそれは圧巻の風景でした(^^)。

ちなみに、超天邪鬼だったワタシは、みんなが瓦を描いているのを見て、「みんながそうするなら、わたしは・・・」と、屋根を下から見上げた・・・軒裏っていうのかな・・・木の部分を描きました(^^;。先生にしたら、すごく面倒な子どもだったと思いますが・・・そんなワタシでも、先生から受け取ったものは多く・・・ほんと、今でも、クラスメイトたちが描いた寺の屋根の絵が並んでいる風景は忘れられません。

なんですが・・・今日、電車から外を眺めていたら・・・ほとんどの家の屋根の瓦が、同じ色だったんです。子どもたちに「良く見て描け」といっても、単色で塗りつぶすだろうなぁ~って思うくらい、同じ色でした。それが、つまりは技術の進歩ってことで・・・決して、悪いことではないとは思うんですが・・・「あ~、そうなんだぁ~」と思ったと、そういうことであります。

ちなみに、わたしの四年生の時の担任の先生も、とても素敵な方でした。だから、よく話しているかとは思うんですが・・・たとえば、算数の授業で、だれかが正解を出しても、「よし正解!!けど、他にも解き方はあるやろ。回り道でもええから、他の解き方、言うてみ!」と、時々ゲームコーナーみたいなことをする方でした。「山に登る道は一つやないからな」・・・それを、小学四年生に、算数の授業で教えていた先生・・・大人になって、親になって、やっとその偉大さに気付きましたっけ。

考えてみれば、わたし、先生は恵まれていたんですよね。小学四年の担任だったT先生。五年&六年生の担任だったE先生。それから、中学から大学まで10年通ったKCも、変わった教育方針の学校でしたし・・・いろんなことを教えてもらい、育ててもらったんだなぁって・・・ほんと、今さらながら思います。その時は、まったくそれに気付かないんですけどね。っていうか「先に生まれてきただけで、敬えと言われても、それは納得できん。わたしは、自分が本当に参ったと思う人間しか尊敬せえへん」なんて、本気で思ってましたからね(^^;。

たしかに、「年上ってことだけで尊敬してもらおうってのは怠慢だ」と、大人になった今は、自戒の念を込めて思いますが・・・傲慢から、ちゃんと感謝を伝えられなかった相手が多すぎる・・・と、後悔も大きいです、はい。

と、ちょっとシミジミしたところで・・・最後に、小ネタを一つ。地下鉄堺筋線って、阪急電車が走ってるんですね!生粋の関西っ子ですが、田舎者なので、今日の今日まで知りませんでした!!って、どんな落ちやねん(^^;。