OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

『家畜人ヤプー』からの連想(^^;

2008-12-05 23:36:18 | Weblog
『家畜人ヤプー』の作者(なのかな)天野哲夫さんが、亡くなられたんですね。82歳でらしたのかぁ~・・・。『家畜人ヤプー』は、1984年発行の角川限定愛蔵版が出たときに買って読んだ覚えがあるんですが・・・けっこう、肩透かしだった覚えがあります。「奇譚クラブ」に連載されていた頃に、問題作扱いされたのは何となく理解できるんですが、わたしに限らず、今時の人が読めば、さほどインパクトを感じることもないかと。せいぜい、嗜好性の強い小説くらいの扱いになるんじゃないでしょうか。でも、その時代の変化こそが、『家畜人ヤプー』の描き出す世界より恐ろしいというか、面白いですよね。

そういえば、今回の旅行で、友人の一人が、こんなことを話していました。彼女は、それを何かで読んだか聞いたかしたらしいのですが・・・すごく共感したみたいで、わたしたちに話してくれました。

それは、言葉の変化の話で・・・たしか・・・言葉の使われ方が、どんどん変化してしまい、言葉が本来の意味を失ってしまった場合、もう、その言葉は使用禁止にするべきだと・・・そういう主張だったと思います。

たしかに、そういう言葉が、わたしたちの周りには沢山あって・・・本来の意味を知っている人と、新しい意味しか知らない人とが、その言葉を使って話すと、とんでもなく会話がこんがらがるに違いない事態が予想されるわけで・・・もしかしたら、実際に、そこここで混乱が生じているのかも知れないわけですから、なるほど納得な主張ではあるわけです。

けれど、その時、友だちにも話したんですが、わたしは別の意見をもっているんですよね。

もし、意味が変化してしまった言葉を捨て去るとすれば、「もう駄目」という判断を下さなければならないわけですが、変化というのは、カフカの『変身』のように、ある朝起きたら突然に起こることではなく、たいていは少しずつ少しずつ姿を変えていくわけですから、その線引きが非常に難しいでしょ。

ということは、変化を見極める時間が必要なわけで・・・その期間を過渡期とするなら、変化自体を受容れて、言葉を捨てるのではなく、本来の意味を捨て去り、新しい意味を採用すればいいと・・・わたしは、そう思うのであります。

たしかに、世の中には、変わって欲しくないものも沢山あり・・・その中には、美しい言葉というものも含まれるとは思うのですが・・・同時に、変化していくことにも美しさや必要性もあるわけで・・・だから、変化するということも、応援していきたいと思うのでありますよ。

わたしが、大学で組織神学を学んでいた頃、指導教授から教えられ、とても印象的だった言葉があります。それは「キリスト教の歴史は、聖書を再解釈し続けてきた歴史だ。常に、時代に合わせて、聖書を再解釈してきたからこそ、キリスト教は、何千年と言う時を生き残ってきたのだ」ということです。

そう・・・どんなに素晴らしいと思えるものでも、それを固定化してしまうと、一番大切な何かを殺してしまう事になるのです。どんなに絶対的だと思われるものも、常に疑問を投げかけられ、解釈を新たにされていかなければ、感心の心を失ってしまうのです。きっと、言葉もそうだと・・・わたしは、そう思うのですよね。

ん?『家畜人ヤプー』の話だったはずなのにな・・・ものすごく脱線してしまいましたね。まっ、毎度のことですけどね(^^;。