OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

生きる甲斐

2008-12-08 12:38:21 | Weblog
世にも奇妙な・・・っていうより、素っ頓狂な書き込みのあと、エントリーをお休みしたら、「どうしたんだろう。ほんとにヤバイ状況なんだろうか」と心配させますよね。でも、ご安心ください、わたし、変が基本ですから、あの程度ではまだまだであります(^^;。

昨日は、一昨日に引き続き「あいびー」と「まごころ移送サービス(←未だに、この名前には慣れません(^^;)」の、公式文書作りに勤しんでおりました。本当は、もっと早くに作成して提出しておかないと駄目な書類なんですが、督促が来ないと出さないのが、すっかり習慣化してしまいました。良い子の皆さんは、真似しないでね(^^;。

でも、まっ、それも仕上がり、今朝、ポストに投函したし・・・今日は、ちょっとノンビリムードです。明日はまた、「あいびー」のお給料関連の仕事があり、事務員さんモードに入りますが、今日はその中休みって感じです(^^)。

というわけで、今日は、一人で「祝!!『エクザイル/絆』日本公開記念VCD祭り」を開催することにしました。ラインナップは『爆裂刑警』『9413』『朱麗葉與梁山伯(ジュリエット・イン・ラブ)』『暗花』『暗戦』の5本に決定。これを、今日一日で再鑑賞するぞぉ!!

なぜ、このラインナップになったか・・・アンソニーには、ちょっと申し訳ないセレクトだし(^^;・・・ほんとうは、もっと吟味したかったのだけど、うちの書庫(人は倉庫と呼ぶ)が、あまりに寒すぎて、長居していられなかったのであります。だって、ここ数日、朝は当たり前みたいに氷点下になっていたわけですが、今朝なんか、MINI君の温度計が、-3.5って言ってましたもん。こんな日の朝に、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた書庫に、長居なんか出来るもんじゃあ、ござんせんのよ(涙)。

と、ここまでは、みんな枕です。昨日、エントリーしてませんから、おまけデス。ン?迷惑だって?聞こえませ~~ん。

で、今日の本題。テーマは「羨ましいなぁ。でも違うんだよなぁ~」です(^^;。

エッセイ読んだり、ドキュメンタリー見たり、人と雑談したり、そしてネットで皆さんのブログを拝見したりしていると・・・みなさん、それぞれに素敵な暮らし方をしておられて、ほんと「羨ましいなぁ~」って思うんです。お仕事をバリバリやっておられる方も、充実した趣味をお持ちの方も、素敵なお友だちに囲まれてらっしゃる方も・・・みなさん、それぞれ「素敵だナァ」「いいなぁ~」って思うわけです。

でも・・・だからといって、自分が、その方たちのような暮らし方、生き方をしたいかと言うと・・・う~ん・・・羨ましいと言っておきながら矛盾するんですが、違うんですよね。だから、「おいおい、おいらって、この歳になっても、まだ自分の生き様が定まらないのか」って、苦笑しちゃうんですよ。

そうそう、友達との旅行の時、こんな話題も出ました。ニートやフリーターに関すること。友だちの一人は「仕事なんて楽しむ為にやるものじゃないし、自分らしくだとか、自分に合ってるだとか、最初から、そんなことを求めちゃ駄目でしょ」って言ってました。

その友だちは、だからといって、ニートやフリーターの若者を批難しているわけじゃなくて・・・彼らに、やたらと「自分らしくあれ」みたいなことを言って、今の風潮を作り上げた連中を批難していたので・・・わたしとしては「風潮ってやつは、振り子のように振れるものだから、この傾向も必然なんだよ」って言いました。ほら、少し前まで「子どもたちに将来の夢を聞いたら、多くの子が公務員になると言う。子どものうちから安定をもとめてどうする。今の子どもたちは夢がなさすぎる」って、大騒ぎしてたじゃないですか。その反動が現れた、それだけのことですよね、きっと。だから、また次の世代は、堅実な将来設計をするようになりますよ、きっと。

ただね・・・それとは別に、わたしも拘っているんですよ、やっぱり「自分らしさ」とか「自分に合う」ってことに。

仕事に関しては、まあねぇ~・・・友だちも言ったように「そういうもんじゃない」のは確かだと思います。わたしは、文章を書くのが早くて、しかもその作業が全く苦にならない性質なので、多分、書きものに関しては、そこそこの素質がある方だと思います。だから、書くことでお金が稼げるといいなぁと思うようになり、今は、実際に書く仕事もさせてもらえるようになったわけですが・・・それで、最初に自分に課したことが「自己表現封印」でしたからね。

もちろん、職業人として、より良いものを作る工夫はしますよ。けれど、一番に優先するのは、クライアントが欲しがっているものを提供するということであって、わたしの気持ではないわけです。だから、そこで得られる喜びは、あくまでもクライアントを納得させるものができたという満足のみ。自分を外に向かって解放できた時に得られる、あの恍惚感は望むべくもないわけです。しかも、時には、クライアントの価値観や美意識が、わたしのそれと掛け離れていて、とても苦しい葛藤の中で仕事をしなくちゃいけないこともあるわけです。個人としての感覚を封印して、職業人としての意識の中に閉じこもらないと、なかなかやっていけないということを思い知らされました。だから今でも、わたしは時々、「もしかしたら、わたしは、自分が一番大切にしなきゃいけないものを踏みにじって、お金を稼いでいるのかな」と思いますもの。

ですから、ほんとうに、友だちが仕事に関して言ったことは、その通りなことなんですが・・・でも、それでもやっぱり、わたしは思うんです。自分が納得できない生き方なんて、自分が楽しいと思えない人生なんて、意味ないじゃないって。それが喜ばしい事か、疎ましい事か、そんなの分かりませんけど・・・とにかく、わたしたちは、この世に生を受けてしまったわけで・・・死ぬまでは、生きていなくちゃ仕方ないわけで・・・それなら、せめて楽しく生きたいじゃないですか。でなきゃ、生きている甲斐がないじゃないですか。

でもって、わたしを楽しく生かすことができるのは、わたししかないわけでしょ。子どもをもって思うんですけど・・・たとえ親でも、子どもを幸せにしてあげるなんて無理なんですよ。そりゃぁ、一生懸命考えますよ、親ですから。どうしたら、この子が幸せになれるんだろうって、必死に考えますし、実際、いろいろやってみたりもします。けれど、それで子どもが幸せになれるわけじゃないんですよね。人が幸せになる為には、その人自身が、自分で自分を幸せにしなくちゃ仕方ないんですよ。周りは、せいぜい、そのサポートができるだけです。

だからね・・・わたしは、自分に対しても、夫に対しても、子どもたちに対しても、友だちに対しても、自分の周りの全ての人に「好きにしなさい」って思うんです。失敗してもいいし、回り道でもいいし・・・もしかしたら、最後まで思う場所に辿り着けないかもしれないけど・・・それでも自分で自分を幸せにしてやろうと努力することが肝心だと思うから。

すると・・・こんなグチャグチャな人生になっちゃったわけですけどね(爆)。でも、それでも、わたしはこれで好いと思うんですよ。みなさんの素敵な暮らしぶりを垣間見せてもらって「羨ましいなぁ~」とは思うけど、やっぱりそれは「わたしの人生」ではないですもん、はい。

ん~、伝わったかなぁ・・・なかなか伝わんないですよね。文章書くの得意ですって言い放っておいて・・・恥ずかしいですね(^^;。