OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

人を救うための仕組みは、いとも容易に人を支配する道具になる

2018-04-20 11:52:59 | Weblog
二週間ぐらい前から右上奥の歯が痛かった。いや、歯かどうか分からない・・・もしかしたら歯茎・・・日によって頬骨のあたりまで痛い時もあるので、もしかしたら全く別の原因があるのかもしれない・・・ライトで照らしながら患部と推測される辺りを鏡で見てみるのだが、よく分からない。舌先や歯間ブラシで探った感触では、わずかに引っかかりはあるのだけれど・・・ふむ。ただ、食事の後、必ずと言っていいほど食べカスが引っかかる。それを歯間ブラシやフロスで掻き出すと、その後は痛みが増す。一週間ぐらい様子をみていたのだけど、治まる気配もないので、行きつけの歯医者さんに予約を入れた。痛みはさして酷くないというと、一週間後の予約となった。

そして昨日、歯医者さんで診てもらうと・・・オー・マイ・ガッ!! 奥歯の内側が空洞になるくらい、虫歯で浸食されていた!!!穴の入り口が歯茎に接するあたりで素人目にはほとんど見えなかったのだけど、レントゲンで見ると・・・ああ~(涙)。神経を抜くしかないと言われ、麻酔を注射してもらって、キーンキーン、ガリガリガリガリ、ドンドンドン、口の中で土木工事のような処置が一時間近く続いた(麻酔が一度で効かなかったので時間がかかったというのもある)。

その時に、お医者さんが「よく我慢できましたね。鎮痛剤、どれくらい飲みましたか。ものすごく痛かったはずなんだけどなぁ~」と仰った・・・と、これが今日の本題なんだけどね(^^;。

いつも話しているように、頭痛持ちなものだから、月の半分は痛みと一緒に過ごしている。時には、起き上がれないような日もあり、夫などは、わたしが少し元気がないと「痛いの?」と聞いてくる。その時、たいていは、痛くても「ううん平気」と応える。頭痛持ちではない夫が、心のどこかでわたしに対し「痛がりだな、こいつは」と思っていると感じているから。頭痛を理由に、彼がわたしを非難したことはないけれど、言葉の端々で感じるのだ、「俺ならそれくらい我慢できる」と思っているんだろうなって。被害妄想だと思われるかもしれないし、実際そうかもしれないけれど・・・しょっちゅう痛がっている後ろたさもあってか、そう感じてしまう。

それが、昨日は、医療のプロである歯医者さんから、「普通なら我慢できないほど痛いでしょうに、よく我慢しましたね」と言ってもらえた・・・いや、実際はそんな風には言われていないのだけれど、痛がることに対して負い目があるわたしには、医師の軽い「我慢できるレベルじゃない痛みだったはずなんだけど」という言葉が、「こんなに酷い痛みによく耐えましたね。あなた凄いですよ、よく頑張りました。偉いですよ」と、絶賛されたも同じに聞こえたのだ。

人は、それぞれに他人と共有できない自分だけの痛みと言うものを抱えている。それは肉体の痛みである場合もあれば、心の痛みである場合もある。肉体の痛みでさえ他者にはかり切れないのに、心の痛みともなれば、ほんとうに他人には分からない。どれほど痛いかどころか、痛いかどうかすら分からない。

それを分かってくれる人・・・そして、よく我慢しているね、偉いねって言ってくれる人に出会ったら・・・その人の心はどんなに救われるだろうかっ!!

でも・・・ふと思う・・・これって、怪しい宗教の勧誘や詐欺師の基本テクニックだよなぁ~。

それで、つらつらさらに考えると・・・個人レベルだけじゃなく、社会のシステムとしても、人を救うために有効なものは、容易に人を支配する道具に変容するよなぁ~。

誰にだって弱い部分はある、弱っている時もある・・・人の助けが必要な時はあるのだ。その時、悪意を持って、あるいは本人さえも悪意と認識せず、救うという顔でもって支配しようとしてくる者たちがいる。ああ~、嫌だいやだっ!!ああ~、嫌だいやだ!!しんどいなぁ~、生きるってさぁ(爆)。

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