昨日、じゃんゆー(呉鎮宇 フランシス・ン)のことを話したばかりですが、彼が監督として新しい映画を撮るというニュースを見つけました。『追影』という武侠アクション映画だそうです。ほぉ~(^^)。しかも、楚原(チュー・ユアン)、洪金寳(サモ・ハン・キンポー)、唐佳(タン・ツア)、劉家良(ラウ・カーリョン)、そしてそして、わたしの徐克(ツイ・ハーク)も、彼の映画に協力するそうです。でも、徐克、何をどう協力するんだろう・・・まっ、まさか役者さん(^^;。いえ、決して嫌じゃないですけどね、彼の演技する姿(爆)。それより、じゃんゆー本人は、また主演はっちゃったりするのかなぁ・・・個人的には、ゲーリー・オールドマン方式で、監督の時は監督だけやって欲しいと思うんだけどなぁ。
ところで・・・また、友達との旅行の時の話題からのネタ拾いなんですが・・・案外、学校教育って、人のモノの考え方に影響大なのかなって、急に空恐ろしく感じたって話、いきます(^^;。
何気によく話題にしていると思いますが、わたしが中学から大学までノホホンと十年間通った学校は、キリスト教系の学校でした。中学&高校の頃は、毎朝、礼拝から一日が始まり、授業の中にも「聖書」という科目がありました。けれど、他の宗教系私立もみな同じだと思いますが、信仰を強要されたことはないですし、わたしも結局、クリスチャンにはなりませんでした。大学では、学問として神学を学びましたが、イエス・キリストという人物が、私たちの救世主だと思ったことは、ただの一度もなく・・・学校の宗教教育は、伝道の役割を果たさなかったなぁ~と思っていました。
けれど、今回の旅行で、我らが母校が「キリスト教」の中の「プロテスタント」の「組合教会」に属するんだという話題がでて・・・その時は、特に何も思わなかったのですが・・・あとからジワジワと気付いたのが・・・自分のモノの考え方の基本が、とっても組合教会的なんじゃないかってことだったんです。
ちなみに、なぜ、旅先で、突然そんな話題が出たかと言うと・・・最初は、普通に世間話として「今の私大の経営戦略ってどうなのよ」みたいな話だったのですよ。で、その時に、わが母校は、関西学院と超近い場所にあるのに、あまり関西学院と関わらず、むしろ同志社と繋がりが深いねぇみたいな話の流れになり・・・だって「関学はメソジストだけど、うちは組合教会だし・・・同志社も組合教会だから」って話になったと・・・そういうことでありました、はい(^^;。
で、話をもとに戻して、組合教会なんですが・・・いったい、どういう個性の宗派なのかというと・・・直接民主主義的っていうか・・・組織内に偉い人がいて、その人が「みなを監督指導する」みたいなのは間違っているという考え方をしていて・・・教会の中では、上も下もなく、みんなが対等に組合員として付き合うのが特徴である宗派なんですよね。だから、とにかく、とてもリベラルなんですが・・・「アレ?それって、わたしが組織に対して思うことと、まったく同じじゃないか」って・・・卒業後、こんなに経ってから気付いたんですよ。
もちろん、わたしはクリスチャンじゃないし、教会にも属してませんから、教会運営は関係ありませんが、自分が所属する組織の運営については、そうしたいと思っていますものね。
いや~・・・これって、たまたま、自分が通った学校の方針と、自分の資質が合っていたったいうラッキーなんでしょうか。それとも、過ぎし日の十年が、こんなワタシを創りあげたんでしょうか。
大学の専門課程でも、神学というよりもはや哲学、いや社会学じゃないかと言われるほど、リベラルな神学者であるパウル・ティリッヒについて学んで・・・これまた、ものすごくモノの考え方の相性が好く、居心地が好かったのですが・・・これもまた、ある種の洗脳だったんでしょうか。
自分では、何事も、一生懸命に自分で考え、自分で選び、自分で決めてきたつもりなんですが・・・もし、ずっと導かれていただけなのだとしたら、なんか「けったくそ悪い(いまいましいってな意味)」のでありますよ。どうなんでしょうねぇ~、ほんとに・・・ねぇ・・・
けど・・・それでも・・・洗脳でも、導かれたのだとしても・・・今の自分が辿り着いたものの考え方、やっぱり嫌いじゃないです。だから、うん・・・幸せだったんだと思います・・・あの学校に通えて。よく言えば、生徒の自主性を重んじる自由な校風・・・・悪く言えば、放っりぱなしの放置プレイな教育方針の学校でしたが・・・よく生徒を信じて、好きにさせてくれたなって思います。感謝しています、はい(^^)。
ところで・・・また、友達との旅行の時の話題からのネタ拾いなんですが・・・案外、学校教育って、人のモノの考え方に影響大なのかなって、急に空恐ろしく感じたって話、いきます(^^;。
何気によく話題にしていると思いますが、わたしが中学から大学までノホホンと十年間通った学校は、キリスト教系の学校でした。中学&高校の頃は、毎朝、礼拝から一日が始まり、授業の中にも「聖書」という科目がありました。けれど、他の宗教系私立もみな同じだと思いますが、信仰を強要されたことはないですし、わたしも結局、クリスチャンにはなりませんでした。大学では、学問として神学を学びましたが、イエス・キリストという人物が、私たちの救世主だと思ったことは、ただの一度もなく・・・学校の宗教教育は、伝道の役割を果たさなかったなぁ~と思っていました。
けれど、今回の旅行で、我らが母校が「キリスト教」の中の「プロテスタント」の「組合教会」に属するんだという話題がでて・・・その時は、特に何も思わなかったのですが・・・あとからジワジワと気付いたのが・・・自分のモノの考え方の基本が、とっても組合教会的なんじゃないかってことだったんです。
ちなみに、なぜ、旅先で、突然そんな話題が出たかと言うと・・・最初は、普通に世間話として「今の私大の経営戦略ってどうなのよ」みたいな話だったのですよ。で、その時に、わが母校は、関西学院と超近い場所にあるのに、あまり関西学院と関わらず、むしろ同志社と繋がりが深いねぇみたいな話の流れになり・・・だって「関学はメソジストだけど、うちは組合教会だし・・・同志社も組合教会だから」って話になったと・・・そういうことでありました、はい(^^;。
で、話をもとに戻して、組合教会なんですが・・・いったい、どういう個性の宗派なのかというと・・・直接民主主義的っていうか・・・組織内に偉い人がいて、その人が「みなを監督指導する」みたいなのは間違っているという考え方をしていて・・・教会の中では、上も下もなく、みんなが対等に組合員として付き合うのが特徴である宗派なんですよね。だから、とにかく、とてもリベラルなんですが・・・「アレ?それって、わたしが組織に対して思うことと、まったく同じじゃないか」って・・・卒業後、こんなに経ってから気付いたんですよ。
もちろん、わたしはクリスチャンじゃないし、教会にも属してませんから、教会運営は関係ありませんが、自分が所属する組織の運営については、そうしたいと思っていますものね。
いや~・・・これって、たまたま、自分が通った学校の方針と、自分の資質が合っていたったいうラッキーなんでしょうか。それとも、過ぎし日の十年が、こんなワタシを創りあげたんでしょうか。
大学の専門課程でも、神学というよりもはや哲学、いや社会学じゃないかと言われるほど、リベラルな神学者であるパウル・ティリッヒについて学んで・・・これまた、ものすごくモノの考え方の相性が好く、居心地が好かったのですが・・・これもまた、ある種の洗脳だったんでしょうか。
自分では、何事も、一生懸命に自分で考え、自分で選び、自分で決めてきたつもりなんですが・・・もし、ずっと導かれていただけなのだとしたら、なんか「けったくそ悪い(いまいましいってな意味)」のでありますよ。どうなんでしょうねぇ~、ほんとに・・・ねぇ・・・
けど・・・それでも・・・洗脳でも、導かれたのだとしても・・・今の自分が辿り着いたものの考え方、やっぱり嫌いじゃないです。だから、うん・・・幸せだったんだと思います・・・あの学校に通えて。よく言えば、生徒の自主性を重んじる自由な校風・・・・悪く言えば、放っりぱなしの放置プレイな教育方針の学校でしたが・・・よく生徒を信じて、好きにさせてくれたなって思います。感謝しています、はい(^^)。
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